追想の山々1225 up-date 2001.12.15
枝折峠(4.45)−−−明神峠(5.10)−−−道行山−−−小倉山(6.25-30)−−−百草の池(7.00)−−−駒ケ岳(7.50-8.10)−−−駒の小屋(8.15)−−−百草の池(8.40)−−−小倉山(9.00)−−−明神峠(10.00)−−−枝折峠(10.20)===駒の湯入浴後東京へ | |||||||||||
所要時間 5間35分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||||||||
31年ぶりの登頂=56才
4時15分起床。枝折峠は霧に包まれていた。 4時45分出発。ぬかるみの中の階段上りから登山は始まる。コースタイム8時間だが、昼前には下山したい。昨日高低差1200メートル、健脚コースの荒沢岳をかなりのハイペースで歩いた。その疲労は抜けきっていないが、いつものペースで足を運ぶ。先行者がないので露払いとなってズボンが濡れてくる。その昔、銀山平で産出した銀を運んだ山道である。明神々社の前から道は左に大きく曲折して明るい尾根上に出る。ここが明神峠、旧枝折峠だそうだ。懐中電灯も不要となってザックにしまう。 明神峠1236メートル、ここから次のポイント小倉山までは、延々と上下を繰り返す道がつづく。この長い尾根を歩き終っても小倉山1378メートルまでに稼ぐ高度はたった142メートルしかない。ぬかるみが多く、足の置き場所を選ぶのも大変だ。膝から下はすでに泥まみれ。 小倉山から先は、31年の昔歩いたのと同じコースになるのだが、まったく記憶に残っていない。あまりにも時が過ぎている。
さらに高度を上げて鎖のある岩場を直登したところが駒の小屋だった。山頂は小屋の上部に広がるカール状の草地の上だった。ここで始めて31年前の記憶が具体的に蘇った。あのときカールには雪が一杯に詰まっていた。濃い霧に視界はなく、寒さに震えたことを思い出す。
小屋泊まりの先着パーティーが展望を楽しんでいる。 深い谷を挟んで聳えるのは、群青色の八海山。昨日登った荒沢岳は両翼を広げた鷲のような巨体を見せている。未丈ケ岳は近い。浅草岳から守門岳と思われる諸峰が青いシルエットで連なる。 帰りは、小屋泊まりで下山して行った人々をゴボウ抜きに追い越して、飛ぶようにして山をかけ下る。登って来る登山者が多い。みんな汗を流し、息遣いも荒く急登と戦っている。 ズボンから靴から泥々になりながら枝折峠を目指した。 |