追想の山々1223  up-date 2001.12.13


医王山(939m) 登頂日1996.04.29 妻独行
菅沼合掌集落・相倉合掌集落見学===福光===医王権現(11.15)−−−白兀峠(11.50-12.00)−−−奥医王山(12.30-50)−−−白兀峠(13.10)−−−三千坊展望台−−−医王権現(14.00)===法林寺温泉泊
所要時間 2時間45分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
越中の小京都、城端町向背の名山=59歳
医王山山頂


 “医王山”は多くの種類の薬草が植生していることで、つけらけた名前だという。その数は150種類以上もあるという。
標高1000メートルにも満たないこの山が、なぜ日本三百名山か? まず最初にこんな疑問が湧いてしまう。だがこの山は立山、白山に次ぐ古くからの北陸の名山で、今から1200年前、天台密教の霊山として開山された由緒ある歴史を有していたのだ。

GW最初の2日間で300名山の難関の2座(野伏ケ岳・猿ケ馬場山)登頂を果たすことができた。帰りの道順にある医王山をひとつ稼いで行くことにして平瀬温泉の旅館を出た。
白川村荻町と並ぶ菅沼合掌集落と相倉合掌集落を見学。五箇山トンネルを抜けると富山県だった。眼下に砺波平野が広がる。城端の町へ下って行く途中から医王山が残雪模様もまだらに、平野の向こうに聳えていた。1000メートルにも満たない山とは思えぬ貫禄のようなものを感じさせた。

城端町から福光町へ入って、医王権現への“百万石ロード”を尋ねるが、首をひねる人が多い。道路地図に“百万石 ロード”と載っているし、有名な道だと思って聞くのだが、どうもそうではないらしい。医王山へ行くのなら広田から山頂まで自動車で行けるとか、アローザにロープウェイがあるからそれで行くといいとか、尋ねたこととは違った返事が返ってきて要領を得ない。登山だというのに、どうも医王山の観光と勘違いしているらしい。
福光から金沢市へ通じる県道38号線で、法林寺温泉を左手に見送り、トンネル手前で右手へ入るのが、その百万石ロードだった。
最初は林道のような細い道だったが、すぐに金沢方面からの道と合流、 そこからは見違えるような道になった。満開の桜が花吹雪を散らし、東方につらなる白き嶺々の眺めがいい。山岳展望にすぐれた楽しい道である。
下って来る自動車が多い。この日が医王山の山開きだった。

登山出発地点に予定した医王権現着は11時前。広い駈車場がある。
登山にしては遅い時間だが、わずか3時間ほどの行程であれば問題はな い。ここで標高約700メートル、奥医王山の山頂まで250メートルの標高差しかない。
権現神社から登山道が始まると思って来たのに、自動車道が夕霧峠(白兀峠)までつながっていた。しかし自動車は通行止め、風情はないが舗装道路を歩く。道路は除雪も済んで通行は十分可能な状況に整備されていた。道の両側には除雪された雪が、ところによって2メートル以上の雪の壁を作っている。

医王山
30分余で白兀峠へ着く。すぐ下はスキー場やアローザの観光施設だ。峠の展望台に上って、展望盤と見比べながら山岳の同定をしてみる。剣岳、立山、薬師岳、黒部五郎岳から穂高岳まで何とか確認する。展望盤には、なお白木峰、人形山、金剛堂山など、いずれ登らなければならない日本三百名山の諸峰がずらりと並ぶ。しかしどれがどれか確とはわからない。眼下には城端町、福光町などの砺波平野が広がり、水を引いた田圃が銀色に反射していた。

白兀峠(夕霧峠)から擬木の階段を登って奥医王山へ向かう。ここから山項までが山道だった。2〜300段もある階段を登って行く。階段を登り終わるとそこは残 雪の世界。あとはたいした登りもなく、雪を踏んで稜線を屈曲しながら進むと、すぐに奥医王山のピークが見えてきた。峠から30分で山頂に立った。
わずか939メートルのピークだが、ここは一等三角点、周囲遮るものはなく、展望はすこぶる良好。 親切に展望用の鉄櫓もある。三角点や、山名表示板は雪の下だった。残雪はまだ1メートル以上ありそうだ。
展望は夕霧峠の眺めに加え、金沢市方面と日本海がのぞめ、さらに白山、大門山、大笠山、笈ケ岳などの日本三百名山が並んでいた。
同じ道を医王権現へ戻る。途中の790メ ートル三角点の三千坊展望台に立ち寄って、もう一度展望を楽しんでから権現の駐車場へ帰着した。

法林寺温泉に宿泊を頼むと、難なくオ ーケー。山の中の一軒宿でまことに静かな宿だった。温泉に浸かり、ビールで喉を潤してこの山旅の成果に満足する。
これで日本三百名山247座となり、ゴールがだいぶ近づいてきた。