追想の山々1227  up-date 2001.12.17

                        1992.09.26 中房温泉から往復(妻同行)   2011.09.13中房温泉から往復 (単独)

有明山(2268m) 登頂日2011.09.13 単独
中房温泉(5.20)−−−4合目(6.20)−−−7合目(7.05)−−−有明山(7.50-8.10)−−−7合目(8.40)−−−中房温泉(10.05)
安曇野の名峰・日本300名山=74才

有明山(中岳山頂)

10日前にギックリ腰、ようやく痛みもとれて治りぐあいを確かめるために選んだ山が19年ぶりの有明山。信州百名山、日本300名山でもある。 

放映中のNHKの朝ドラ「おひさま」が好評らしい。私も毎日見ている。ドラマの舞台は安曇野、その安曇野のシンボル的な山が有明山というわけです。ドラマの中にも有明山が何回か写っていました。 

松本市街より、西から北の方角を見ると常念山脈、燕岳、餓鬼岳へと連なる北アルプスの高峰群がのぞめる。その前衛に富士山によく似た山が目に入る。それが有明山、別名“安曇富士”とも呼ばれ、安曇節の中にも歌いこまれている。気象によっては背後の北アルプスに溶け込んで識別しにくい時もあるし、あるときはKに近い濃紺のシルエットで存在感を示すときもある。特に背後の北アルプスが純白の冬場は、有明山が一層はっきりと見える。安曇野にはなくてはならない名山である。 

19年前、登る人も少なく登山道整備はされないままに荒れていた。小雨の降り続

7合目から先、鎖・ロードの連続

く中、背丈を越える笹藪を分けたり、ルートを間違えないようにずいぶん神経を使ったのを覚えている。
その後の信州百名山、日本300名山ブームも手伝ってか、登山道はずいぶんと良くなっていた。道型もはっきりして、岩場や急勾配にはロープや鎖が取り付けられ、また道標もかなり設置されて一般登山者でも十分に歩ける山に変わっていた。 

中房温泉国民宿舎有明荘裏手の駐車場へ車を止めて出発。登山口には道標、登山届投入箱が設置されている。緩やかな笹の道を10分、三段滝分岐道標を過ぎ、丸木作りの長い梯子を上ったところから急登が始まる。気勢を削ぐような急な登りだ。途中で先行者を一人追い越す。急登20分で少し楽になる。しかしそれも束の間、露岩や急登が繰り返し出現、ギックリ腰の悪化を案じてペースを抑えて登って行く。人の手の入った形跡のない針葉樹の原生林、林床は小笹、暗鬱な雰囲気が支配している。7合目表示の標石からがコースの核心部。ロープ、鎖が間断ないほどに連続する。脚より腕力がものをいう。その分足の方の疲労は大いに助かる。ひとしきり頑張ると尾根上の感じになる。あとは歩き良い道を尾根に沿うようにして進めば有明神社のある山頂。 

19年前、木製だった鳥居が金属製に変わっていた。山頂からは北方だけが開けているが、その北方はガスが立ち込めて見通しがない。天気が良いと餓鬼岳から後立山連峰がのぞめるのかもしれない。 

神社のある山頂から200m先へ進んだところが二等三角点のある中岳である。ここからは燕岳から常念山脈がよく見える。燕、大天井、東天井、横通、常念岳が横一列に並んでいる。目を凝らすと燕山荘も見えていた。

常念山脈の展望を眺めながら一服してから同じルートを中房温泉へと下った。

山頂からの常念岳山脈、中央が大天井岳


有明山(2268m) 登頂日1992.09.26 妻同行
東京(4.45)===中房温泉(9.00)−−−4合目(10.00-10.10)−−−休憩(10.50-11.00)−−−8合目(11.30)−−−有明山(12.00-15)−−−4合目(13.50)−−−中房温泉(14.15)・・・・中房温泉有明荘で入浴
所要時間 5時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
安曇野の名峰・日本300名山=55
有明山々頂


コメツガ樹林に陰鬱な雨が降りつづいている。
日本の屋根、北アルプスの一端にその座を占めながら、今はその頂を訪れる人影もめっきり少ない有明山。
北アルプス登山道の開鑿が進み、かつては特定の登山者にしか許されなかった人煙隔てた遥かな高みに、一般登山者が足を踏み入れるようになって行くのに反し、信仰修験者で賑わった有明山は年ごとに影が薄くなって、往時の面影も残さないほどに過去の山となってしまった。登山道は講の人達によって何とか維持されているが、それも不十分で歩きにくい所も多く、ますます一般登山者が遠のく結果になっているのだろう。

峻烈たる北アルプス衛兵のように、その連嶺から孤高“間”をおいてそそり立つ姿は実によく目立つ。姿もまた美しい。
中房川の渓谷は紅葉にはまだ少し早かった。中房温泉手前の国民宿舎有明荘の裏手から有明山への登山道へ入る。 私達の外に人影はない。雨具をまとって雨中の登りについた。木々の梢から落ちる雨滴が笹の葉を打つ。一層静けさが強調される。手入れの届いた道はごく最初だけ、すぐに熊笹や小薮のかぶった道となる。左右の樹林には乳白の霧がまとい、山全体が乳白色中に静まり、溶け込みつつあるかのようだ。
胸突く登りとなって、ロープや木の技を掴んで這うように登って行く。きびしい急登が執拗につづく。濡れた木の根が滑る。笹かぶりの道を わけて進む。
やがて尾根道となると、いっとき歩きやすい道になった。 あたりはシャクナゲが群生、花季の様子が目に浮かぶ。
1時間ほど歩いて四合目標石に到着。1〜3合は気付かずにきたが、薮に埋もれていたのかも知れない。四合目からしばらく行くと樹林の開けた岩場に出た。視界がきけば一 気に展望が開けるところだろうか。今日は谷底まで霧が充満して、ただ乳白一色の世界だ。                                           . .  . 

再び樹林に入り、ガレ場の横断や岩場、足場の悪い急登、笹のかき分けと、ただひたすら上を目指して足を運ぶ。ときに道形の薄い箇所もあるが、迷うほどの心配はない。しかし現在の整備状況では一般ハイカーを迎えるのはちょっと無理かと思われる。
雨は相変わらずこやみなく降りつづいている。庇(ひさし)状の大岩の下を通過。この先巨岩が目立つようになる。里から見上げる有明山は、黒木に覆われた原生林の山であったが、険しい岩山でもあったのだ。
ようやく勾配が緩くなったところが八合目標石だった。いくらか紅葉が始まっている。  緩く黒木の稜線を上下しながら進んで、最後は急な笹と薮の道を抜けると山頂だった。

狭い山頂には木肌の白さが残る桧の鳥居、高さ1メートルほどの社。潅木が取り巻いていて、好天でも眺望はもう一つのようだ。『200メートル先中岳』の表示があったので、そこまで足をのばした。岩のピークでここなら大展望がほしいままという感じだ。二等三角点が埋設されていた。足元は絶壁状に切れ落ちているが、勿論底はガスで見通すことはできない。苦労して登った山で展望のないほど悔しいことはない。

最初から最後まで雨の降りつづく登山だった。しかしこれもまた山登りである。
下山後国民宿舎有明荘で温泉に浸かってから帰路についいた。