追想の山々1208  up-date 2001.12.02

七面山(1982m)〜八紘嶺(1918) 登頂日1990.11.22-23 単独行
●身延駅(9.31-55)==バス==七面山登山口(10.40)−−−15丁目(11.50-12.00)−−−安住坊(12.15)−−−明浄坊(13.00-20)−−−奥の院(13.50)−−−敬慎院(14.20)
●敬慎慎院(7.10)−−−七面山(7.40-50)−−−希望峰(8.10-15)−−−第二三角点(8.55)−−−インクライン跡(9.30)−−−八紘嶺(10.00-20)−−−富士見台(11.00)−−−梅ケ島温泉(11.50)===温泉入浴後バスで静岡駅へ
所要時間  1日目 3時間40分 2日目 4時間40分 3日目 ****
霊峰富士の姿が印象的=53
敬慎院山門を額縁にした黎明富士


品川駅、東海道線朝一番の普通列車に乗車。
車窓からの富士山が美しい。身延線に乗り換える。身延駅から雨畑行きバスに乗車、七面山登山口下車。七面山へのコースは表参道と、裏参道の二つ。車道を3〜4分で案内看板を確認し、裏参道へのコースに入る。すぐに『七面山』と額縁のかかる立派な鳥居をくぐって、薄暗い樹林の登りへ取りつく。
連れとなった男性と、ぼつりぽつり会話を交わしながら、かなりの急勾配をゆっくりしたペースで進む。 参道には『××丁目』の石標が丁目ごとに置かれている。じぐざぐの急登に汗びっしょり。十五丁目で小休止。

安住坊の先、しばらくは尾根を右に巻く緩い勾配にほっとするが、ふたたびきつい登りとなる。しかしこれまでの一本調子の登りからすれば、緩急があって気持ちは楽だ。 『三十九丁目』を過ぎ、そして最終四十丁目の石標は分からなかった。暗い北向きの道を登りつい たところに石垣が見えてきて奥の院だった。立派なお堂や参籠所もあって、人の出入りが見え る。樹木に覆われ、山腹にへばりつくようなこの神域は、幽玄な気が満ちている。『影響石』という巨岩に太いしめ縄がかけられ、その回りをお百度のように参拝しながらまわり続けている信徒の姿も見える。

奥の院から敬慎院への道には、白装束に身を囲め、うちわ太鼓を鳴らしながら歩く信徒の列がある。
敬慎院は広い境内を有し、千数百メートルの高所とは思えぬ立派な建物が並んでいた。近代的な運搬手段もない昔、よ くもこの高所に建てたものと驚いてしまう。
社努所で受付をする。昨日連絡を入れておいたのですぐ部屋へ案内される。30畳以上もありそうな大きな部屋だ。石油ストーブが赤々と燃えている。宿泊代は2700円。
夕刻4時頃、富士山を眺めるために、山門先の遥拝所に行くと、快晴のもと、傾いた陽を受けた富士山が絵のようだった。愛鷹連峰、毛無山、雨ケ岳、大菩薩、奥秩父連峰、そして樹木のかげに北岳、間ノ岳の展望もある。夕日が陰り、天子ケ岳、ついで毛無山、雨ケ岳と黒いシルエットに変って行く。富士山も刻々と色を変え、最後にその富士山だけに残った陽光も下から上へと翳って、やがて黒々としたシルエットとなった。足元の土はすでに固く凍っている。
夕食の前にご開帳があって宿泊者は拝殿に参集。御神体の祀られる扉が開かれ、上人によるお題目と読経がつづく。火の気のない大きな拝殿は寒さが染みる。最後にお札をいただいて部屋に戻り夕食となる。
精進料理はいかにも質素だ。人参、大根などの煮付けが合わせて3切れ、昆布の佃煮少々、さいの目切りしたたくあんが少し、それにみそ汁とご飯。13人に対して冷や酒の徳利が一本、朱塗りの杯で一杯づつ回し飲んだ。
信徒の人々の話に耳を傾ける。「現世利益を求めない」とか、「人に功徳を与えればいつか報われる」・・・・・・・・。
食事がすむと次は夜の御勤行。再び寒い拝殿に座してお題目を唱え、読経と堂を轟かす太鼓の響き、この日の参籠者の安泰を祈願してくれる。そして一人一人の祈願届けに対し「商売繁盛」「合格成就」「家内安全」「闘病平癒」などとともに、祈願者の名前が読み上げられる。先ほど部屋で現世利益を求めないといっていた言葉を思い出して苦笑。祈願の中には現実的で目先の生々しい願い事のいかに多いことか。教えとして理解していても、実生活はそれとかけ離れ、いかに我々は愚かであるかが理解できるとともに、だからこそ愚民を救う傑出した先導者が必要なんだと納得する。
最後の上人の話に「七面山からの富士山こそ日本一。そしていまから冬がいちばん良い。それは間を流れる富士川の水が、水蒸気となって立ちのばらないから」という説明があった。明朝は気温はマイナス5度くらいですという。
当院名物の巻き布団にくるまり寝入った。

