追想の山々1208  up-date 2001.11.30


鳥甲山(2038m) 登頂日1992.09.12 妻独行
東京(3.00)===関越石打IC===林道登山口・ムジナ平(7.00-20)−−−万仏岩・鎖場(8.20)−−−休憩(8.45-55)−−−白くらの頭(9.40)−−−カミソリの歯(10.10)−−−鳥甲山(11.00-25)−−−カミソリの歯(11.55)−−−鎖場(13.30)−−−登山口(14.15)===切明温泉入浴===奥志賀林道===志賀高原高天原へ
所要時間 6時間55分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
秘境「秋山郷の300名山=55
鳥甲山


 『栄村秋山郷』  秘境の代名詞のようなこの僻地の所在は、地形、交通路等から新潟県に属するべき地域と思われるのに長野県である。長野市に勤務 していたころ「あまりの僻地で新潟県から見捨てられるようにして長野県に編入された」というような話を聞いた記憶がある。
五箇の荘、祖谷、五木などとともに秘境としてすぐ頭に浮かぶ秋山郷も、今では新潟県側からの交通路の外に、信州志賀高原からも夏季は林道が開かれている。

しかし栄村秋山郷はやはり山奥だった。
切明から秋山林道へ進入、むじな平の登山口に着いたのは7時だった。見落としそうな表示が登山口を教えてくれた。そこは自動車が3〜 4台止められるほどのスペースがあった。
雨が降っている。雨支度に身をかためて出発。ブナ林の中の急登から始まる。妻の足に合わせてゆっくりと足を運ぶ。ひと汗かいて潅木の尾根に登り着く。 尾根道もまた急な登りだった。案じた雨はたいしたことなく上がって、雲 も少し薄くなり、これ以上悪くなる心配はなさそうに見える。ちょっとした鎖場を通過する。ここが万仏岩のようだ。 鎖場を慎重に登り終わると、そのあと次々と現れる小ピークを越えて行くようになる。ガスで前方遠くは見えないが、ひとつピークに登り着くと、またつぎのピークが待っているという急な登りを繰り返す。妻は帰りの急な下りを今から心配していた。とき折ガスが切れて眼下の展望が開けると、秋山郷の集落が俯瞰できる。

低潅木の痩せた尾根が長く続いて、もう森林限界を越えたのかと思っ ていたが、今度はコメツガの樹林に入った。傾斜もいくらか緩んで来た。そして白くらの頭という小さな標識のある地点に着いた。標高1900 メートルを越えて鳥甲山2038メートルに近い。ここから約150メートルほどの高度を下って行く。相変わらず黒木の木立がつづいている。
道は岩まじりとなって様相がやや厳しくなって来た。また雨が降りだしてきた。脱いだ雨具を着る。
このコースー番の難所、カミソリ岩というキレット状の岩稜に出た。この岩稜や崩壊地をへつって最低鞍部に降りてから最後の登りがひかえている。両手を使えるようにと、ストックはここに残して鎖やロープに掴まって岩場を下降、その後千仭に切れ落ちた痩せ尾根や、崩壊壁のトラパース、 木の幹にしがみつくような急下降をしてようやくコルだった。ときおり獣臭が鼻をつく登りを頑張ると、屋敷温泉からの道と出会った。ここから山頂への道が左手に別れて、小さなお花畑などを通り5分程で岩の山頂だった。3時間40分、コ ースタイムをかなり短縮していた。
雲でまったく展望がないのが残念だ。記念写真を1枚撮ったところで、カメラの電池が上がってしまい、このあと写真もとれなくなってしまった。

20分程休憩の後、下山の途についた。
急な下りに妻の足は遅々として前に出ない。急傾斜を見ただけで、滑りそうな恐怖感が先行し、へっぴり腰になってますま す安定感、バランスを悪くしてしまう。
カミソリ岩まで戻るころ、空が明るくなって鳥甲山の山頂がガスの合間に姿を覗かせてくれた。対面には赤ぐらの頭が、赤茶けた岩肌を不気味にさらけ出していた。
コメツガの樹林を出て潅木の痩せ尾根の下りになると、雲に隠れていた苗場山が姿を見せはじめ、やがてその全容が目の前に広がった。

下山後切明温泉の雄川閣で入浴。秘境秋山郷を後に志賀高原へ向かった。鳥甲山の登山口を右手に見て、砂利道の林道を走り奥志賀林道に出ると有料道路らしく、未舗装ながらいい道となる。 奥志賀、一ノ瀬とスキー場を見ながら、今日の夜営地を物色。空地を見つけてテントを設営した。
明日は岩菅山に登る予定にしていた。