追想の山々1236  up-date 2001.12.23


田代山(1971m)〜帝釈山(1982m) 登頂日1991.06.08 単独行
自宅(3.50)===日光霧降・栗山村===猿倉登山口(7.15)−−−小湿原(7.55)−−−田代第一湿原(8.05)−−−避難小屋(8.25)−−−帝釈山(9.10-45)−−−避難小屋(10.25)−−−第二湿原でスケッチ−−−第一湿原(10.50)−−−猿倉登山口(11.50)===湯の花温泉入浴===七ケ岳登山口へ
所要時間 4時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
初夏の湿原を楽しみながら=54
田代山湿原と、背後に会津駒ケ岳


午前3時50分東京の自宅を出発。日光から霧降高原有料道略にかかり、ぐんぐん上って行く。朝日に輝く赤薙山の眺めがいい。鬼怒川の渓流を渡って県道から村道に入る。山奥の離れ集落『土呂部』を過ぎるともうその先に人家はない。『この先工事中通行禁止』の立て看板が目に入ったが、そのときはそのとき、無視して車を走らせる。舗装が切れると猛烈な土埃を巻き上げていよいよ山深くなってきた。レンガ大の落石が散乱、いつ落石があるかとひやひやしながらの運転。ブルやダンプが止まっている工事現場を無事通過、道が平坦から下りになって、田代山登山口の猿倉へ到着。3時間余のドライブだった。駐車広場には数台の自動車が止まっていた。 『田代山登山口』の立派な案内板が立っている。

田代山、帝釈山をピストンするだけの簡単な荷物を持って、7時15分出発。登山口の流れで水筒に水を詰める。少し行くと勾配を強めて山道らしくなる。交通もきわめて不便、人里から遠く離れたこんな奥山に、登山者もめったになかろうと思って来たのに、登山道はよく踏まれている。
先発の登山者を何人か追い越したりして、気がつくと両側の茂みが背の低い潅木に変わり、雰囲気が明るくなって来た。木道があらわれ、目の前がばっと開けて小湿原に出た。数こそ少ないがヒメシャクナゲ、チングルマ、コイワカガミ、タテヤマリンドウなど、高山植物がひっそりと花をつけている。湿原につきものの池塘は見当たらず、小さな草原という風情である。目の上にはわずかに残雪をつけた円頂の一部が見える。田代山だった。

小湿原から急登を10分も行くと、広々とした湿原の一角に立つことができた。木道が延び、立派な標識が帝釈山をさしている。池塘もあって、ここは本物の湿原である。山頂の湿原としては苗場山や平ケ岳に次ぐということであるが、その規模には到底及ばないし池塘の数も少ない。ワタスゲが揺れ、風がひんやりとして心地いい。
木道をたどると前方になだらかな山稜が群青色に横たわっているのが目に飛び込んで来た。会津駒ヶ岳を中心とする中門岳や大杉岳などの山々のようだ。まだたっぶりと残雪をつけている。木道が直角に曲がって第二湿原へ方向を変えるあたり、やや大きめの池塘が弘坊沼だ。のっペりとした湿原はどこが山頂とも決めかねるが、このへん一体が田代山山頂ということだろう。弘坊沼近くに『田代山』の標識が立っていた。
第二湿原も小規模なもので、池塘は涸れかけてた。第二湿原から潅木の間を少し入ったところに、田代山避難小屋がある。小さいながらしっかりした建物だ。中を覗くと小さな社が祀ってあった。以前ここには太子堂が祀られていたが、避難小屋ができたときに、この中に取り込んだということだ。

帝釈山への道は小屋の裏手から下っている。ところどころ残雪を踏むところもある。
下り切るとあとは平坦な道が、北向きの斜面をトラバース気味に、木の根を踏んだりして東進していく。沢ともいえないほどの、ちょろちょろした雪解けの流れを渡ると、ゆったりとした登りに変わった。
群生するオサバグサが白言い花をつけて一面に咲いている。倒木が目立って来た。ツガやカンバのかなりの大木が、途中からぽっきりと折れて樹芯を剥き出しているもの、根っこから抜けるように倒れているものなどが目につく。なぜこれほど倒木が多いのだろうか。くぐったり跨いだりして行く。シャクナゲの薄桃色がきれいだ。 トラバース気味の道が尾根筋に出て、露岩の間を縫うようになると、すぐ先が帝釈山の頂上だった。
展望を楽しみにしてきたが、カスミが邪魔して遠望がきかないのが残念だ。それでも目を凝らして山影を追って見る。会津駒ヶ岳ははっ きり確認できる。東方の燧ケ岳も確認する。平ケ岳とおばしきあたりはかすかな影でしかない。至仏山も同様。日光連山も個々には判定できない。
スケッチを2枚ほど書いてから頂上を後にした。田代山湿原まで戻ると大勢のハイカーが登ってきていた。こんな不便な山をものともしていないふうだ。時間も十分あるので、湿原でスケッチをしたり、写真を撮ったりしてから登って来た道を猿倉へと戻った。