追想の山々1253  up-date 2002.01.04


岩手山(2040m) 登頂日1990.06.17 単独行
松川温泉(4.30)−−−湯ノ森−−−網張温泉分岐(6.15)−−−笹小屋跡分岐(6.40)−−−御神坂コース分岐(8.00)−−−不動平小屋(8.20)−−−岩手山(9.00)−−−8合目小屋(9.20-30)−−−馬返し(10.55)−−−柳沢(11.45)−−−分れ(11.45-55)===バスで盛岡駅へ
所要時間 6時間25分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
悪条件下でのロングコースに体力消耗
松川温泉から登頂、柳沢へ下山=53
濃霧と強風の岩手山頂


風雨の八幡平からバスで松川温泉にやってきた。
露天風呂に行くと混浴で、地元のおばさんたちが湯上がりの濡れた体でどう ぞどうぞと言われると年甲斐もなく照れてしまった。乳白色のいかにも体にききそうな温泉だった。
明日の岩手山は歩きでのあるコースだ。雨が降らなければいいが。
夜行バスの疲れもあり、夕食後すぐに就寝。

午前4時出発のつもりが、目を覚ますと4時過ぎ、すっかり明るくなっていた。霧雨が舞っている。雨支度を固め宿を出た。熊対策に鈴も忘れずにつける。
空の一角に見える小さな青空に望みをつなぐ。
キャンプ場までは自動車も通れる広い道だ。登山道はキャンプ場手前で左手の樹林へ入って行く。急斜面を攀じるように登っていく。
期待の青空は消えて厚い雨雲が垂れこめ、堀り割り状の道は流れと化している。1049メートルの湯の森山は知らぬ間に通過。松川温泉が標高約800メ ートルだから250メートル以上登ったわけだ。さらに長い急な登りをひたすら登り続ける。中年の夫婦に追いつく。人気のない深い山中、加えてこんな天候のもとでは単独行の寂しさ、心細さばかりが募る。そんなときに出会った登山者にはつい口数多く話しかけてしまう。今朝早く松川温泉を発ち岩手山を登り、また松川 温泉に帰る予定という。私は柳沢へ下りる予定だというと、そうしたいがバスがないから・・・とのことだっ た。決して早くないその歩き方で松川温泉へ戻るのは容易ではあるまい。
シラネアオイが目に付く。このあと柳沢への下山道にいたるまでの随所でシラネアオイの群生地に出会い、しまいにはいささか食傷するほどであった。

長かった登りもようやく緩んで平坦となった。低潅木帯の左手のふくらみが姥倉山のようだ。周囲はハイマツ、ミヤ マハンノキ、ナナカマド等高山の植生に変わっている。わずかに下ると大倉山経由網張温泉への分岐である。ここでは岩手山が迎えてくれるはずだが、霧でまったく眺望はない。宿のおにぎりをかじり、広い砂礫地を間違わないように進む。小石が並べられて歩道を作っているので助かる。黒倉山のピークは飛ばして、『切り通し』 とかかれた巻道を選ぶ。すぐに御苗代湖お花畑経由岩手山のコースと、鬼ケ城岩稜経由岩手山コースの分岐となる。霧で眺望はどっちにしても期待できない。時間的に効率のよい鬼ケ城コースをとることにする。
潅木帯を行くと本格的な岩稜歩きとなった。しかしそれほど危険なところはない。岩稜帯はとりどりの花で埋められている。日本アルプス3000メートル級の山々のお花畑と同じである。眺望に見放されたこの山行、せめて霧の中に忍びやかに咲く花々に慰めを求めて足を運ぶ。チングルマ・イワウメ・シラネアオイ・ コイワカガミ・ミネズオウ・ミヤマキンポウゲそしてコバイケイソウは花穂が出 たばかり。
次々とあらわれる花に目を止めながら、岩稜を越え高度を上げて行く。視界がきかないのでわかりにくいが、この岩稜はかなりの高度差を持っているらしく、なかなか登りでがある。直立する尖頭の岩場を越えると、ようやく鬼ケ城の岩場が終わって御神浜口登山道との合流点である。

