追想の山々1224  up-date 2001.12.14


蔵王山(1840m)と月山(1980m) 登頂日1989.07.08、9 妻同行
蔵王山 刈田岳駐車場−−−熊野岳−−−刈田岳−−−駐車場−−−前山−−−杉ケ峰−−−芝草平−−−杉ケ峰−−−駐車場
所要時間 記録紛失 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
エメラルドクリーンのお釜が印象的=52
芝草平


月(6月)10日に鳥海山、24〜25日に八甲田、岩木山と登り、今度は蔵王、月山へ妻を伴い観光気分の山旅に来た。  
白石インターチェンジを出て、蔵王を目指す道路沿いの農村は落ち着きのある風景だ。「定年になってから住むのは、こんなところもいいなあ」と軽口をたたく。老後のついのすみかは田舎と決めているが、同じ田舎といっても田園中心の農村よりも、山や高原のある山間の田舎が憧れである。

刈田岳直下の駐車場に自動車を停めて蔵王連峰の最高峰熊野岳に向かう。標高差は僅かに100〜150m程度、5分も歩くと馬の背と呼ばれる刈田岳から熊野岳にかけての稜線に出る。右手、手の届く程のところに刈田岳、左手にはどこが頂上部とも判別しがたいなだらかな熊野岳が見える。火山の山らしく荒涼とした砂礫の中を熊野岳に向かうと、右下にエメラルドグリーンの水面が目を引くお釜があらわれる。
頂上部への登りだけがわずかに山登りらしい感じで、それもせいぜい10分、すぐ熊野岳の頂上に立った。吾妻連峰。飯豊連峰、朝日連峰、月山、早池峰山等の東北の山々が望見出来た。砂礫地の中にコマクサを発見、初めて目にする妻は感激の対面。ここにも、あそこにも、株を作って咲いていた。
帰路は刈田岳に立ち寄る。ここは観光客の領分だ。

自動車で刈田峠まで下って、ここから南蔵王を少し歩いてみた。
杉ケ峰から芝草平まで往復約2時間半の行程である。冬には樹氷となるアオモリトドマツの間を少し下ると、かつての湿原跡と思われるあたりに、やや時期を過ぎた感じのチングルマが咲いている。
前山のピークに立って、この先にもうひとつのピーク杉ケ峰を見ると随分遠く感じる。しかし歩いて見ればたいしたことはなかった。
杉ケ峰は展望に優れている。アオモリトドマツに覆われた蔵王の山々を眺めたあと、芝草平へは下りである。山懐に抱かれるようにして池塘の光る湿原が下の方に見えてきた。湿原はたくさんの花で満たされていた。植物を保護する木道や立ち入り禁止の表示もなく、家族連れのハイカーは大きなビニールシー トを広げて食事をしている。植物を無視してずかずかと歩き回る人。高山植物が悲鳴を上げているよ うに思われて心が痛む。 何等かの保護規制をしないと、数年を経ずして湿原は荒れ果てるのではないだろうか。
規模も小さい地味な湿原ではあるが、いつまでも今のままでありつづけるこ とを願って元の道を刈田峠に戻った。

このあと山形市から寒河江市を抜け、通称月山・花笠道路を通って今夜の宿泊場所を探す。明日は月山に登ることにしている。
月山 仙人沢駐車場(5.00)−−−湯殿山神社(5.15)−−−施薬小屋(5.40)−−−牛首(6.18)−−−月山(7.00-7.10)−−−施薬小屋(8.00-8.30)−−−仙人沢駐車場89.15)
あと一歩の山頂を踏めず=52歳
月山は夏スキーのメッカ、花も多い
民宿を早朝4時半に出て湯殿山有料道路から仙人沢駐車場へ。
【雲の峰 いくつくずれて 月の山】芭蕉

マイクロバス道を湯殿山神社まで歩き、ここから登山道に入る。早朝の湯殿山神社入口は堅く閉ざされていた。ここから胸を突くような急登が始まる。沢のほとりにはリュウキンカが咲く。岩角を踏むきつい登りも、整備は行き届いて安心して歩くことができる。長い鉄梯子をふたつ越えると厳しい急坂も終り、樹林の切り開きから湯殿山の三角錐が目前にあった。

緩くなった道を少し行くと明るく開けた草原状の一画に、 薬草を煎じて飲ませてくれる施薬小屋が建っていたたが、人の気配はなかった。
この先から雪渓があらわれる。いくたびか雪渓を横切り、左手には品倉尾根を目にしながら登りつづける。シラ ネアオイを始めて目にした。薄紫の花弁が品格を感 じる。白装束の人々が、見るからに足取りもおぼつかなく下って行った。
志津ロコースと合っする牛首に登りついてひと息入れる。前方に大きな月山が迫って見える。姥ケ岳と月山に挟まれた広い谷は豊富な残雪で、夏スキーのメッカとして知られる。
登山道沿いにヒナウスユキソウの大群落を見る。ミヤマキンバイ・ハクサンイチゲ・ヨツバシオガマ・・・本格的な高山植物の出現である。雪渓の縁をかすめるようにつけられた草原の平坦な道は、高山植物を道連れのこころ和むプロムナードであった。
ときに雪渓を横切り、あるいは雪上を直登して岩石の塁々とした急登にさしかかり、後方を振り返ると谷に広がる雪渓、そして遥か雲上に浮かぶ朝日連峰。なお目を擬らせば飯豊連峰まで望める。ブラボー。岩塊の隙間には、丹念に植えこんだように花々が飾っている。
石段を登るように最後の急登を詰めたところが鍛冶小屋である。立ち寄らずに通過して、あと僅か岩を乗り越えるように登るとそこが月山山項であった。なだらかに広がった頂上部は沢山の花が足元を埋めている。何十人という大勢の登山者が広い頂上に散らばって、花を愛でたり写真を撮ったり、またのんびりと憩いの時を過ごしているグループ もある。
敷石参道の先、わずかに小高くなったところに社が建ってここが最高点である。参拝しようとすると呼び止められ、『ここでおはらいを受けろ』という。お金がいるのかと聞くと300円だという。私は財布を自動車の中に置いてきて、ここには一円も持っていないというと、それならここからは入ってはいけない、きまりだきからと融通のきかない話で、最高点に立つことはできなかった。うきうきした気分が損なわれ、ここに長居している気が失せてしまった。
裏側に回って見ると羽黒山側の八合目からの登山者が、雪田の上を一列につながって登って来るのが見 える。いい姿をした鳥海山が望める。蔵王連峰も雲海の上にあった。朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰と雲上につづく峰々の眺望はハイライトであった。

山頂を後にして、施薬小屋から急な下りにかかり、二つ目の鉄梯子を後ろ向きに降 りているとき、私を呼ぶ声に下を見ると妻が居る。自動車で待つと言っていたのに、ここまで登ってきたのだ。施薬小屋まで登ればコイワカガミの群落、ミズバショウもある。せっかくここまで頑張って登ってきたのだから、もう一度私もそこまで一緒に戻ることにした。雪渓や花に妻は大いに満足。ミズバショウの中で写真を撮ったりしていると、あっという間にあたりはガスに閉ざされてしまった。

鶴岡市から日本海沿いに新潟へ南下し、 関越自動車道をひた走って東京へ9時間余のドライブはさすがうんざりであった