追想の山々1148  up-date 2001.10.25

大門山(1572)〜大笠山(1822m) 登頂日1998.07.17-18 単独
●奈良(12.15)===ブナオ峠(17.45)
●ブナオ峠(4.35)−−−大門山(5.45-50)−−−赤摩木古山(6.15-20)−−−なため平(6.40)−−−見越山(7.20-30)−−−奈良岳(7.50-55)−−−大笠山(9.20-45)−−−奈良岳(11.00-10)−−−見越山(11.30-35)−−−赤摩木古山(12.40-50)−−−大門山分岐(13.0-15)−−−ブナオ峠(13.55)===奈良自宅へ
所要時間 9時間30分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
起伏を繰り返すロングコース、300名山2座
大笠山山頂


11年の年月を要して、日本三百名山踏破もようやく最終段階にさしかかった。
秘境「五箇山」の奥に聳えるおおらかな山体を見せる大笠山と、その稜線つづきにあってひっそりと佇む大門山の2座を登頂するために訪れた。登山口は上平村のブナオ峠である。

登山案内書や地図などで研究すると、大門山だけならブナオ峠から1時間もあれば簡単に登れる。一方大笠山は桂湖からフカバラ尾根をたどり往復7時間ほどで登頂できるコースがあり、2日に分けて別々に登るのが一般的でもあり、楽なようである。
私の計画はブナオ峠から大門山→大笠山と歩き、同じ道を戻るというもので、ほぼ11時間のロングコースとなる。このコースは単に長いだけでなく、厳しいアップダウンが連続していて、累積標高差はほぼ2000メートル、距離以上に体力消耗を考えておかなくてはならないようだ。残雪で水が取れる時期に、途中一泊の日程で歩く人もいるらしい。
何よりも早朝の出発が条件となる。前日の正午に自宅を出て夕刻ブナオ峠に到着、明日の登山に備えた。
峠には10台前後の駐車スペースがあり、大門山登山口の大きな道標がある。反対側には猿ケ山登山口の表示も立っていた。夜半目を覚まして空を見ると満天の星が輝いていた。一回目覚めたがまだ早かったので、もう一度うとうとして目を覚ますと、あたりはすっかり明るくなっていた。

支度を整えて歩き出したのが4時35分。
道標から登山道へ入るとすぐにブナ林が広がる。寝覚めの体には少々きつい登りだが、コースはすぐに尾根道となって、ブナ一色の見事な樹林となり目を見張る。早起きの野鳥たちがすがすがしく囀りかえしている。汗が流れはじめると、足の動きにも調子が出てきて、ほぼ一直線の急登をどんどん高度を稼いでゆく。立ち止まって見上げたくなるような素晴らしいブナの巨木が目につく。とにかく今日は久しぶりの長いコースである。ピッチを上げて頑張らなくてはならない。しかも真夏のこの時期、何より心配なのは水分補給である。コース中一滴の水も得られない。700CCの水筒と1500CCのポリタンクに水とスポーツドリンクを用意してきた。

ブナ樹林が次第にまばらになってきて、空が広く見えて来ると間もなく稜線上へ出た。大門山への分岐点でもある。小さな空間ながら、木製の大きなテープルや椅子が設けられていて、一汗かかされた後の、かっこうの休憩ポイントである。
大門山へはここから主稜線を外れて15分ほど行った所にその山頂がある。ザックを残して大門山へ向かう。一部笹が茂ったりして歩きにくく、朝露でズボンが濡れる。ひと登りの急登で大門山の頂上へ立った。日本三百名山293座目の山頂である。意外なほどこじんまりとした山頂だった。最近設置されたらしい台形のりっぱな御影石に「白山国定公園大門山」と刻まれていた。上空には秋を思わせるような澄んだ青空が広がっている。開けた東の方角には北アルプスの山並みが遠望できる。御嶽、乗鞍、穂高、槍、そして剣岳の三角錐がひときわ目立つ。手前には人形山、三ケ辻山が大きく横たわっている。
長い行程を考え、早々に山頂を後にした。

