追想の山々1251  up-date 2001.12.31


足柄山(736m)・金時山(1213)・明神ケ岳(1169) 登頂日1993.12.18 単独行
大森駅(6.36)〓〓〓国府津〓〓〓足柄駅(8.45)−−−車道横断(9.25)−−−足柄峠(10.0-15)−−−ゲート(10.40)−−−金時山(11.35-12.00)−−−矢倉沢峠(12.25)−−−明神ケ岳(13.40)−−−宮城野農協バス停(14.45)===小田原駅〓〓〓大森駅へ
所要時間 6時間00分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
金太郎伝説の山・300名山=56才
足柄峠から見た金時山


金時山は箱根外輪山の最高峰、そして日本三百名山である。
東海道線国府津駅で御殿場線に乗り換え足柄駅下車。車中暁光に染まる赤富士、ついで純白に輝く富士を存分に眺められた。
足柄駅から歩き始めるが、他にはハイカーの姿はない。冷え込んだ里道を抜けて、足柄峠への爪先あがりの林道をたどる。林道の取りつ きあたりは竹の下というところで、護良親王と足利尊氏が戦の幕を切って落としたところという説明書きがあった。
足柄古道の標識に誘導されて先へ進む。往時は箱根越えの間道として多くの旅人や荷を背負った牛馬が行き交ったという道である。
《足柄の山の嵐のあととめて 花の雪ふむ竹の下みち》
という万葉歌碑があった。

わけないと思った足柄峠までは1時間15分かかった。峠の展望台からは、正面に大きく聳えた富士山が見える。朝方の快晴もつかの間、雲が広がって来て、富士山の中腹にも雲が巻きはきじめた。ここから見る金時山はかなり遠い。それに雪もあるようだ。

しばらくは味けない自動車道を歩く。足柄峠から30分近く歩くと、車道はゲートで閉められていた。自動車が数台止まっているが、金時山を往復するハイカーの ものだろう。  ゲートからも轍の残る道はさらに続いている。
金時山は頂部がドーム型に盛り上がる、顕著な特徴を持った山容である。そのドームへの急登手前で車道は終わっていた。ドームの急登には雪が凍りついている。滑らないように用心して登って行く。鉄梯子がいくつもかけられている。急登25分ほどで金時山の頂上に立った。
乙女峠から登って来たらしいハイカーがたむろし、2軒の売店も繁盛している。元祖金時小屋と看板のかけられた方が、金時娘で有名になった茶店のようだ。覗いてみると元気のいいおばさんが忙しげに客をさばいていた。
芦の湖や神山、それに頭だけを雲の上に出した富士山を眺めながら昼食にした。
時刻は12時、予定ではここから千石原へ下山するつもりだったが、たおやかな明神ケ岳を眺めているうちに、ふと気が変わってそこまで足を伸ばしてみたくなった。2時間ほど余計に時間がかかるが、日の暮れるまでに下山できればいい。

途中千石原への下山道を見送って、鞍部の矢倉沢峠まで急降下してい く。標高200メートル近い下りである。丘のような起伏を越えて行く明神ケ岳への道が、冬陽にくっきりと浮き上がる。矢倉沢峠には茶店が営業していた。
明神ケ岳へ向かう緩い登りはすず竹の中だ。冬の陽差しが柔らかい実にのどかな尾根歩きである。二つ三つのピークを越え、すず竹が落葉樹林に変わって、見通しのいいカヤトの尾根に出ると明神ケ岳が近くに見えて来た。マウンテンバイクをかついで登って行く人がある。最後のひと登りをすると、電波反射板の建つピークに出た。そこから明神ケ岳の三角点まではほとんど平坦に近い道を10分ほどだった。
今年の2月こ道了尊からこの明神ケ岳へ登ったときは、人影もなく、 山頂は激しい風に積もった雪が吹き飛ばされていた。今日は広々とした 山頂のあちこちに休んでいるハイカーの姿も多い。金時山が特異なド ーム型山頂を見せている。
金時山のスケッチをしてから山頂を後にした。
明星ケ岳へ向かう登山道の途中から、宮城野への下山道を取る。
2時を回るとすでに陽は傾き寒さが忍び入ってくる。足早に急坂をかけ下って宮城野の農協前バス停へ着いたのは3時少し前だった。

これで日本三百名山の221山目。今年はここまでである。