七面山
朝4時を過ぎると何となく宿坊内に動きの気配が出て来て、5時には起きだして洗面所あたりに行き来する人が増えて来た。6時15分頃という日の出に合わせて5時半起床、ありったけ着込んで5時45分外に出る。白み始めた空に名残の星がまたたいていた。
山門へ上がって行くと、その山門を額縁として黎明の富士山が目に飛び込んで来た。遥拝所に立つと、冷気の中、ぴんと張り詰めた大気を通して富士山が黒々と聳える。神々しいまでに動きのない世界だった。
広大な視界の中には雲ひとつ見当たらない。大気はあくまくで澄みきり、山影の上空は既に橙色に染まって、これから始まる朝のドラマに期待を抱かせる。眼下に静岡市、甲府市の街の灯が弱々しくまたたいていた。 やがて信徒が集まりお題目を唱え始める。ご来迎の時が近づく とお題目と読経の声は高まり、そして絶叫へと変って行く。それは部外者の我々にはおどろ恐ろしげな光景であった。ただもう憑かれたかのごとくに絶叫し、気合を入れつづける老若男女。

日の出は愛鷹連峰の右手から現れた。深紅の太陽が半分ほど姿を現したころ、突然金色の光を放つ。火球に金冠をいただいたような姿に見えた。信徒の人垣の後ろに立つと、シルエットとなったその信徒の隙間を通し、曙光が光の筋となって走っていた。
改めて大展望を満喫する。眼下には身延山。富士山の右手に天子ケ岳、そして遠く愛鷹連峰とその背後かすかに箱根連山・静岡市街から海岸線・水平線の陸地はどこだろうか。左手には毛無山と雨ガ岳。その後ろ三ツ峠山と道志山塊、 左に大菩薩連嶺と奥秩父連峰、目を凝らすと瑞牆山が確認できた。

宿坊へ戻り朝食を済ませて7時10分敬慎院を後にした。
霜の道を踏み締めて七面山への登りを行く。朝の御勤行の読経が山を包むように響き渡っている。眺望のない樹林や笹の中を登って行くと、大がれの縁に出る。覗きこむとすさまじい崩壊が見える。あとひと登りすると七面山の山頂だった。樹木に囲まれた、わずか北西に開いた展望から、笊ケ岳、北岳、間の岳などがのぞめた。

山頂を後にして雑木や植林地の道を辿ると、ほどなく希望峰と表示のある凸部に着く。ここは休まず先へ進む。小さなアップダウンはあるが黒木の原生林の落ち着いた道だ。心配されたルートも『七面山−梅ケ島』の表示が各所にあって安心して歩ける。
苔蒸した倒木とツガ、シラベの原生林がつづく。七面山で先行して行った四人に追い付き、そのまま第ニ三角点まで一緒に歩く。このあたりも雑木等に遮られて展望はない。足場の悪い急坂を一気に下る。先ほどの四人はみるみる後ろに離れてしまった。急坂の下りから次のピーク八紘嶺へつづく稜線が見える。幾つかこぶを越え、倒木を越えて八紘嶺を目指して進む。ときおり木の間越しに見え隠れする南アルプスの眺めを楽しみに、歩きにもいつもの調子が戻っていた。

八紘嶺
予定よりかなり早く八紘嶺の山頂に立った。
八ヶ岳・鳳凰・仙丈・北岳・間の岳・塩見・荒川・赤右・ 聖・上河内・・・。東には絵のような富士山があった。好展望の山頂を辞し、八紘沢の頭を越えると左手に七面山連嶺がよく見えて来た。明るい南斜面の道を梅ケ島温泉への下りをひた下る。富士見台が富士山見納めの場所だ。見胞きるほど見てきた富士山をもう一度望見してから、温泉場へかけ下った。

梅ケ島温泉は大勢の観光客が占めていた。静岡市営の共同温泉風呂で汗を流し、山旅の締めくくりをする。
梅ケ島温泉のある安倍川渓谷は紅葉が今盛りだった。