分岐まで戻り、いよいよこれからアップダウンが繰り返す厳しい縦走コースとなる。眺望の開けた稜線を北アルプスの山々や、行く手に聳える大笠山などを目にしながら、小さな上り下りをして20分ほどで赤摩木古山へ到着。展望すこぶる良好な頂である。明るい緑に覆われた大笠山が、朝日を受けてひときわ見事に映えていた。その奥にはセピア色の白山も鮮明である。囲いの中に小さな地蔵さんが赤いエプロンをかけて鎮座している。ここにも大門山同様、「赤摩木古山」と山名が刻まれた御影石がある。木製のベンチなどが設置されているが、年数が経過してやや傷みがひどい。据えつけられた展望盤で、山名を照らし合わせながらひととき展望を楽しむ。なつかしい猿ケ馬場山も近くにあった。

大門山
荷を軽くするため、赤摩木古山に700CCの水筒をひとつ残してゆくことにした。
次のポイントは見越山である。なため平まで急な下りがつづく。擬木の階段が作られているが、人間工学を無視したような高い階段は、一段一段膝にこたえる。高低差で120メートルというが、もっと下ったような気がする長い下りを終わると、小さな窪地状の鞍部で、雑木になため平の表示板がぶらさがっていた。ベンチが2脚設けられている。残雪時にはここがテントサイトになるらしい。せいぜい2張りほどの広さしかない。
さてこの最低コルから見越山までは、5万図ではつかめないような上り下りを繰り返しながら、単純標高差250メートル近い登りとなる。登ったと思うとまた下り、辟易する繰り返しに体力の消耗も進む。ところどころにベンチがあるものの、大半は傷んだり壊れたりしていて役に立たない。
ブナオ峠から大笠山へのコースを拓いたときに設置したものだろうが、その当時は大変な費用と労力を費やして作ったものにちがいない。

見越山山頂  後方は赤摩木古山と大門山
小潅木の明るくなった尾根に、またもや急な階段があらわれる。これが見越山への最後の急登であった。重くなってきた足を一歩づつ引き上げて登りついた見越山ピークは大きな岩の山頂だった。
展望絶佳、まさに遮るもの一つとしてない。とりわけ大笠山と白山が素晴らしい。目指す大笠山はまだまだ遥かな距離だ。 一息入れて次のピーク奈良岳へ向かう。コル目指して急降下してゆく。植生もナナカマドなど高山の趣となってきた。
コルから登りかえしたピークが奈良岳である。この間は比較的楽に感じた。途中にアップダウンがなかったためだろう。
急登を登り詰めて小さな石仏を過ぎると、10数メートル先が奈良岳山頂である。小さなピークだった。周囲は潅木に囲まれていて、展望は今ひとつというところ。やはり御影石の山名表示がある。潅木の頭越しに見る大笠山はまだまだ遠い。  

奈良岳山頂 後方は大笠山
一休みして最後の行程大笠山へ向かう。ここで失敗してしまった。山頂三角点の数メートル手前で、左手へ直角に折れる道が目についたが、何の疑問もなく直進する道を進んだ。今までとちがって、少し薮っぽい尾根の下りを降りて行く。木立の途切れたところで見渡すと、この尾根は大笠山へつづく尾根ではない。大笠山への尾根は左の方に見える。奈良岳山頂へ戻る。早く気がついたため、往復15分ほどのロスで済んでよかった。ガスで見通しがなかったら、とんだことになるところだった。
左へ直角に折れる道へ入ると、小さな平坦地があり、ここもテントサイトになりそうなところだ。木製の階段をどんどん下ってゆく。環境庁の「自然を大切に」という啓蒙表示がたくさん目に付く。道標もあるが草に隠れて、気がつかないで見過ごしてしまうことが多い。下り終わったあたりに小さな湿地帯がある。トンボが群れ飛んでいる。池の縁を過ぎて登りとなる。二重山稜の間のような窪地状のコースがあらわれる。しばらくはじめっとした日陰を、潅木をくぐって進む。奈良岳まではブナオ峠から日帰り圏内で、ハイカーの往来もそこそこあるのだろうが、その先大笠山まで脚を延ばすのはまれだと思われる。そのためコースの整備状況も急に見劣りしてきた。登山道には草や笹がはびこり、放置しておいたら何年かのうちに、笹に埋まってしまうかも知れない。

