追想の山々1229  up-date 2001.12.18


袈裟丸山(1878m) 登頂日1992.05.31 単独行
塔の沢林道終点(4.35)−−−寝釈迦(5.25)−−−賽の河原(6.10)−−−小丸山(6.45)−−−前袈裟丸山(7.30-35)−−−小丸山(8.10)−−−賽の河原(8.45)−−−林道終点(9.40)===草木湖・佐野藤岡IC経由東京へ
所要時間 5時間05分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
雨中登山で一等三角点の前袈裟へ=55
一等三角点山頂


塩原鶏頂山を登ったあと移動してきた。テントを打つ雨音というのは、はことさらに強く、激しく感じられるものだ。近くで鹿の甲高い鳴き声、人っ子一人いない山懐、不気味な緊張感がある。雨は夜通し降りつづいた。
朝が白みはじめてきた。登ろうか、どうしようか迷う。こんな雨の中を登っても何にも見えない。このまま帰宅しようか。さんざん迷ったあげく、とにかく途中まででも行ってみることにした。

4時半、夜はすっかり明けた。5分も歩くと林道終点で、橋を渡って登山道に入る。歩きいい道だ。釣り人に出会う。岩魚を求め夜明けを待って入渓したようだ。降りつづく雨は気になるが、道標も完備してルートの不安はない。何回か渡り返すうち、渓流も細くなって来た。その後も左岸右岸とルートが変わる。もう橋はなく飛び石を伝って渡れるほどの流れだが、昨日からの雨で石は水没、じゃぶじゃぶと徒渉しなければならないケ所もいくつかあった。
雨に濡れ、たっぷり水分を含んだ土や空気や霧、水滴をいただく樹木の葉、薄暗い林床、幽遂な雰囲気を醸している。
1時間弱で寝釈迦・双輪塔という史跡に到着。袈裟丸山とか、この先の賽の河原とか、仏教に因んだ名前が多く目に付く。岩に釈迦の寝姿を彫ってあるというが、よくわからなかった。

沢を離れて急登すると、もう一度枝沢を徒渉してから長い丸太の階段となり、間もなく 避難小屋に着いた。少し傷みかけてはいるがまだ十分役に立つ。小屋から丸太階段を登り切ると尾根に出て、そこが賽の河原だった。石の塔が林立、昔物語にでも出て来そうな怪 しい気配があった。
あとは尾根上の稜線コースとなり展望がきいて来るはずだが、本日は視界なし。小川のようになった道を下り、上り、また下り、もう一度上ったところが小丸山だった。稜線では雨が強くなって来た。
小丸山からは再び下って行く。もったいないような下りである。袈裟丸山はまだ相当ありそうだ。この雨、もう引き返すべきだろうか。自問自答しながら、足は前へ出て行く。小丸山から先は深い熊笹で歩きにくいということだったが、刈り払いしたのかいい道だった。
小川のような道を下り切った切り開きに、カマボコ型の黄色い避難小屋があった。
樹林越しに滝が見えてきた。細身ながら落差のあるいい滝だ。
雨など関係ないようなウグイスや野鳥の美しい囀りが、雑木の枝先を渡って行く。滝を見てすぐ、いよいよ最後の急登に取り付いた。ここまでの手入れされた道とは様変わりに険しさを増した。ロープがつけられ、木の根にすがり四肢を動員して這い登る。濡れた足元は気をつけていても、繰り返し滑り、そして転ぶ。やっと傾斜が緩んで、周囲に枯れ木立が目立つようになると、山頂はもうすぐだった。
登りついた山頂は眺望もなかったが、雨中を到達した満足感は十分だった。
日本三百名山、そして一等三角点研究会による一等三角点百名山、笹の山頂の真ん中に、その一等三角点があった。

記念写真を撮ると雨に追われるようにして下山の途についた。
この雨の中をまさか登って来る人がいるとは思いもしなかったのに、何と単独行者に出会う。「俺は変わり者かなぁ」と自嘲気味な気持ちが、ちょっと救われる思いだった。さらに賽の河原では3人組、また4人パーティー、林道終点の登山口では10人ほどのパーティーと次々に出会った。