追想の山々1218  up-date 2001.12.12


石鎚山(1982m)〜ニの森(1929m) 登頂日2000.11.10 単独行
奈良(22.10)===明石大橋===西條===土小屋(7.45)−−−石鎚山−−−ニの森−−−石鎚山(12.00)−−−土小屋(13.15)===中津明神山へ移動
所要時間 5時間30分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
「ニの森」は一等三角点百名山=63
左奥・ニの森(石鎚山から)


鳴門大橋−徳島自動車道と走り、深夜1時30分、上板SAで仮眠タイム。目を覚ますと3時半、頭もすっきりした。さらに松山自動車道を走り、西条ICから勝手知った道を寒風山トンネル方面へと向かう。瓶ケ森林道を石鎚山登山口の土小屋を目指す。未舗装の悪路だった林道が、全面舗装されている。ホワウトアウトのような濃霧、土小屋に着いてもどこがどうなのか見当がつかない。

霧雨模様の濃霧の中、雨支度で出発した。国民宿舎玄関の前を通り抜けたところで登山道となる。この道は石鎚山への最短コースでもある。手入れの行き届いた道は、公園の遊歩道を歩いている感じがする。急勾配もないし、鉄の桟橋などが敷設されていて、幼児でも楽々と歩ける。成就社からのコースが合流するあたりは、眺望の良いところだが、今日はただ乳白色の霧が漂っているのみ。
霧雨の中、鎖場は避けて巻き道を行く。前回石鎚山登頂の折り、雪の付いたこの鎖場は経験ずみである。
石鎚山頂上直下で二の森方面へのコースへ入る。様子は一変、ごく普通の登山道という感じとなる。二の森へは一度大きく下る。標高差にして200メートル以上下り、再び登りかえすということになる。晴れていれば、石鎚山などを眺めながら、知らぬ間に歩いてしまうところだと思われるが、足元に視線を落として、ただ義務感で足を進めている気がしてくる。

最低コルから二の森への登りにかかかる。コース案内にはコルから1時間20分となっているが、実際には40分しかかからずにニの森山頂に達した。残念ながら眺望はゼロ。晴れていれば最高の展望が得られただろうに、それが惜しまれた。一等三角点を確認し、同じ道を戻る。
最低コル付近に、赤く錆びた標識が立っている。字は消えていて何が書かれているか不明だが、西冠ケ岳への分岐のようでもある。笹の中、かすかに踏跡か獣道か区別のつかないような一筋の跡がある。笹を分けて進んでみる。しかし途中で完全に消え去り、深い笹と薮にはばまれ、進むのを断念する。天気がよく、見通しがきけば、何とか歩けないことはないだろうが、この濃霧の中ではどうしようもなかった。

帰りは弥山山頂に立寄る。30〜40人の登山者がたむろしていた。ガスで鋭鋒天狗岳は見えない。石鎚山に登ったのは11年前の、時期も同じ11月。そのときの天狗岳はエビのシッポと霧氷に飾られていた。今日は濃霧だが寒さ感じない。
石鎚山を後にして、土小屋へと下って行くと、途中登って来る大勢の人たちと出会った。子供連れ、若いカップル、老人グループ・・・・など。この整備の行き届いたコースなら、誰でも安心して登れる。石鎚山登頂コースの中で、観光コースとでも言ったらいいだろう。
土小屋へ下山。石鎚ラインを面河方面へ自動車を向けた時、振り返ると雲が切れて二の森あたりが姿を現した。雲は急速に消えて、石鎚山の全容も見ることができた。
面河への渓谷沿いの道は、今が紅葉の盛り、目にも眩い色彩がふんだんに溢れていた。紅葉狩り気分のドライブで、四国45番札所「岩尾寺」のある古岩尾温泉へ入浴してから、明日の予定「中津明神山」の登山口へと向かった。
 
1989年11月2日・ロープウエイ駅から石鎚山を往復
 東京→坂出夜行直通バス。JR坂出駅〓〓〓西條駅(8.42)。タクシー相乗りでロープウエイへ。
山頂成就社駅(10.15)−−−成就社(10.30)−−−試しの鎖(11.20)−−−石鎚山・弥山(12.30)−−−天狗岳−−−弥山(12.55)−−−ロープウエイ成就社駅(14.40)   行程4時間25分、このあと剣山へ向かう。行程3時間25分


