追想の山々1179  up-date 2001.11.10


杁差岳(1636m) 登頂日1992.10.10 単独行
胎内ヒュッテ(8.10)−−−足の松尾根取付(8.55)−−−姫子の峰(9.30)−−−滝見場(10.00)−−−大石山(11.10)−−−鉾立峰(11.45)−−−杁差岳(12.10-15)−−−鉾立峰(12.45)−−−大石山(13.05)−−−滝見場(14.02-10)−−−姫子の峰(14.35)−−−足の松尾根取付(15.00)−−−胎内ヒュッテ(15.45)===会津坂下町へ(翌日猫魔ケ岳を登頂)
所要時間 7時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
風雨をついてロングコースを日帰り踏破
風雨の杁差岳山頂


午前5時、目を覚ます。自動車の中での睡眠は十分とはいかなかった。まだ外は真っ暗。胎内ヒュッテの淡い灯火がちらちらしている。雨が降っている。ときおりたたきつけるような激しい降りになったりする。今日は登れるだろうか。杁差岳往復の長いコースを考え、遅くても6時には出発しなくてはな らない。どうしよう。迷い、かつ焦る。
天候の回復を待って昼過ぎに出て、稜線の小屋で一泊して翌日早めに下山する方法もある。しばらく様子を見ることにした。6時、明るくなってきたが雨の様子は変わらない。7時、断続的に土砂降りの雨。とても止むような気配は見えない。登山を諦めるつもりでまたまどろんだ。
はっと目をさます。雨が止んで空に明るさも見える。時計を見ると8時になるところ。駐車場には3〜4台の車がと まって、それぞれ出掛ける気配がみえる。あれだけ降ったのだ。これで上がるのかもしれない。
8時10分、急いで支度を整え出発した。予定より2時間の遅れだ。日帰りでは難しい杁差岳往復コースを、この時刻から往復するのでは、帰りは暗くなるおそれもある。念のためザックの懐中電灯を再確認する。

胎内ヒュッテの管理人に、登山をする旨一応声をかける。二人の登山者が食事をとっていた。これから頼母木小屋まで行くということだった。ヒュッテ前の自動車通行止めのゲートを抜けて林道をたどる。コース タイム1時間45分の林道歩きだ。工事中の林道を足早に歩く。冠水したところは靴を脱いで渉る。コンクリートの橋の先に再びゲート。そのゲートを擦り抜けたところに、足の松尾根コースの登山口があった。1時間45分のコースを45分で来た。どうやらガイドブックが少しおかしいようだ。しかし1時間短縮の貯金はありがたい。
工事の自動車に便乗して数人の登山者がぞろぞろと降りて来た。中に、これから杁差岳往復という若い二人連れの男女がいて心強い。頭上に窓を開いたように青空が見える。雨具を脱ぐとせいせいした気分にな る。林道はさらに奥へ伸びていたが、『門内岳、頼母木山登山口』の案内にしたがって登山道に入る。ブナの樹林を緩く歩くのはほんの最初だけ、すぐにロープの張られた急登となった。しかし道は思ったよりずっといい。

突然ブナの枝葉を打つぱらばらという雨の音。やはりだめか、期待があえなく崩れる。手早く雨具をまとい急登を攀じる。登山口から30分余で姫子の峰という表示のある展望地に着く。ヒメコマツが10本ほどある。それで姫子の峰というのだろう。
姫子の峰からは尾根道となった。緩急の登を繰りかえす。細い岩稜通過もある。30分ほどで滝見場に着く。北側の足の松沢を挟んで2段の滝が眺められる。滝見場から15分前後歩くとホースで引水された水場があった。なおも厳しい登りがつづく。水場から10分ほど先に、もう一つ水場の表示があった。下山してきた登山者が、稜線は風が酷いと教えてくれた。しかしここまで 来て引き返す気にはなれない。水場から先は一本調子の鉄砲登りがつづく。雨に打たれてただ黙々と足を運ぶ。いやになるような急登。どのあたりまで登ったのだろうか。見当がつかない。せっかく出掛けて来たのだから、とにかく飯豊連峰主脈上の大石山までは登ろう。そんな思いで休む時間も惜しんで先を急いだ。
気がつくと既に樹林帯を抜けて低潅木林となっている。紅葉も進んで いる。潅木が途切れて小広い平地に変った。急に風が激しくなった。目を上げると標識に『大石山』と書かれていた。大石山まで来たのだ。さてどうする。ここから杁差岳を往復するか。所要時間は急いでも2時間以上かかる。登山口からここまでコースタイム3時間30分を2時間15分で登って来た。時刻は11時10分、急げば杁差岳を往復する時間はある。意を決して杁差岳へ向かう。

