追想の山々1266  

大日三山

奥大日岳(2606m) 中大日岳(2500m) 大日岳(2498m)
2010..9.15-16    富山県    地図・・・剣岳    ≪三角点 奥大日岳・・・三等  大日岳・・・二等≫
●立山駅===美女平===室堂(8.15)−−−雷鳥沢野営場(8.40)−−−室堂新乗越(9.05-9.10)−−−スケッチ2回15分−−−奥大日岳(10.45-11.10)−−−七福園(12.30)−−−大日小屋泊(12.50)  山頂往復所要時間15分

●大日小屋(6.00)−−−大日平木道(7.05)−−−大日平山荘(7.25-7.30)−−−木道終り(7.55)−−−称名滝登山口(8.45)
山友と南ア南端の光岳一泊山行のつもりだった。前日になって天気予報は雨、急遽予定取り消し。
2日間、他の予定を入れずに空けておいたのがもったいない。天気予報を調べると立山室堂が初日晴れ、2日目曇りということでここなら問題なさそうだ。

雨に煙る剣岳
ということで急遽大日三山=奥大日岳、中大日岳、大日岳へ出かけることにした。奥大日は過去に2回登っているが、中大日と大日岳は未登の山。北アルプスの名のあるピークはすべて登りたいと考え、おりを見ては登ってきたが、まだいくつか残っている中の二つが中大日と大日岳ということで、ずっと気になっていた。

マイカーで富山電鉄立山駅へ。始発7時のケーブルに乗車、美女平経由で室堂へ。
6年ぶりの室堂、上空はほぼ快晴。逆光の立山連峰が黒々としたシルエットで出迎えてくれる。バスで隣席の登山者から『大日小屋から称名滝への登山道は危険で歩けないそうですよ』という話を耳にした。山岳警備隊の詰め所のようなところに立ち寄り様子を尋ねる。崩壊箇所は応急処置がしてあるから注意して歩いてくださいとのこと。
初日が室堂乗越―奥大日岳−中大日岳―大日小屋泊。大日岳ピークを踏んで翌日は称名滝への下山というコース。私にとっては日帰りコース、しかし空いた2日間をのんびり歩くのも悪くはないだろうということで、あえて1泊とした。

室堂から雷鳥沢へ下り、室堂新乗越へと登り返す。別山左肩に剣岳が見えてくる。背後には逆光の立山連峰。ここで奥大日岳の手前三角錐のピークをスケッチ。
稜線にからみながら奥大日岳へと向かう。最初は頭だけだった剣岳が、進むほどに見える範囲が広がってくる。剣岳をスケッチ。

ランプの灯る大日小屋
立山方面に薄いガスが流れ始めた。間もなく眺望がガスに閉ざされる可能性もある。次の小ピークでほぼ全容を見せてきた剣岳、そして立山連峰もスケッチ。10数年前に登った鍬崎山の姿も懐かしい。

奥大日岳手前(カガミタン乗越)でまた剣岳のスケッチ。とにかく描きたいという誘惑を誘う姿なのだ。
今日は時間はいくらでもある。時間つぶしをしないと小屋着が早すぎてしまう。

ちょっとした岩場やガレを登って乗越状の稜線に出ると奥大日岳は目の前。結局剣岳を3枚スケッチして山頂に立った。ガスがどんどん上がってくる。瞬く間に剣岳の姿は隠されてしまった。3枚だけでも描いておいてよかった。
30分近く様子をみたが霄れそうにない。大日岳へとつづく稜線もすっかりガスの中でまったく見通せない。

ここからは始めて歩くコース、角ばった岩の急坂を、鎖につかまったりして急降下、やがて勾配は緩んで水溜り(細長い池?)のある二重山稜地形を通過。大岩が堆積するところをいくつか通過する。この前後の区間、花季にはチングルマをはじめ多くの高山植物に覆われている様子がうかがえる。

急なガレ場に突き当たる。ガスで見通しはきかないが、右手高みに稜線が見える。大日岳へは稜線伝いに行くはずだが、どうして右手に稜線が見えるのだ?分岐を見落とし、稜線を離れて下ってきてしまったのではないだろうか?どうも自信が持てない。こんなときは戻って確認するのが一番、しばらく登り返すようにして来た道を戻り、岩塊の場所からさらに先まで戻ってみたが分岐はない。
ひとまずこのコースで良しとして進むこととする。急なガレはずっと下まで続いているように見えたが、たいした下りではなくすぐに踏み固められた穏やかな稜線の道なった。やれやれ一安心。視界の悪いときは慎重に過ぎるということはない

