追想の山々1234 up-date 2001.12.22


氷ノ山(1510m) 登頂日1991.05.25 単独行
品川(20.30)==夜行バス==鳥取駅(6.50)〓〓〓郡家乗換え若桜駅==バス==舂米(9.10)−−−スキー場(9.30)−−−尾根取付(10.15)−−−稜線分岐(10.30)−−−氷ノ山(10.40-45)−−−氷ノ山越え(11.15-20)−−−キャンプ場(11.45)−−−スキー場−−−舂米(12.15)〓〓〓汽車で倉敷へ
所要時間 3時間05分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
倉敷市へ所用のついでに登頂=54
氷ノ山越から氷ノ山をのぞむ


距離700キロ、夜行バスに夜通し揺られて鳥取駅へ到着。因美で三つ目郡家(こうげ)で若桜鉄道に乗り換えて終点の若桜までは、空色の二両連結の電車が、のどかな田園の中を走る。女学生が田園の道を自転車で通学する風景が、遥か昔の忘れていた郷愁を呼びさまし、うっとりと見とれていた。六つ目が終点の若桜、30分足らずだった。鄙びた小駅に降り立つ。下車した数人が駅から立ち去ると、もうあたりには人の影もなかった。
舂米行きのバスは20分の待ち合わせで、たった一人私だけの客を乗せて発車。途中乗車する客もなくノンストップで終点の舂米に着いた。戸数わずかの小集落で、息をひそめるように静まりかえっていた。
バス停脇の民家に声をかけて、登山をして来る間、荷物を預かってくれるよう頼むと、こころよく引き受けてくれた。背広を登山服に着替えて出発。

田植えの時期で、村人は山の斜面にしがみつくような田んぼに入って作業をしている。つま先上がりの舗装道路をしばらく辿り、スキー場近くの村営宿舎の管理人に、氷ノ山、せん谷コースの登山道を尋ねると、新録の山が二つ重なった奥に、ちょこんと見えるのが氷ノ山だと教えてくれた。その山稜左に辿って最低鞍部が氷ノ山越ということだ。東京近郊でいくらでも見られる程度の、何の変哲もない平凡な山体に、やや失望を感じたが、それでも中国地方第二の高峰である。

スキーリフトに沿って登り始める。かなり年数を経た杉林の中をしばらく歩くと、明るい潅木帯となる。たいした勾配もない歩きやすい道を進むと、細い流れに出て、この沢 をからむように右、左と渡り返しながら登るようになる。2か所ほど鎖の取り付けられた岩場があるが、別に鎖を頼るほどのこともない。流れを数回渡り返すと沢を離れて小さな尾根に取り付いた。尾根の先端に登りつくと、眼下に舂米の集落やスキー場が見おろせる。ブナの目立つ尾根道に変わって、山登りの楽しい雰囲気になってきた。絡み合うブナの根が、具合よく階段状を呈して歩きやすい。15分程でこの尾根道 を登り詰め、稜線に出ると右が氷ノ山々頂、左が氷ノ山越への分岐で、道標が立っていた。

稜線上のルートが主要コースで、登って来たせん谷コースと比べ、 道ははるかによく踏み込まれていた。右ヘコースを取り山項を目指す。『こしき岩』という岩峰を過ぎて、山頂はもう少し登っ た所にあった。
山頂部は時折霧が流れ、汗で濡れた体がひんやりとする。残念ながら眺望も不十分、北方近くに鉢伏高原、北西にゆったりとしたなだらかな山体はきっと扇の山であろうか、それ以外にはこれという眺めは得られなかった。

下山は、こしき岩から先の稜線で、生徒の集団に出会う。列は延々、氷の山越まで続いていて、「こんにちは」のあいさつも面倒になるくらいだった。
氷ノ山越で一服してからは、設備の整ったキャンプ場を経由して、一息に舂米まで帰った。

預けた荷物を引き取り着替えをさせてもらい、熱いお茶を御馳走になる。
乗り物の接続が悪く、バスを1時間、次に若桜で電車を1時間半待って鳥取 まで戻った。
中国地方三山(さんせん)と言うのがあるらしい。大山、蒜山、氷ノ山を指すとのこと。これで三山を全部登ったということになるのか。ほかに扇の山とか、矢筈ケ山などもあるが5山とは言わないのだろうか。