窪地状の湿っぽい道を過ぎて登ってゆくと、ふたたび明るい稜線へ戻った。今度は道にまで入り込んできた草に、一瞬登山道が解らなくなることがある。
遠かった大笠山も、ようやく間近に迫ってきた。びっくりするようなダケカンバの巨木が何本も目につく。
木道を下って小さな湿原に降り立つと、そこにはニッコウキスゲが咲き、ほっとした安らぎを覚える空間があった。奈良岳からいくつも上り下りを繰り返してきたが、いよいよこの湿原からが最後の登となるようだ。疲れを感じてきた脚には、かなり長そうな登りに見えるが、もう一息頑張ることにして、休まず先を目指した。
ミネカエデ、ナナカマド、ダケンカバ等の高山帯の雰囲気がいっそう色濃くなってきた。そしてコースの状況もふたたびしっかりして来た。
かなりきつい登りだが、最後の登りと思えば脚も前に進む。思ったほどの疲労も感じないで、この急登を登り切った。
平らになったところが桂湖からのコースとの合流点だった。すでにここは山頂の一角で、三角点は右手にシラビソなどの樹林を縫って2〜3分先にあった。
山頂到着は9時17分、ブナオ峠から4時間40分という速さだった。
待望の山頂に立つとすばらしい展望が広がった。南に向いて開けた山頂からは、先ず目に入ってきたのが笈ケ岳。先だって4月に登ったばかりの笈ケ岳はひとしお懐かしい。あの時白く覆われていた笈ケ岳もこの大笠山も今は緑に覆われている。あのとき歩いた笈ケ岳、仙人窟岳、三方岩岳と連なる稜線を目で追った。高々と聳える白山も、ここからは堂々とひときわ威厳に満ちている。北アルプス連峰も遠望できる。展望盤に示された名前と山々を指呼しながら楽しんだ。(展望盤に記された山・・・白山、三方崩山、仙人窟岳、笈ケ岳、猿ケ馬場山、御嶽山、籾糠山、乗鞍岳、穂高岳、槍ヶ岳、三ケ辻山、薬師岳、剣岳、猿ケ山、赤摩木古山、大門山、見越山、奈良岳他)
一等三角点標石に触れて、登頂の喜びを確かめた。
大きな山名標柱の根元に登頂記録帳の入ったビンがある。日本三百名山294座目の感慨を記入した。ほとんどが桂湖からの登頂で、ブナオ峠からのものは見つからなかった。

予定より1時間も早い登頂だったが、帰りの行程がまた長い。安心するわけにはいかにない。30分の滞頂で山頂を後にした。
下山と言っても下って行くだけではなく、頻繁に上り下りを繰り返さなくてはならない。登ってきた時と同じような体力消耗を強いられる。
奈良岳、見越山、赤摩木古山、大門山、連なる帰路の稜線を眺めると、うんざりするように延々と長い。それでも標高1822メートルの大笠山から、990メートルのブナオ峠まで、単純に830メートルの下りであれば、登りよりはるかに楽なはずだ。ところが歩いてみると楽に感じない。
徐々に遠ざかる大笠山を振り返り振り返り奈良岳まで戻った。見越山の山頂に人影が見える。見越山との鞍部付近でその人と出会った。空身で奈良岳を往復してくるとのこと。鞍部から見越山山頂まで急登を20分。眼下に桂湖の水面が光っているのが見える。今朝登ってきた大門山は、これという印象強いものがなく、凡庸という表現がぴったりする。日本三百名山の名を冠するのは、ちょっと荷が重いようだ。

雲一つなかったのに、ガスが湧きはじめた。白い塊が山肌に浮いている。すでに北アルプスなどの遠望は視界から消えていた。
アップダウンを繰り返しながらなため平へと下ってゆく。この後赤摩木古山への急登に備えて、なため平のベンチで休憩を取る。赤摩木古山への登りもきつかった。高い階段を「よいしょ」と踏ん張りながらひとつひとつ上ってゆく。まったく困った階段だ。この急登に30分かかって赤摩木古山へ登りついた。デポした水筒が大いに役に立った。
潅木の枝先をガスが流れてゆく。大笠山の山頂にも雲がかかっていた。大門山分岐からはブナの尾根を一気に駆け下った。ブナオ峠帰着4時の予定が、2時間早かった。
ロングコースをやり遂げた安堵感で、ラーメンを作って遅い昼食にする。

白川郷に程近い平瀬温泉の公衆浴場で汗を流した後、大日岳の登山口、ダイナランドスキー場の駐車場で1時間ほど仮眠を取ってから自宅への帰途についた。