追想の山々1263  up-date 2002.01.14


恵那山(2190m) 登頂日1989.04.26 単独行
東京(2.00)===神坂峠(6.05)−−−鳥越峠−−−大判山(6.55)−−−尾根分岐(8.05)−−−恵那山(8.25-40)−−−尾根分岐(9.05)−−−大判山(9.52)−−−鳥越峠−−−神坂峠(10.45)===東京
所要時間 4時間40分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   木曽山脈(中央アルプス)の山行記録はコチラにもあります
東京から日帰り、残雪を踏んで=51
馬の背のように大きい恵那山


マイカーで自宅出発AM2:00発。飯田インター5:00。昼神温泉の先でR256とわかれて、山あいの集落を過ぎ峰越林道へ入った。舗装道はやがて地道となり、いたるところ崩壊した落石が散乱、足の踏み場もない状態となる。自動車を進めてみたが、何回となく車腹を擦る。上からはいつ落石があるかわからない。身の縮むような運転で神坂峠までたどり着いた。

指導標に従って笹原の道を登りはじめる。ショウジョウバカマの咲く小径は霜柱が土を押し上げている。
ほんのひと登りで一つのピークがある。目の前に富士見台が広闊な姿を見せている。行く手には恵那山の頂上部が大判山の肩越しにうかがえる。残雪があるようだがどの程度だろうか。
小さな起伏を幾つか越え、傷跡も生々しい崩壊のナギ縁を慎重に通過。急登を過ぎると大判山の頂きである。三角点のそばに測量櫓が倒れかかっていた。展望が一気に開け、恵那山の全容が初めて目前に展開した。ゆるゆかな放物線を描く山稜はたくましい骨格を持ち、その背稜は北から走ってきた木曾山脈が、南の涯てを締めくくる最後の高みにふさわしい。

大判山からまた幾つかの起伏を重ね、天狗のナギ(1820メートル)を過ぎると氷化した雪が現れ、まもなく林床全体を残雪がおおってきた。これほど残雪に覆われているとは思わなかった。雪の上に残る古い足跡を辿って行く。赤布の目印も頼りになる。
足跡の途切れた箇所も多く、次の足跡を探し損ねるととんでもない方へ行ってしまう虞れもあるから、気は張り詰め慎重そのものだ。白骨化したツガの枯れ木が目につく。  雪は更に厚みを増してきた。傾斜も胸を突くほどの勾配となりスリップにも注意しないといけない。
堅くしまった雪は足が埋まることはないが、ときには下が空洞になった所を踏み抜いて足の付け根まで落ち込んでしまうこともある。布製の短靴はちょっと軽率だったようだ。
展望のない急登を喘ぎながら、稜線に登りつくまでは休まず頑張ろうとしたが、スリップを気にしながらの登りに疲れて5分の小休止をとる。再び急登について僅か3 〜4分、稜線の分岐に飛び出した。もうここは2100メートル、長大な恵那山頂上の一角といってもいいくらいのところだ。
三角点のピークまでは高低差であと100メートル弱、案内標識には40分とある。径はここからはぼ直角に南東方向に向きを変える。
頂上部の残雪は更に厚く、無雪期には頭上にあるはずの木々の枝が胸や、顔の位置にあって歩きにくい。小さな社がひっ そりと置かれている。平坦に近い残雪の稜線は行き詰まりとなり、また小さな社がある。乱れている足跡を拾ってうろうろしていると、見晴らしのよさそうな露岩が見え、その下の窪地に新しい小屋が建っていた。暖房用の薪が積んである。立派なストーブもあり、清潔で気持ちいい小屋だった。

小屋からちょっとした登りがあってすぐに恵那山頂上だった。
またひとっ頂上を極めることができた喜びが湧き上がってくる。先ほどよりふたまわりほど大きい社が建っている。これが恵那神社だった。
深田氏が訪れたのも4月下旬、山頂近くには雪があったと書いている。登った時期は同じでも、今年は残雪量が多かったようだ。樹林に隠されて展望はきかなかったが、小屋寄りにちょっと下がったところが伊那谷から南アルプスの展望がよさそうだった。しかし今日は春霞みで景観は茫洋として定まらず、辛うじてそれと識別できるほどの南アルプスの白き峰々も雲かと見まがうばかりだった。

下山は同じ道をたどった。