追想の山々1219  up-date 2001.12.12


剣 山(1955m) 登頂日1989.11.03 単独行
丸亀市ホテル〓〓〓阿波池田駅===見の越(11.40)−−−行者の鎖場(12.40)−−−剣山(13.05.-30)−−−御神水−−−見の越(14.25)===阿波池田駅===坂出駅===夜行バスで東京へ
所要時間 2時間45分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
東京から夜行バス利用で石鎚山・剣山を登る=52
剣山


丸亀駅から土讃線で阿波池田駅に向かう。池田駅には見の越行きのバスを20人余の人が待っていた。ハイキング姿の人が多い。
バスは町を抜け吉野川沿いの国道をしばらく走り、峡谷の奥へ奥へと走りつづけて最終村落の名頃がオフシーズンの終点だが、シーズン中の土、日、祝日だけ、この先の剣山登山口の見の越まで運行されていた。今日がシーズン最終日のバスだった。

バスは3時間かけてようやく見の越に到着した。

昨日の石鎚山同様今日も快晴に恵まれた。ほとんどの人はリフト乗り場に向かう。一人大剣神社への長い石段を上り、神社から右に大きく 折れる登山道へと入る。リフト下の小さなトンネルをくぐって、しばらくすると分岐の 道標がある。左へ直登していくのが西島、等高線に沿って山腹を行くのが山頂・遊歩道と記されている。西島というのがよくわか らないので、山頂遊歩道の方へ進む。山の鼻を一つ、又一つと巻 くようにして行く。リフトからどんどん離れてしまうようで不安になってくる。三つか四つ目を回ると南斜面に出てリフトの方向に向きを変えた。ここで展望が開けてジロウギュウ(次郎笈)が見える。剣山はその左、意外なほど変哲もない平凡な一峰であった。石鎚山よりわずかに低いだけなのに、一山秀でるような貫禄はなかった。

西島キャンプ場の表示がある。あの分岐をまっすぐ登ってくればここに来たのだ。随分遠回りしてしまった。遥か遠く一番奥に見えるのは石鎚山のようだ。すぐ上がリフトの終点だった。ここからは尾根道となって観光客に混じって歩く。遊歩道でいい道だ。尾根コースと大剣神社奥社経由の遊歩道コースに分かれる。よくわからないが尾根コースを選ぶ。樹相は低潅木帯に変わった。刀掛けの松と札のついた松で道はまた二分し、まっすぐ行くと頂上まで360メートル、左の行者場経由は1100メートルとある。時間もあるので行者場方向に向かう。ゆるく下ってから標識に従って急坂にかかる。小さな鎖場があるがどうというはどのこともない。 最後、笹原の薄い踏み跡たどって項上山荘の前に出た。

笹原の広い頂上は家族連れやグループで賑わっている。雰囲気は石鎚山とは全く異なる遊園地的な 和やかさだった。ゆっくりゆっくり歩いて1時間20分。これが日本百名山の80座目。いよいよ先が見えて来た。
重畳と続 く山並み。四国がこんな山国だとは思わなかった。更に遠く淡くブルーのシルエットは紀伊半島の山脈、そして北は中国地方の大山だろうか。瀬戸内の島々ものぞめた 。

30分程で山頂を後にした。
帰りは大剣神社奥社を軽由、神社下の名水100選という《剣山御泉水》を味わう。あまりおいしいとも思えなかった。見の越でバスを待つ間、老婆が一生懸命に打っていた「祖谷の手打ちそば」を食べる。
また3時間かけて阿波池田駅まで戻らなくてはならない。夕暮れの谷あいは一層わびしさが募る。山の中腹の一軒家から紫の煙が立つのは、夕餉の支度だろうか。忘れていた幼い頃の郷愁が呼び起こされる。
すっかり日の暮れた池田の町に着いたのは6時。コインロッカ ーの荷物を取って土讃線で琴平駅乗り換え、坂出へ。天候に恵まれ、満足感をかみ締めて東京行きの夜行バスで帰途についた。