相変わらず風は強く、小雨が降りつづいている。左に笹の登山道を踏み分けてすぐ、 不動平の避難小屋がある。小屋の回りにもシラネアオイが群れ咲いていた。小屋に入って一休みする。風もなく別世界のような安らぎかある。歩き始めて約4時間、ほっ とした息抜きだった。小屋の中でまとめてメモをとる。
さて最後の登りだ。
ハイマツ等の踏み付け道を少し行 くと、草木のない砂礫の斜面と変わる。吹きさらしの斜面を烈風が前から横から無秩序に襲う。ざくざくの足場は富士山の砂礫を思い出す。用心していたのに帽子を飛ばされてしまい、登山道を外れて拾いに行くと、足首まで砂礫に埋まってしまう。ここを登り詰 めれば火口縁だ。のろのろと一足づつ登って行く。石祠の寄り集まった火口縁にたどり着く。火口縁に立つと風はさらに激しく、斜面を吹き上げる風は烈風だ。ここから先へ侵入しよ うとしているものすべてを阻止するかのようだ。最高点の薬師岳まで火口縁を半周、行き着けるか案じられる。さらに進むのを逡巡しながらも、足は火口縁に沿って歩き出していた。
火口縁には石祠が間隔を置いて並べられていた。切れ落ちた火口縁を風と対しながら慎重に足を運ぶ。これ以上は危険かもしれない。ここで足を止めれば、次の一歩はもう前には向かないだろう。強風に体をもたせかけるようにして、砂つぶてを浴び、風に顔を背けて登りつづけた。ふと目を上げると前方ガスの中にぼうっと霞むように棒杭だか石塊だかぼんやりと見える。頂上だ。亡霊のように動く二つの影。先着の登山者がいた。 入れ違いに二人は身を縮めて這うように下りて行った。
頂上では『岩手山』の山名標柱を写真に収めるのが精一杯。強風にいたたまれずすぐに山頂を後にする。

8合目避難小屋まで下り休憩する。地元山岳会員がストーブを焚いていてく れたのが嬉しかった。燃料の薪は柳沢からの登山者に「一人一本づつも運んで下さい」と頼んでいるユニークなものだ。
松川温泉でお握りと一緒に持たせてくれた牛乳をおいしく飲み、小屋番の人に礼を言って小屋を辞した。
馬返しまでは急坂に次ぐ急坂。花の多さは相変わらず。馬返しまで二つあるコースのうち考えもせず樹間のコースをとっていたが、もう一つは展望の尾根コース。5合目あたりで雲海の下に出て、ようやく眼下に広々とした緑の絨毯を敷き詰めたような自衛隊演習場が見えて来た。木にぶらさげられた石油缶、これは熊よけの音響威嚇機とでもいうのか、棒切れ等で叩いて熊を追い払おうというわけだ。素朴な発想がほほえま しい。

馬返しに降り立って振り返ると、岩手山は依然半分から上は雲の中だった。大半の登山者はここまで自動車で来ているようだ。私はまだここから車道を延々、2時間20分も歩かねばならない。
下り勾配の砂利道を柳沢集落へ向かう。ときおり俄雨がくる変わりやすい天気だ。何台か自動車が追い越して行く。手を上げて便乗を頼もうとの誘惑にかられるが、初志どうりバス停まで歩く。 シーズン中は柳沢集落からバスがあるのだが、この時期はずっと先の滝沢分れまで行かないといけない。
舗装道路路に変わり追い越して行く自動車の数も多いが、横目で見送ってひたすら足を運ぶ。
新調初おろしの靴が災いしてマメができている。しかしもうすぐ頑張ろう。長い長い車道歩きがようやく終わり、国道の滝沢分れバス停に到着した。間もなく来たバスに乗って盛岡駅へ向かった。