ガスの中、行く手を遮るような岩峰を鎖につかまって越える。
巨岩が目を惹く岩の庭園という雰囲気が広がる。『七福園』という表示がある。立ち止まってしばらくこの景観に見入った。
剣岳(左)と奥大日岳(右手前)
七福園からなだらかに登って行くと一羽の雷鳥に出あった。こんなガスの日には、北アルプスではよく出あったものだが、個体数が減ったのか、出あうチャンスが少なくなった気がする。
中大日岳のピークは、大日三山の一つにしては気の抜けるような平凡な山頂だ。ガスの切れ間から眼下に大日小屋が見え隠れしている。下っていけば5分とかからない感じだ。
あとわずかで小屋到着というとき、ついに雨が落ちてきた。駆け足で小屋へ走りこんだ。時刻は12時50分。


天気が良かったら3時過ぎに小屋着、それまでスケッチしたりしてのんびり歩くつもりだったのに、結局展望のなくなった奥大日岳以降は、いつも通りのペースで歩いてしまった。夜までの時間が長すぎる。

大日岳山頂と背後は剣岳
雨の中を大日岳山頂へ。小屋から10分ほどだった。山頂に立ったとたん、なぜか急に剣岳の一部が見えはじめ、あれよあれよと言う間に、ほぼガスは吹き消されてその全身を現した。まさに奇跡的な出現だった。蒼いシルエットで浮かび上がる山容、部分的に淡い霧がまといついている様は、まさに幻想の剣岳だった。

このあと夜まで雨は降り続いたが、小屋の正面から早月尾根、前剣、一服剣、そして剣本峰のピークと、毛勝三山の眺めは終始消えることはなかった。

スケッチに着彩したりして時間をつぶす。
宿泊者は8名だけ、内部も寝具も清潔、夕食後の小屋の食堂はムード豊かなランプが灯り、これで星空、月に照らされた剣でも見えたらまさに最高。ただ、食事の内容がちょっとネ−(1泊2食9000円)・・・・。最近の山小屋は食事内容にも気を使っているがちょっと時流に乗り遅れているかな。私自身食へのこだわりはないが、それでもこれはちょっとという感じ。

翌朝雨。昨夜から一晩中降り続いている。
下山路の崩壊箇所にこの雨の影響がなければいいが。
案じても仕方ない、室堂へ引き返す人が多く、称名滝へ下るのは私のほかに一人のみ。
雨の中、1500メートルの標高差を下りに下っていく。登山路は小沢と化しているところが多い。濡れた岩に気を使っていつものスピードでは歩けない。平坦な大日平へ入ると長い木道歩きとなる。大日平山荘は休業中(登山路崩壊のためらしい)で人の気配がない。山荘からさらなる長い木道、これが滑って何度も転びそうになる。平坦だからといって大きく脚を延ばした歩きはできない。

木道が終わったあと、問題の崩壊ケ所となる。狭い沢状地形の上を仰ぐと不安定そうな巨岩が見える。応急用の道を出来るだけ急いで通過、何事も起こらず一安心する。あとは二条の高度感のある滝を見ながらひたすら脚を運び、勾配が緩んでくると称名滝の登山口だった。

下山2時間45分、それほど急いだ感じはないが、ガイドブック4時間を大幅に短縮していた。
かなり強い雨が降っていたが、称名滝を見物してから、車を止めてある立山駅までバスで向かった。
再登を期したいと念じながら、いまだに実現できていない。今年こそ、今年こそと力みながら、昨年もまた空振りになってしまった。(2002.1.5記)

2005.09.13 ようやく再登を果たす。剣御前〜奥大日岳の記録はこちら

奥大日岳(2606m) 登頂日1992.07.18-19 妻、M氏、K氏同行
●池袋(23.05)==バス==富山駅〓〓〓立山〜〜美女平===室堂−−−ロッジ立山連峰(泊)
●ロッジ立山連峰(4.20)−−−室堂乗越(5.10)−−−奥大日岳(6.40)−−−室堂乗越(8.05)−−−室堂===美女平〜〜立山〓〓〓富山==バス==池袋(21.00)
所要時間  1日目 ***** 2日目 3時間45分 3日目 ****
梅雨末期の強雨にたたられる=55
雨の山頂


