追想の山々1145  up-date 2001.10.22

篠 山(1065m) 登頂日1997.11.03 単独
滑床渓谷万年===篠山第一駐車場(12.00)−−−篠山(12.30-40)−−−第一駐車場(13.05)
所要時間 1時間05分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
1997年秋・300名山四国の山旅(その7)=60才
「南伊予国・北土佐国」と刻まれた山頂


三本杭から下山して、休むまもなくすぐに次の篠山へ向かった。
いったん宇和島市へ戻り、国道56号線を津島町まで南下。ここで宿毛市へ通じる県道へ入る。途中道幅の狭い峠越えもあるが、比較的わかりやすい1本道をたどる。高知県との県境近く、犬除という集落で『篠山登山駐車場』の看板が見えた。これが一般的なハイキングコースとなっている「祓川林道」だと思われる。しかし今日は「南郷林道」で9合目まで上がってしまう省力登山。  
県境を越えてかなり走ってから、大きな看板が篠山を指していた。9.1キロとあるある。ほとんど行き交う自動車もない林道を上がってゆく。全面舗装の立派な道路で林道なんていうものじゃない。交通量もないところに、こんな観光道路のような林道を作ってどうするのだろうと思ってしまう。

林道の最高地点が山頂への登山口で、立派な駐車場が整備されている。数台の自動車がとまっていた。ここは足摺、宇和島国定公園の中である。カメラだけ片手に早速山頂を往復してくることにする。
年寄り夫婦や、小さい子ども連れが下ってくる。足の弱そうな初老の夫婦が息を切らして登ってゆく。階段状に整備された道は遊歩道そのものである。ここは登山を楽しむということとは関係なく、三百名山の一峰にただ足を記すというだけの情けないものとなってしまった。、ゆっくりと味わうような山でもないようだし、日本300名山の消化試合のような山と言ったら叱られるだろう。

狛犬かキツネか、石像の迎える石段を登ると立派な社が建っていた。三角点はその後ろに一歩上がったところだった。
狭い山頂だったが宇和島海方面や北東方面の視界が大きく開けていた。山頂には『南伊豫の国 北土佐の国』と刻まれた石柱がでーんと立っている。それを見て「遠くへ来たなあ」という思いに浸った。
篠山はアケボノツツジの名所で、山頂付近はツツジの大きな株が群生していた。花の時期このありたは、ピンクの花に埋まることだうろ。

小学校低学年の男の子二人を連れた家族連れがいた。小さい方の子どもが、恥ずかしそうに私に菓子を差し出してくれた。せっかく持ってきたんだから自分で食べて・・・・といって辞退したが、どうしても食べろという。ありがたく一つもらった。今度は水筒に入れてきたお茶を飲めという。これも一口もらって飲んだ。人懐っこい気持ちのいい幼子たちだった。「おじさんは遠くから来たけれど、こんなに親切にしてもらって嬉しいよ。何にも上げるものがなくて、ありがとうという言葉しかないの。ごめんね。僕たち元気に大きくなって、立派な人になってね」そうお礼を言って山頂を辞した。

駐車場へ戻ったのが1時5分。予定よりかなり早かった。これから長駆自動車を飛ばして奈良まで帰らなくてはならない。
再び津島町へ戻り、国道を宇和島方面へ北上、松山自動車道の伊予ICを目指した。通りすがりの五十崎町竜王荘の温泉で汗を流す。竜王荘は福祉施設で、知恵遅れの子どもらしい団体が十数人入浴していた。4日間の汗を流してさっぱりしたところで、施設内の食堂で久々にちゃんとした食事をした。高台にある食堂の窓から、暮れてゆく五十崎の町を見下ろしていると、一仕事した後の虚脱感と、そこはかとなく湧き上がる感傷的な気分を押さえがたかった。
夕日が沈んだ薄暮の中を松山へと自動車を走らせた。三連休最終日ということもあって、松山ICまで渋滞がつづいたが、高速へ入ってからは順調そのもの。石鎚山サービスエリアで3時間ほど仮眠してから、一路小松島港へ向かった。

当初の計画では4日間で三嶺、東赤石山、笹ケ峰、伊予富士、瓶ケ森の5座を目標として出かけてきたのに、地理的には遠く離れている三本杭、篠山まで登ってしまい、少々邪道に近い強行軍のそしりはまぬがれないが、これで四国の三百名山はすべて登り終わることができた。