追想の山々1231  up-date 2001.12.20


荒船山(1423m) 登頂日1990.03.26 妻同行
東京(5.40)===下仁田===相澤(10.10)−−−岩小屋(10.55-11.00)−−−枯木の分かれ(11.45)−−−経塚山(12.05)−−−枯木の分か;−−−艫岩(12.35-13.00)−−−岩小屋(13.30)−−−相澤(14.00)
所要時間 3時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
西上州、巨艦さながらの異型の山=53
荒船山


西上州の重畳とした山並みを大海原とすると、そこに浮かぶ巨艦が荒船山である。南北2キロにおよぶ長大な山頂部は、笹と潅木に覆われた平原状の熔岩台地で、北端は艫岩(ともいわ)、南端が経塚山でそこが荒船山の最高点となっている。

自宅を早朝5時40分に出発したが、環状七号線の渋滞で時間を とられ、予定をかなり遅れて登山ロの相沢集落へ着いた。集落といっても数軒の人家が点在するだけの奥まった山間である。
椎茸栽培のくぬぎ材を積み上げた脇に自動車を停めて出発する。
空模様は薄曇り。林道を5分進むと荒船山登山道の道標がある。杉の植林地につけられた山道の登りは、間伐された杉が乱雑に転がり、山職人が集材している脇を抜けて、ひとしきり登ると雑木の尾根筋に出た。
枯れ木立の向こうには、熔岩台地から流れ落ちる水が氷瀑となって岩壁に張り付いているのが見える。登山道には茨がせりだし、腕まくりした肌をとげが刺す。この登山道は夏歩くのには少々不向きのようだ。梢の先にひと目でそれとわかる、艫岩の大絶壁が見えて来た。登り45分で巨大な岩屋に到着。張り出した庇状の巨岩は頭上から覆いかぶさり、今にも萌れ落ちてきそうだ。
岩屋で一休みして再び登りにかかる。笹の薮っぽいじくざぐ登りがつづく。すぐ先にもう一つ岩屋があるがこれは規模も小さい。岩屋の庇に氷柱が下がっている。
涸れ沢を渡り、勾配がきつくなった道をゆっくり登って行くと、艫岩が頭上に迫って来た。ときおりキツツキのドラミングが、早いテンポで山中に響きわたる。25分で木屋場との分岐に着く。ここからが本格的な登りで、勾配も強くなる。解け残った雪が黒く登山道にへばりついている。うっかり乗るとつるっと足を取られる。

艫岩の上部で落石の音が聞こえる。一つの落石が次の落石を呼び、しまいにはがらがらと石なだれとなって谷を揺する。気持ち悪 く思わず足を止める。雪解けの時期は特に落石が多いのだろう。 頂上台地直下、幾つかの鉄梯子が半分雪に埋まっている。慎重に梯子を昇り終わるとそこが頂上、地図に《枯れ木の分れ≫となっているところだった。指導標があり、 左が経塚山、右3〜40メートル先には小屋の屋根が見える。ここに妻を残して経塚山まで往復することにする。

荒船山の頂上台地はわずかに起伏を感じる程度の平坦な広がりを もって南へ伸びていた。こんな平坦な台地上によくも流れがと思わせる一筋の湧き水が、台地を横切っていた。
潅木を透してうかがえる三角形のピークが経塚山であろう。
荒船不動と経塚山の分岐には道標が賑やかだ。経塚山まで15分 とある。雪の凍りついた滑りやすい急登をひと踏ん張りで、荒船山最高点の経塚山の頂上に着いた。狭い頂上には三角点標、それに隅っこの石祠はやや傷んでいる。北面だけは雑木に遮られているが展望はいい。両神山、奥秩父連峰、その背後、雲か霞と見まがう銀嶺は南アルプス、八ヶ岳など。

再び来た道を引き返す。
艫岩には妻が待っていた。艫岩絶壁の尖端が大展望台だった。怖くてとても 絶壁の縁まで行って下を覗く勇気はない。浅間山が正面に霞み、その右には草津白根山が雲に溶けている。 妙義山は茫洋としてただよい、神津牧場、物見山、八風山は目の前。西方遥か蓼科山、乗鞍、御嶽、天気がよければ白馬、 槍ヶ岳まで望見可能のようだ。
しばし展望を楽しみ昼食の後下山の途についた。
振り返ればな霞みに包まれた艫岩が、木立の先におぼろににじんでいた。