追想の山々1192  up-date 2001.11.23


大日ケ岳(1709m) 登頂日1995.04.29 単独行
鷲ケ岳林道キャンプ地点(8.30)===ダイナランドスキー場駐車場(8.55)−−−Bライナーリフト終点・1530m(10.05-10)−−−大日ケ岳(11.05-15)−−−アルファライナーリフト終点(11.50)−−−駐車場(12.20)===高鷲村湯の平温泉===東京へ
所要時間 3時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
2日間で岐阜の日本300名山4座を登る(位山・川上岳・鷲ケ岳・大日ケ岳)=58才
濃霧の大日ケ岳山頂


鷲ケ岳を下山すると次の大日ケ岳登山口へ自動車を向けた。
登山口のダイナランドスキー場まで30分もかからなかった。スキー場は大日ケ岳の南面に広がった大きなスキー場だ。駐車場の片隅に自動車を止めてただちに出発した。

今回の岐阜山行では大日ケ岳は予定に入っていなかった。下調べもないままの登山となった。
ゲレンデの整備用につけられた、くねくね迂曲する広い道を登って行く。ゲレンデは一面蕗のとおの栽培畑のようだ。次第に高度を上げて、道がなくなった後は適当にゲレンデの歩きいい所を選び、上部に見える右側のリフト終点を目指す。道がなくてもゲレンデは自由にどこでも登ることができる。見えて来た雪田の中にコースを変えると、リフトの終点だった。約1時間かかってゲレンデを登り切ったわけだ。標高1530メートルの表示がしてあった。残雪がまだら模様の大日ケ岳方面 がのぞめるが、残りの標高差約200メートルにしては、まだ相当の距離感がある。

リフト終点からは、林床が雪で埋まったなだらかなブナの樹林帯となる。残雪の白い世界に一変すると、吹く風も急に冷たく感じる。
樹林帯の雪には足跡が残されている。山スキーがあれば快適に歩けそうな手頃な傾斜だ。雪は堅く締まって登山靴が沈むことはない。ツアーコースとなっているのか、ブナ樹の高いところに、赤いペンキ印が見える。歩いているところは本来の夏道コースではなく、 残雪のときだけ歩けるコースだと思われる。(登って来るときにスキー場南側に見えた尾根が、正規の登山コースだった)
しばらく樹林の中を軽やかに登って行くと、はっきりとした稜線となり、 コースは右に直角に折れた。すると時おり雪が消えて夏道が現れる。足跡を拾うようにして進んで行く。ブナ樹の温かさで根回りだけ雪が消え、大きな穴となっている。深さは1メートルはありそうだ。雰囲気の良いブナ樹の道は、今朝肩を怒らせた登った驚ケ岳とはちがい、緊張感と無縁の穏やかな気分になってるのが、自分でもわかる。やがて樹林を抜けて目の前が開けると、雪の円頂が見えて来た。小 さな人影も見える。空に広がる雲で、雪原と空との境界が区別つかない。あの円項が大日ケ岳だろうと決めて登りついてみれば、先ほど見えた人影はそこになく、先行しているはずの登山者数人の姿も見えない。山頂であることを示す標識ひとつ見当たらない。だまされたような気分で地図を確認すると、山頂の手前に小さなピークが一つあることがわかった。よく見ると足跡はさらに先へ向ってたいた。本峰はもうひとつ先のピークだった。

鞍部へ下ると2、3の人影が霧の中に亡霊のように揺れ動いている。
鞍部からキックステップを使いながら登って行くと、最後尾の女性に追いついた。 福井県から来ているグループだった。「この先が頂上でしょうか」 と聞かれて 「地図で確認したから間違いないと思います」 と答える。疲れたのか山頂が待ち遠しい風だった。
昨日から4座目にしてはじめて山中で出会ったハイカーだった。
足元に目を落として一歩一歩登って行くと、賑やかな声が届いて、やがて山頂に立った。
一帯は深い霧に覆われて雪原状の広い山頂の全容はわからない。この山域屈指の展望台といわれる一等三角点山頂にもかかわらず、その片鱗 もうかがえないのが惜しい。北側には広大な雪の斜面がうかがえ、スキー場のゲレンデさながらの様子だった。大日如来像や灯籠など、信仰の山らしい様子を見せていた。肌寒い風に吹かれながら、パンをかじってから山頂を後にした。

山頂を後にしてすぐ、コースを左に折れなければならないところで、 見通しのない悪条件にうっかり直進。足跡が全く消えてしまったことに気づいてはっとした。ひたすらまっすぐ登って来たという記憶しかなかったのだ。

下山はスキー場南側の尾根に開かれたゲレンデを下った。 正面には今朝登った鷲ケ岳が大きく聳え、その背後には御嶽山をかすかにのぞむこともできた。フキノトウを採りながら、雪の残るところはシリセードをしたりして下って行った。

このあと4、5日は天気が芳しくないらしい。予定を切り上げて帰宅することにした。
いちばんの目標の野伏ケ岳を登れなかった悔いは残るが、2日で300名山4座を踏破出来たことに満足して、高鷲村の温泉に入り、2日間の汗を流してから東京への帰路についた。
中央高速は岐阜から東京まで強い雨が降りしきっていた。