石鎚山天狗岳と霧氷

昨夜東京駅八重洲口を2030に発ったバスは夜通し走りつづけてきた。明け方、瀬戸大橋にさしかかった。世紀のプロジェクトとして完成したこの連絡橋も、今の

私にとってはたいして興味もなく思うは山のことばかり。四国の山並みが浮かんで来たものの、目を引くほどの山容は見えない。坂出には予定よりやや早く到着。 
四国初日はまず石鎚山である。坂出からJR予讃線で伊予西条へ。車中登山姿の人と座席が隣合わせとなる。「百名山」ですか、と聞かれる。彼は寝台特急“瀬戸”で坂出まで来た由。やはり西条から石鎚を目指すとのことだった。

西条駅に降り立つと彼方に高い奥山が望める。すぐに石鎚山であることを確信する。
バスまでは約1時間の待ち。汽車で一緒になった彼に声をかけると、やはり時間が惜しいのでタクシーにしようということになる。割り勘で一人2000円強。早速石鎚ロープウェイの下谷へ向かう。これで帰りは1便早いバスに乗れる。ありがたい。
バスは谷あいを遡ってどんどん奥へ入っていく。ダム湖の鏡のような水面に、冬鳥たちが無数に浮かんでいる。
山頂部が白い石鎚山が見えてきた。霧氷のようだ。2000mに満たない南国の山に霧氷を見るなど思いもよらないことだった。 

石鎚山への登山路はいくつかあるが、日程、足の便等の関係で石鎚ロープウェイを利用した。山頂まではたかだか600m余の高低差しかない楽々コース。
石鎚山は四国一の霊山、富士山をはじめ立山、御嶽、加賀白山などと並び、古くから開かれた山岳宗教のメッカとして知られる。
霊山だけに樹林の乱伐を免れて、人の手の入らぬ自然林の良さが今も残されていた。 

9時発のロープウェイで山頂成就社駅まで標高差約900mを8分で登ってしまう。乗客は二人だけ。ガイド嬢が先日山頂では雪が降ったと話していた。ロープウェイが登るにつれ、瓶ガ森がはっきりと見えてきた。子ノ権現が雲の聞からちょこんと首を出している。下を覗くと紅葉の錦が目に鮮やかだ。ひと筋二筋細い滝が紅葉を分けて白く流れ落ちている。 

ロープウェイを降りると冷気が気分を引き締める。瓶ガ森方面の展望がいい。一緒の彼は今日中に石鎚をピストンするか、あるいは山頂小屋に泊まるか気分次第とのこと。ここで分かれて私が先に頂上に向かった。 

観光客用に右手スキー場リフトが動いていたが、それを横目に見て奥前神社を経由、成就社への遊歩道を辿る。15分ほどで土産物屋、旅館が立ち並ぶ成就社に着く。
登山道は本殿左手の山門から始まっていた。ハウチワカエデの黄葉が透過光線に映えてひと際美しい。しばらく下りの道をのんびり歩くと小さな休憩用の建物がある。ここが最低鞍部の八丁坂の取り付きだろう。

道は登りに変わり混生樹林を行く。樹名の札を見ながら歩くのも楽しい。ドウダン・ツガ・ヒメシャラ・ブトリョウブ・ハリギリ・ヤブツバキ・ミズナラ・ミズメ(肌が山桜に似ている)・ヤマザクラ・シナノキ・クロキ・ウリハダカエデ・イヌシデ・・・ 

三の鎖

険しい岩峰に突き当たった。(これが前社森、74mの試しの鎖場だ)左手に巻き道があったが岩峰にもルートがついているのを確認、ちょっとした岩登りの気分で鎖を頼りに慎重に攣じ登る。素手には鎖が痛いほどの冷たさ。我慢して登りきると岩頭。視界が開け霧氷の石鎚が岩稜荒々しく聳立して、目を圧する。 

岩峰を降りると売店小屋があるが、戸を閉めきって人影はない。丸太の階段が凍っていて危ない。丸太に足を乗せないように注意。霜柱がザクザクと靴底に気持ち良く響く。頭上を覆っていた樹林が終るとまぶしいような明るい笹原に出た。夜明け峠だ。笹原の中を一筋の道が山頂へとつづく。石鎚山の北面岩壁が峨々として要塞のようだ。宝石をまぶしたように、霧氷が陽に輝き、山頂は白衣をかけたようにきれいだ。 

明るい笹原を秋の陽を受けながら辿ると一の鎖に着く。夜明け峠の笹原が黄みどり色に蔀のように広がり、瓶ガ森も目の高さに競り上がってきた。ここから三の鎖まですべて巻き道がついているが鎖場を登ることにする。