ほんのいっとき会員となったSハイキングクラブ計画山行に、妻を連れ立って参加した。とはいうものの、私達のほかには二人だけ。
梅雨まっ最中の山行はお定まりの雨。
富山行夜行バスで蒸し風呂のような池袋を後にした。富山電鉄の電車が立山へ向かう途中から、激しい雨脚が窓を打ち始めた。今日の登山は一体どうなることやら、先が思いやられる。 ケーブル、バスと乗りついで室堂へ向かう。途中『称名滝』展望台で徐行サービスのバスから眺めた瀑布のすさま じさは、けだし圧巻であった。昨日から降りつづく雨で増水した称名川の水量を、一気に落下させる規模は描写できないほどの迫力で、息を飲んで見つめた。赤茶色の濁流が天空に向 けて激しく迸り、奔放に飛沫を拡散する様は、あたかも超巨大なホースから放水しているかのように見えた。

室堂は、下山してきた登山者、これから山へ向かう登山者、観光客、 修学旅行生などがひしめている。外に出るのがためらわれるようなひどい雨だ。
今日の行動予定は、室堂から奥大日岳へ登り、稜線の大日小屋宿泊と なっていたが、この雨で果たしてどうだろうか。身支度を整えてとにかく外へ出た。濃いガスと上下左右からたたきつける雨で、視界も方向もわからない。道標を頼りに雷鳥平への下り道をたどった。修学旅行生らしい一団が、不十分な雨具にずぶ濡れになって室堂駅舎へ急ぐ姿は哀れであった。
容赦なくたたきつける雨が頬に痛い。面を上げることもできない。
山慣れない妻を連れて、これでは到底予定どおりの行動は不可能である。称名川を渡る木橋の手前で、濁流に冠水した橋を見ると、今日の行動の中止をすっぱりと決める気になった。
雷鳥平の『ロツジ立山連峰』に投泊した。雨は夕方まで止み間なく激しく降りつづいた。この雨は梅雨末期の豪雨だった。

翌朝、雨は止んだが濃い霧に包まれていた。普段ならすっかり夜が明けて明るくなっている4時半、今日はようや く足元がはっきりしてきたばかりである。雪渓を踏んで称名川の木橋を渡る。霧で見通しがきかず、別山乗越へのルートが判然としない。今日のリーダーはM氏、ルートは彼に任せる。視界がない雪渓上を登りはじめた。3年前に一度歩いている私には、少し変だと思いながらも 後について進んだ。コースがおかしいと気付き、ルートを探しながら雪渓を横断して行く と、幸いにも正規のコースにぶっつかることができた。木橋を渡ってすぐ左へ川沿いに行くべきを、右斜めに雪渓を登っていた。詳しく地図 を見れば誤る言こともないところだった。

私には何でもないやや急な雪渓斜面横断に、妻は恐ろしがって「もう 登るのを諦める」とか言い出す始末。ジョギングシューズの私に変わっ て、登山靴のK氏にステップを切ってもらい、ようやく10メート ルほどの雪渓を渡った。
別山乗越への登りは、その後もところどころ雪上を歩いたりしながら、 たいしたこともなく到達した。
乗越からは稜線歩きと なり高山植物が目につくようになる。特にこの時期はハクサンイチゲが目立つ。ロツジを出発して2時間20分、小さな岩塊の奥大日岳頂上に立った。日本三百名山の山頂からは、楽しみにしていた眺望もなく、相変わ らず霧は濃く、吹き通る風が寒いほどで、記念写真だけ撮るとすぐ下山の途についた。

バスに乗って室堂を後にするころ、ようやく陽が差して来た。立山電鉄の車窓から、立山連峰が姿をあらわしてわれわれを見送っていた。
東京へ帰った翌日、気象庁は梅雨明けを宣言し、それから快晴の真夏日がつづいたのであった。
再登を期したいと念じながら、いまだに実現できていない。今年こそ、今年こそと力みながら、昨年もまた空振りになってしまった。(2002.1.5記)

2005.09.13 ようやく再登を果たす。剣御前〜奥大日岳の記録はこちら