追想の山々1207 up-date 2001.12.01
上野駅823.58)〓〓〓青海駅(5.43)−−−電化工業最奥の事務所(6.25-30)===最上部採石場(6.45)−−−田海コース分岐(7.50)−−−黒姫山88.25-55)−−−採石場(10.10)−−−事務所(1.50-11.10)−−−青海駅(11.45)〓〓〓上野へ | |||||
所要時間 5時間00分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||
海辺の駅から山頂をめざす。日本海の300名山=57才
不愉快な出発となってしまった。 金曜日の夜行は混雑するだうろ。指定席を取らずに早めに上野駅へ着いて列の後ろに並んだ。心配なく座席を確保できそうで安心する。 混雑しているホーム。列をつくっている人達の横で、新聞紙を大きく広げ、車座になった4人の登山姿の男女が、登山用コンロで煮炊きしながらビールを飲んでいる。かな り早くから来ているのだろう。人の目を憚る風もなく、人々の通行するホームの真ん中、公共の場を占領して酒盛りをする無神経さ、傍若ぶりは目に余っ た。それも学生風情ならまだしも、年長は50台も半ばの男や45才前後の女、いずれも分別ある年代をとうに越えた人達だ。苦々しさはさらにつづく。 列車が入線して人々が乗り込んだ。たちまち座席は埋まって行く。私も空いた席を探して奥へ入って行った。座席を回転させて向かい合わせにした席が、通路を挟んで左右にあるが、一方には大きなザックをでんと置いて1人座っているだけ。『空いていますか』と尋ねると、『来る』という。もう一方も3人とザック、 やはり『来る』という。4人はホームで酒盛りをしていたグループだった。仲間が8人もいたのだろうか。しかたなく奥へ進んで、ようやく席を一つ見つけることができた。あの並び具合だったらゆうゆうと座蹄が確保できるはすだったのに、一体どう したことだろう。 座席を取れずに立ったままの人が増えて行く。例のグループのところで、何人もの人が声をかけるが、空いていないといわれて通り過ぎて行 く。どうもなっとくできない気持ちで、じっとその成り行きを観察していた。そんな状態で15分か20分も過ぎただろうか。発車まではまだ15分ほどある。1人占めしていた50才台の男が 『来ないようだから』と言って席を立ち上がり、3人の仲間の方の席へ移動して、たまたま近くに立っていた客が座った。私は怒り心頭に発する思いをぐっと堪えた。あわよくば4人用の座席を2人で占領して、足を延ばして行こうと思っていたのに違いない。立ち客が通路いっぱいになってきて観念したのだろう。同し登山者としてその公徳心のなさに、怒りを通り越し情けなくなってしまった。よしんば後から来る仲間の為に席を取っていたのだとしたら、これとても許せる行為ではない。 結局彼らの心得ちがいにより、長いこと列に並んで、正当に席につけるはずだった何人かは、座席に座れず立ったままの夜行列車になってしまったのだ。大勢の乗客の面前で、ことの次第を話してその非常識な行為を詰問してやろうかと思ったが、それもこころないことと思い止どまっ た。 糸魚川で下車、各駅停車の富山行きに乗り換える。 車窓に移り変わる稲穂を垂れた田園や、日本海の眺め、そして青海黒姫山の姿などを眺めて青海駅に着いた。下車は私一人だった。 駅前から海岸どおりの国道へ出て西へ少し行くと、青海川のループ橋に出る。国道と別れて青海川の右岸に沿った道を山へ向かって進む。目の前には黒姫山がどっかりと聳える。しかしここから見えるのは三角点のピークではない。本物のピークはその奥にあった。 セメント工場の中を、一般道だか、工場の私道だかわからないが、適当に歩いて行く。犬と散歩中のおじさんに登山口を教えてもらった。「昨年も道を間違え、沢に出て滝から落ちて死んだ人がいるから気をつけて」と注意を受けた。 黒姫山は電化工業の所有で、全山石灰岩からなっている。見上げると採掘の跡も生々しく、大型の機材が望まれる。武甲山と同様、石灰岩の採掘で山の姿が変わりつつあるのも共通だった。 旭橋のたもとにある事務所に寄って入山の許可を依頼。感じのいい社員が、上部の登山口まで自動車で送ってくれるという。採石運搬車専用の舗装道は、歩けば1時間以上かかるという。ありがたく好意に甘んずることにした。この社員は昨年勤続30年の記念休暇をもらって西穂高岳から不親知まで12日間かけて縦走したという話をしてくれた。 自動車は一番上の採掘場まで登った。ここはすでに海抜430メート ル、だだっ広い広場になっていた。残りは800メートル。下から歩けば1200メートルであることを思えば、随分楽をしてしまった。登山道入口はその広場の端に、小さな看板で示されていた。 社員に丁重にお礼を述べて、早速登頂を開始する。 最初は使われなくなって久しい、夏草の茂った車道を歩く。すぐに山道に変った。薮がうるさく先が思いやられたが、それもいっときで、 あとはしっかりした登山道になった。しかしその急登ぶりは大変なものだ。胸つく急登がゆるまずにつづく。長いこと雨が降らずに比較的乾いていたからよかったが、雨後などは滑ってどうにもならないだろう。 標高から言えば低山だが、そこは雪国、すべての潅木は雪の重みで根元から曲がっている。ところどころ露出した岩はすべて石灰岩である。大きな岩が目につく ようになると稜線は近い。 田海コースとの分岐の先が稜線だった。樹林の頭越しに黒姫山の山頂が見えて来た。岩角や杉の根がからむ歩きにくい綾線だが、道は明瞭で見え隠れするピークを目ざして行く。 登山道脇の草むらに、山小屋がつぶれていた。 やや急になった道を登り切ると、黒姫山手前のピークだった。黒姫山三角点は目と鼻の先、一投足のところだった。岩角鋭く尖った白い石灰岩を踏んで登りついた山頂は一等三角点、素晴らしい展望の頂の筈だった。 真夏の太陽はかんかんと照りつけているのに、霞みのべ一ルが遠望を遮っていた。ぼんやりと見えるのは、雪倉岳から犬ケ岳への長大な尾根、ほんのりとかすかに白馬連峰、頚城山塊などが、大展望の片鱗をうかがわせるのみであった。 山項にはコンクリー卜造りの社が、いかにも風雪に耐えた感しで鎮座 していた。 涼風にしばらく休憩の時を過ごしてから、おなじ道を戻った。 事務所 に寄って下山の報告をしてから、旭橋の河原に降りて、すっ裸になり水浴をする。水はほどよく温んでまことに気持ち良い。 炎天下を青海駅まで歩き、ビールに舌づつみを打って、また1座日本三百名山を登頂した満足感で帰途についた。 青海駅→直江津駅→長野駅と乗り継いで上野へ向かった。 |