断崖状の岩壁には一部に氷も張りつき、緊張した気分で鎖に手をかける。一の鎖は33メートルと 短い。足掛かりも比較的よくて楽に登りきる。

ロープウェイで預かってきた手紙をこの鎖小屋の管理人に手渡す。鎖場は凍っているとアドバイスを受ける。つづいて二の鎖にかかる。ここは65メートルと長い。4本の鎖がかかり、二本づつ上り用と下り用になっている。一の鎖場より斜度はきつい上に、スタンスをとりやすいところが凍っていたりして、四本の鎖を利用して左右に移動しながら登る。回りの木々は霧氷のために銀細工と化している。
スタンスの確保がうまくいかずにやや緊張した場面もあったが二 の鎖も無事通過。 

いよいよ最後、三の鎖下部に立つ。まるで絶壁の基部に立ったようだ。取っ付きから壁には氷が張り付いている。上部は岩の陰になって確認できない。『途中で動きが取れなくなったらどうしよう』そんな不安が頭を掠めたが鎖があるから心配することもなかろう。凍りついた鎖に手をかけた瞬間は緊張したが、しっかり三点確保しながらワンステップづつ確実に登行、68メートルの鎖も無事に登り終わり、ほっとして霧氷林を出ると大岩の上に安置された祠の前に立った。弥山の頂上だった。石鎚山という頂きはなく、この弥山とすぐ先の天狗岳等を含む岩稜一帯を石鎚山という。その昔、瓶ガ森を石土山と呼んでいたとある本に書かれていた。 

山頂にからんでいた雲も消えて、今はきれいに晴れわたり、さえぎるものもなく四周完全に俯瞰できる。笹に覆われた瓶ガ森の山頂が殊更に美しい。それにつづく子の権現から土小屋方面への縦走路。できればあの笹原まで足を運びたい誘惑に駆られるが時間がない。
瓶ガ森のさらに先には果てしもないように山が重なり合っていた。その中に明日登頂予定の剣山が見えているのかもしれない。

弥山

北面を削ぎ落としたような天狗岳も迫力がある。樹木を取り除いて雪を付けたらマックーホルンそっくりになりそうだ。西には西冠岳、西の森、堂ケ森、更に幾重にも折り重なってつづく山並み。その遥か彼方、霞のなかにぽっかりと浮かんでいるのは、あれは九州の山だ。久住あたりと見当を付ける。先着していた3人のピクニック姿の人にそのことを話すと、まさか見える筈がないと一笑にふされてしまった。(帰ってから地図で方角等から推測すると間違いなかったことを確信する) 

荷物を置いてとりあえず西日本最高峰の天狗岳を往復する。鎖を頼りにして岩場をいったん下る。岩塊のナイフリッジはスリルがある。岩の基部には踏み跡がついて巻き道となっているが、岩の上を伝って歩く。ダケカンバの霧氷がエビの尻尾を作っている。風が冷たく、強い。切れ落ちた北面を覗きこむと電気に打たれたように足裏がしびれる。
山頂はまさに眺望絶佳、四囲の山々はすべて眼下にあった。

再び弥山に戻り食事をしてしばらくくつろぐ。三人連れの一人からミカンを頂く。ここは風もなくうららかな山頂、年間300日は霧が発生するというのに、今日の快晴は僥倖に過ぎるほどだ。満ち足りてひと時を過ごした。
四国にこんなに風格のある山があったことは予想外の驚きであった。西日本の雄にふさわしい。

 

下山は往路を戻る。鎖場を避けて巻き道をゆっくりと下る。
夜明け峠までの下り、幾度も幾度も石鎚山を振り返った。成就社までくるとちらほらと観光客の姿が目につくようになった。休み休み歩いたが早く着きすぎて、ロープウェイで下ってからバスの時間を1時間も待ってしまった。こんなことなら頂上にもう少しいればよかったのに、せっかちで気の急く私のこと、いつものことでこれも仕方なし。
狭い谷あいは3時を過ぎたばかりなのに、既に日が陰りうすら寒い。ロープウェイの駅舎では赤々と燃えるストーブに手をかざし時間を待つ。西条駅のホームからは、つるべ落としの秋の夕暮れどき、南西の空が橙色に変わり、影絵のような石鎚山の真上に下弦の月がかかり、その上で宵の明星が瞬いていた。空は濃紺から鉄紺へと色を深めていく。灯をつけた列車がホームに入ってきた。今夜の宿、丸亀へと向かった。