追想の山々1216  up-date 2001.12.10


雨飾山(1963m) 登頂日1989.10.15 妻同行
小谷村雨飾山荘前で前夜幕営===登山口(4.20)−−−広河原(4.30)−−−荒菅沢(5.40-50)−−−県界尾根(6.50)−−−雨飾山(7.10-20)−−−荒菅沢(8.00)−−−登山口(9.00)
所要時間 4時間40分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
満艦飾の紅葉を愛でながら=52
ツタウルシの紅葉


小谷村で国道と分かれて山間へと入って行く。学校をひけた小さな子供が道草を食いながら歩いている。センスなどとは無縁な服を着て、石を蹴飛ばしたり、棒切れをもてあそんだり、しゃがみこんで虫でも見ているのか、気ままな挙動がほほえましい。都会の子供には見られになくなったそんな姿が新鮮で、はるか過ぎ去った遠い昔の自分に重なる。子供らしい無垢、無邪気が溢れていた。これが子供なんだなあと思う。

3時前、目的地の雨飾荘へ到着。前日の照会で満員と言われてテント持参で出かけてきた。駐車場の一画にテントを設営する。
登山口の視察に行く。自動車で10分ほど行くと『雨飾登山口』の道標があり、 ここから車幅一杯の狭い道を3〜400メートル先に駐車場があって、そこが行き止まりとなっていた。あでやかな紅葉に染まる山あいの彼方に、岩峰も凛々しく聳えるのが雨飾山である。思ったよりずっと距離感がある。
夜中、テントを打つ雨音に目が覚める。小雨程度のようだが山頂は雪の可能性もある。
予定どうり4時少し前、テントはそのままにして登山口へ向かう。

歩き始めると、月は山の端に落ちて墨を流したような闇となる。懐中電灯の小さい光を頼りに真っ暗な登山道は、、起伏のない道から木道へとつながっている。木道もわずかで荒菅沢の川原に出る。広河原だろう。依然夜は明けないが、登山道は明瞭で迷うことはない。ルートが荒菅沢を背にして樹林の山腹にかかると、気合を入れ直されるような急登が始まる。妻はすぐに汗を流している。深い樹林の中をヘッドランプの光の輪が揺れ動く。このきつい登りを帰りはどうやって下りよう かと、妻はそれを心配している。
急登が媛んで一段落するころ、ようやくあたりが白んできて、 懐中電灯が要らなくなった。
荒菅沢を見下ろす小さな峠で展望が開けると、前面一杯に広がる紅葉の波が目に入って来た。しかし朝の光はまだ十分ではなく、色彩は淡く薄い。空模様は一部青空も見えるが、あまり芳しくない。荒菅沢の奥に立ちはだかる岩稜が有名な『布団菱』の岩壁だろう。写真を撮るにはまだ光線が足りない。

雨飾山山頂
道は峠から荒菅沢へと下る。広い沢を清烈な水がほとばしる。これから本峰への本格的な登りである。とっつきから厳しい急登がつづく。雨上がりの赤土が滑り、妻のペースは大幅にダウン。登ったとしても、どうやって下っていいかわからないと不安がっている。霧が覆いはじめる。苦労して頂上へ辿りついても、 眺望は望めないだろ。樹林帯を抜け出してようやく展望が開けたあたりで、妻は折り返し、私だけが急いで頂上を往復してくることにする。

妻にはゆっくり下るように言い置いて、私一人山頂へ向かった。 ガラ場、露岩の急峻を潅木や笹を支えに登り着いたところが、笹原という高原状の稜線である。ガスが間断なく流れて視界は2〜30メートル、その広濶な景観も実感出来ない。霧雨に煙る笹原の道は、ところどころぬかるみがひどい。
右手梶山温泉からの登山道と合してまっすぐ進むと、岩場の急登に取り付き、これを一気に詰めると山頂だった。
小さいながら双耳峰で、北峰には数体の石仏や石祠が並んでいた。山頂を示す標柱は南峰にあった。展望もなく小雨交じりの強風に寒さが身に染みて早々に下山。

闇の中を登ってきた道も、明るくなって辿ると、ブナやカエデやツタが、目にもあでやかに飾られていた。 妻に追い付くころ、登山者に次々に登って来た。
下山後、雨飾荘近くの野趣豊かな無料露天風呂で汗を流してから帰路についた。