追想の山々1264  up-date 2002.01.15


日光 太郎山(2368m) 登頂日1991.10.26 単独行
東京(3.30)===光徳牧場(6.35)−−−ハガタテ上の稜線(7.50)−−−小太郎山(8.25)−−−太郎山(8.40-9.40)−−−お花畑−−−鷹巣飯場跡(10.40)−−−志津分岐(11.10)−−−光徳牧場(12.10)===東京へ
所要時間 5時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
男体山に勝るとも劣らぬ日光の名峰=55
女峰山(左)と小真名子山・・・太郎山より


雨の心配をしないで出掛けたのは、いつ以来のことだろう。
日光へ通じるこの道路も、すでにいく度車を走らせたことか。地図を見れば、狭い日光の山域に2000メー トルを越える峰が10余りもひしめいている。太郎山を登れは、300名山に含まれる日光の山は終わる。
日光は、今紅葉の盛りを迎えていた。

登山口近くの光徳牧場駐車場は、カラマツ林の中にあって、黄金色の針葉がそサラサラと降りかかってきた。
早速出発。矢島市太郎句碑の前で奥鬼怒林道と別れて登山道に入る。落葉松の黄葉を見ながら、道はやがて沢状の中を歩くようになって、一 箇所だけ伏流水が地表に流れ出ている水場を過ぎるころから、傾斜が一 気に険しくなってきた。ハガタテ薙のガレの急登を滑らないよ うに慎重に歩を進め、振り向くと眼下に秋色の小田代ケ原が、そしてカラマツの黄葉がひかり輝いていた。
ガレのきつい登りを終わって樹林に入ると、山王帽子山からのコース と合する稜線は間もなくだった。足早に駆け抜ける霧の彼方に、燧ケ岳が姿をあらわす。
黒木の原生林の稜線を登って行 くようになる。樹間をとおして太郎山の高い峰も見えるようになる。

原生林を抜け、急登を登りつめたところが、西峰(小太郎山)だった。 そこは岩頭のピークで四囲の展望が一挙に広がった。南東面は急峻な懸崖となって険しく切れ落ちる。
太郎山はあと一投足、展望は太郎山での楽しみとして、小太郎山を後にする。降り口の岩場を慎重に下降して鞍部に立ち、岩場の急登を詰めると太郎山の山頂だった。  

広い山頂には石祠がまつられていた。
大気の透明度がよく遠望もすばらしい。まず確認するのは、先日登ったばかりの女峰山。皇海山に袈裟丸山。奥白根山は陽を浴びて明るいイエローオーカー、右肩に武尊山も見える。男体山は大真名子、小真名子を従えて、でかでかと威張っている。その裾に中禅寺湖が鈍く光っていた。
遠望すれば、燧ケ岳、至仏山、平ケ岳、荒沢岳・・・・。帝釈山、田代山は同じような尾根が連なっていて、どれがどうかはっ きりしないが、その背後に平らな長い山頂は越後駒ヶ岳だ。七ケ岳ははっきりわかるが、荒海山は指呼できない。遠く那須岳は噴煙を上げ、その右には高原山が一つの山塊を作っている。北方遥かに目を凝らせば、飯豊連峰が青いシルエットでうかがえた。

好展望に満足して山頂を後にした。
お花畑は、秋深まった今は枯れ草の明るい草地だった。
火口縁を乗越してからは急峻な下りがつづき、ガレ場を二回用心深く通過、飯場跡の林道に降り立った。これを志津林道と思い込んで右に進んだが、光徳、三本松への標識があらわれて、逆方向へ歩いているのに気づく。しかし地図ではこれで間違いない。若いハイカーが地図と睨めっこしている。「この標識はおかしいですね」と私。「だれかの悪戯かも・・・」というこ とで、自信のないまま進んだが、道は荒れ模様となりもう一度さっきの飯場跡まで戻ってみることにした。
地図を再確認すると、この林道は志津林道ではなく、志津林道はさらに20分ほど今立っている林道から下った先にあることがわかった。
志津林道に出るとライダーや観光の自動車が行き交う。長い林道を紅葉・黄葉を楽しみながら、光徳牧場駐車場に戻ると観光客が溢れていた。