追想の山々1187 up-date 2001.11.21
八紘鉱山跡(5.00)−−−登山道入口(5.22)−−−尾根鞍部(5.55)−−−荒海山(7.05-30)−−−尾根鞍部(8.30)---登山道入口(8.55)−−−八紘鉱山跡(9.15)===東京へ | |||||||
所要時間 4時間15分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||||
幕営した八紘鉱山は、今は廃墟と化していた。昭和30年ころまで、人口何千人という賑わいを見せ、近くに学校まであったとは信じがたい静けさだった。 明朝の早発ちに備えて早々と就寝。 4時30分起床。 空を見上げると雲量は50パーセント。岸と渡って流れはだんだん細くなって来た。30分弱で小さい案内標識が右手の沢に降りるよう指示していた。 林道を外れて沢へ降り、飛び石をうまく使って荒海川源流を対岸に渡ると細い登山道に変った。 荒海川はすぐ二股に別れ、右の沢に入る。そのまま沢芯を、細い流れに靴を濡らさないように気を使って遡る。道らしいものはないので沢を遡って行くが、本当にそれでいいのだろうかと少し不安にもなる。ときには沢を高巻くようなところで道が現れて安心する。 『荒海山登山コース』のプレートがブナの幹にぶら下がっているのを見付ける。ここでコースは沢を離れて山腹を急激に登っていく。このまま山腹を急登して行くのかと思ったが、再び沢に入ってしまった。時おり水流が消えて伏流となる。 前方が明るく感じるようになると、ひといきで尾根に飛び出した。尾根に立つと、その向こう側には里の人家が点在して見える。蛇行する舗装道路は中山峠らしい。ここは標高1150メートル。1時間弱で350メートルの高度はややペースとしてはのんびりだ。
尾根道は小さな上下を繰り返し、思った以上に歩きでがある。目立つピークの四つ目を越えて、いよいよ最後の登りかと思い、一息入れてから歩き始めたが、まだ小さいコブを二つも越えなければなら なかった。 樹間からこぼれる朝日が気持ち良い。松の大木が紛れ込んだように一本だけある。植生の変化で最後に残った松かもしれない。 山頂への最後の登りは手足を総動員するほどの急登がつづいた。 ようやく低潅木帯となって視界が開けてきた。山頂直下の小屋を過ぎて1〜2分、変哲もない小さな頂きが荒海山頂上だった。山頂まで2時間だった。霞がかった大気に遠望はぼやけて那須方面は不明瞭、昨日の二岐山もわからない。会津駒ヶ岳や朝日岳の方向も判然としない。日光連山の太郎山、大真名子、小真名子、奥白根などが薄紫のシルエットで確認できただけだった。 三角点はこのピークから100メートルほど先のピークにあるらしいが、そこまで行っても展望は同じ。笹薮を分けて行くほどの値打ちも無さそうで行くのを止めた。 山頂の標識には荒海山の下に括弧書きで太郎山と記されている。会津側では荒海山、栃木県側では太郎山という二つの名前がついている。 期待した展望も得られず、25分の滞頂で山頂を後にした。空には秋を思わせる、箒ではいたような雲が広がり出していた。鉱山跡までは同じ道を戻った。 |