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≪1992.09.13 東館山〜寺子屋山〜岩菅山へ≫    ≪2004.08.04 一ノ瀬〜岩菅山往復≫    ≪2011.07.10 一ノ瀬〜岩菅山往復≫

岩菅山(2295m)
登頂日2011.07.10      長男同行       地図・・・岩菅山(高田)       一等三角点
極楽平上登山口(7.00)−−−アライタ橋(7.30)−−−中間地点(8.20-8.25)−−−のっき(9.00)−−−休憩(9.05--9.15)−−−岩菅山(9.40-10.05)−−−のっき(10.25)−−−中間地点(10.50-10.55)−−−アライ沢(11.27)−−−下山(11.55)

肩から見る岩菅山山頂

腰痛の不安を抱えて7年ぶりの岩菅山へ登った。

来宅していた長男が同行。今年は思いっきり早い梅雨明けとなり、好天を期待。

一ノ瀬聖平の登山口には数台の車が駐車している。登山口の標高は1535m、山頂までの高低差は760m、ほどよい楽な行程。

昨日の強雨で樹林はしっとりと潤い、肺の中が洗われるようだ。木段で小三郎小屋跡まで登ると、しばらく用水路に沿って瀬音を耳にしながらの平坦道を行く。

アライタ沢の清流を渡るとようやく山道の登りとなる。階段と地道を繰り返す

岩菅山山頂にて

。ぬかるみが多い。生い茂る樹林が真夏の陽光を遮ってくれてありがたい。

梢からは降るような野鳥の囀りが絶えることがない。

ゆっくりしたペースで中間点を通過、ガイドブックの時間とほぼ同じペースだ。

樹木の間から岩菅山の頂上部が見えてきた。遠望する姿とはちがい、ここからは堂々たる風格を感じる。それもそのはず、岩菅山は日本300名山、信州百名山、一等三角点の百名山などの肩書を持つ名山である。

*
一等三角点 ハクサンチドリ

登山道脇のいたるところコゼンタチバナの花が見られる。背後には焼額山や横手山などがうかがえる。

息のきれるような急登もなく、コメツガやダケカンバの大木に目をやり、岩菅山の肩ともいえる“のっき”に着く。

のっきから山頂までがこのコース唯一の急登、展望を期待していた好天だが、いつの間にか眼下の谷からガスが上がってくる。展望が失われていくのは残念だが、その分花々が楽しませてくれる。ウラジロヨウラク、コバイケイソウ、ハクサンチドリ、アカモノなど。

何とか展望をと願いながら山頂に達したときには、すでに周囲の山々は雲の中に閉ざされていた。一等三角点を確認し、清涼の風に下界の暑さを忘れてしばしの休息。

展望の期待は外れてしまったが、気にしていた腰痛も案ずるほどのこともなく無事登頂し、同じルートで引き返した。

往復の所要時間は約5時間、7年前に裏岩菅山を往復したときの5時間と奇しくも同じ。老化と腰痛を考慮するとまずまずの楽しい登山であった。


岩菅山(2295m)・寺子屋山(2125m)・東館山(1998m)
登頂日1992.09.13 単独行
高天原バス停(5.20)−−−東館山(5.55)−−−寺子屋山(6.25)−−−金山沢の頭(6.35)−−−ノッキリ(7.25)−−−岩菅山(7.45-8.05)−−−岩巣護橋(8.55)−−−高天原バス停(9.45)===東京へ
所要時間 4時間25分 1日目 ***** 2日目 **** 寺子屋山 三等三角点
岩菅山  一等三角点
志賀の名峰・日本300名山=55才
冬の岩菅山・スキーの際に撮影した写真


5時、テントを畳んで高天原スキー場下のバス停へ移動。
昨日の鳥甲山で疲労の残る妻を自動車に残して私一人岩菅山へ向かう。
東館山までは夏季でも運行されているスキーリフトに乗ればわけないのだが、運転時間は8時半から。それまで待つわけにはいかず、スキー場のゲレンデを歩いて20分でリフト終点に着く。毎年のようにスキーに来ているゲレンデだが、雪のないこの時期はまるで違う場所のように見える。

リフト終点からは観光客も歩ける遊歩道が、高山植物園の中を通って2020メートルの東舘山頂上へ達するようになっている。夏の季節が過ぎて今は目ぼしい花はほとんど残っていない。
曇り空だが雨の心配はない。東館山頂上からは、岩菅山へと延びる尾根がのぞめる。思っていたよりかなり距離もあるし、途中のアップダウンもありそうだ。
親切な道標が随所にあって地図をまったく必要としない。
東館山からいっ たん下ってから林道のような広い道を行くと、寺小屋山スキー場のゲレンデとなる。ゲレンデ草地の真ん中を適当に登って最上部に着くと、寺小屋山への登山道が始まった。せっかくの丸太階段も崩れて、かえって足元を悪くしている。 トウヒ樹林の坂道をわずかで寺小屋山頂上だった。山頂とはいうものの、 登山道の単なる途中という感じで、三角点も道の真ん中にあった。トウ ヒに囲まれて眺望はない。(昭文社地図にはここが前寺小屋山とある)

寺小屋山から10分余で金沢山の頭の標識がある小突起に着く。赤石山への分岐でもある。以前は赤石山からさらに野反湖まで登山道がつな がっていたらしいが、その道は風倒木で通行不能の旨の表示があった。(昭文社地図ではここが寺小屋山となっている)
トウヒの木立も間もなく終わって潅木の道となり、上下する登山道の先に一際高く岩菅山が聳えていた。山頂部には笠雲がかかり、山頂からの展望は期待できそうもない。オヤマリンドウ、ハクサンシャジンが風に揺れていた。マウテンバイクのタイヤ跡が残されていたが、登山道が荒らされるのが心配だ。
小さな登り降りを繰り返してながら、だんだん岩菅山が近づいて来た。
再びトウヒの中に入ってコブを越えると、一ノ瀬からの登山道と合するノッキリだった。岩菅山頂上にかかっていた雲はすっかり取れていた。山頂への最後の登りは、見た目にはなかなかきつそうだ。コースタイムは1時間、登りだすとすぐ樹林が切れて、草地から裸地、岩轢、巨石の道へと変化して行く。途中休もうかと思いながらも、足が勝手に前へ進んでしまい、 最後に小さなトウヒ林を抜けると傾斜が弱まって、そこがもう山頂の一 角だった。

休憩なしの2時間半、山頂には石祠や石碑など賑やかだ。土塁に囲まれたような避難小屋もある。
山頂にかかる雲はなくなっていたが、遠望ははっきりしない。目前の裏岩菅山の後ろ手、右に苗場山と左には昨日登頂の鳥甲山がある。白砂山、佐武流山も見えているはずだが、重なり合う山並みの中のどれかはっきりと指呼できない。その背後にかすんでいるのは谷川連峰らしい。横手山、笠岳などの志賀の山々、遠く浅間山、北アルプスがにじんで見える。戸隠連山の右手には高妻山、黒姫山、妙高山、飯縄山など北信五岳の一員たち。
十分とは言えないものの、まずまずの展望を楽しんでから下山の途に ついた。

帰りはさきほどのノッキリから一ノ瀬への道をとった。どんどん下って岩巣護橋なる丸太の橋を渡ると、用水路に沿った平坦道となり、延々一ノ瀬スキー場までつづいている。
一ノ瀬スキー場は何回もスキーで滑り降りたゲレンデで、勝手知ったその下部を横断して行くと車道に出た。志賀高原25キロや15キロのマラソンで何回も走った懐かしい車道である。そこから高天原はもうすぐだった。