大石山から一歩杁差岳方面へ足を踏み出すと猛烈な風に襲われた。足の松沢から吹き上げてくる突風に煽られて体がふらつ く。思わず地面に両手をついて風をやり過ごす。草原状の遮るもののない稜線、ここは風衝地帯となっているようだ。フードの上からたたきつけて来る雨粒で頬が痛い。素手が寒さにかじかんでいく。ザックをおろして手袋をしたいが、強風の中ではそれもできない。10月半ば、北国の山は瞬時にして冬山に変る惧れもある。これでは杁差岳往復は無理のようだ。 とにかく風の避けられそうなところまで進んで手袋をしなければ凍えてしまう。草原の中を緩く下って、ようやく風を遮る掘り割状になった潅木の陰に身を寄せ手袋をはめた。
進退を判断しなくてはならない。かつて体験したあの裏銀座での山行を思えばまだましだ、もう少し先まで行って見よう。中間の鉾立峰まででもいい。高さからいっても、そこまで行けば杁差岳を登ったのと同じことだろう。前進。

潅木帯を出たが不思議に先ほどの突風がない。勿論視界はないし、行く手も見えないが、これなら何とか杁差岳まで行けるかもしれない。ミヤマダイコンソウの葉が深紅に紅葉している。散り残った薄紫のマツムシソウが見られる。なぜかハクサンイチゲの花も咲いている。この稜線、花季には素晴らしいお花畑らしい。
コルから疲れを感じる足を励まして急登を攀じると、標識もないピーク に立った。ここが大石山と杁差岳の中間にある鉾立峰である。ここまでの急登と、足もとの急下降していくコースを見ると、このピークはかなりの鋭峰であることが想像される。ピークから再びコルへの下りとなる。相変わらずお花畑らしい草原がつづく。この感じは、先年私が日本百名山最後の飯豊連峰門内岳から飯豊本山へ縦走したときの稜線の景観を偲ばせるものだった。
コルから登りに変わり、いよいよこれが杁差岳への最後の登りと思う と、また元気が出て来た。
ひとしきり行くと金属音が聞こえて来る。途中で出会った登山者が 『杁差小屋は工事中です』と言っていたが、この音はそれらしい。濃いガスの中に小屋が現れ、この悪天の中で小屋の建て替えに働く4人が見える。新しい小屋がほぼ出来上がって、隣の古い小屋を解体しているところだった。

杁差岳の山頂は小屋のすぐ上にあった。
濃霧で20メートル先も見えないが、苦労して登り着いた山頂に満足感が溢れた。新潟大学ワンゲル25周年記念の立派な展望盤があった。石祠もある。寒い山頂で記念写真を撮ってすぐ下山にかかった。とにかく明るいうちに下山したい。
小屋にも立ち寄らずに来た道を引き返した。途中潅木の陰で初めて休憩を取り、パンをかじり、ジュースを飲んで一息いれた。
風衝帯ではよろけながらも、無事大石山へ戻ったのは1時を回ったところだった。ゆっくり下っても明るいうちに戻ることができる。ゆとりの気分が生まれた。
足の松尾根を下りかけると、登山口で一緒にスタートした登山者が登って来た。杁差岳まで行って来たというと、びっくりしていた。
登山口に降り立っころから上空に青空が見えて来た。遅ればせながら天候回復の兆しが出て来たようだ。
胎内ヒュッテ帰着は予定よりかなり早い3時45分だった。

新発田市、安田町経由、49号線を会津に向かった。
降りしきる雨の国道をひた走って、会津坂下町も近づいた道路脇に駐車して一夜を過ごすことにした。

翌日猫魔ケ岳へ登ってから東京へ帰った。