sub1269

霧ケ峰高原散策

2017.07.17 妻とレゲツツジ見物
レンゲツツジ
◆半年前(昨年12月16日)、伊豆半島天城高原の山で滑って転倒、胸椎圧迫骨折のケガを負ってから登山は中止。先日医師から「山歩きはまだ少し早い、まずは平地で1時間、2時間とウォーキングの時間を少しづつ増やし、3時間程度歩いても何もなければ軽い山から始めてもいいでしよう・・・・」との話。

◆昨日は、全国でもトップクラスと言われるゲンジボタルの名所、辰野町松尾峡のホタル狩り。
農薬の影響でホタルのエサとなるカワニナ(貝の一種)が絶滅状態、ホタルも消滅一歩手前の危機に瀕したが、地元民の努力の甲斐あって今の状態まで復元したとのこと。
この夜は、地元の人たちでも「これほどの数の蛍は記憶にないほど」というほどの大当たり。水辺の草むらで、あるいは宙を乱舞してまさに圧巻。

◆ホタル観賞の翌日は、霧ケ峰高原のレンゲツツジを見たくて立ち寄り。高原のなだらかなスロープを歩いて久しぶりに山歩きの感触を味わう・・・やっぱり山はいいな〜。歩行わずか30分程度だったが、これを山歩き復帰の日とする。
ところで目的のレンゲツツジの方は鹿の食害で全滅に近い状態、全山赤く染めるように咲き競った昔の風景はなし。残った数少ない株が点々と見えるだけ、絢爛豪華な以前日は戻るのだろうか。

                                                   霧ケ峰高原 車山(1925m)

車山高原スキーリフト利用で山頂へ
2014.02.25 九州のHさん同行     二等三角点

入笠山スノートレッキングを楽しんだあと、展望目的とHさんの日本百名山挑戦の一環として霧ケ峰高原車山へと向う。

 

スキー場まで自動車道は完全除雪、まったく雪のないのには驚いた。おかげで予定していた時間の半分ほどでスキー場駐車場へ到着。樹木一本見当たらないような白銀の高原は、草の萌える時期とは違ってさらに雄大広濶な雰囲気が漂っている。

スキーリフトを2つ乗り継ぐと、そこはもう山頂の一角。労せずして日本百名山、2等三角点の頂に立つ。これで何回目になるだろうか、多分10指に余るだろう。 

八ケ岳も、阿弥陀岳・赤岳・権現、横岳等ようやくそれぞれのピークが指呼できるほどにはっきりしてきた。諏訪富士と呼ばれる蓼科山は目の前、しかし遠景の山々、とりわけ期待の大きかった南ア、中ア、北アなどは靄に隠れたまま。山頂展望盤でその景観を偲ぶのみ。記された山名は、名にしおう名峰のオンパーレード。一座づつ読み上げていく。少なくても日本百名山が20座以上指呼できることができた。

 

せっかく持参した輪カン、試しに履いて山頂付近を歩いてみることにする。ただし、樹木のないここでは、降った雪は風に飛ばされて深雪にはならない。輪カンの感触を味わうところまではいかなかったが、H女史にとっては小さな体験だったかもしれない。

下山はリフト一本分だけ歩くことにした。

春を思わす陽射しを感じ、蓼科山を目にしながら真冬のスノートレッキングの片鱗を味わった霧ケ峰だった。

 
山頂から蓼科山をのぞむ  車山二等三角点
霧ケ峰・車山(1925m) 登頂日1950年 
強清水から往復
所要時間 ?時間?分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
初回登頂は中学生の遠足=13
真冬の霧ケ峰山頂


登山とはいえないが、郷里の辰野町からごく近いこともあって霧ケ峰へ訪れる機会は多かった。もう10回以上、あるいは20回くらいは行ったのではないだろうか。
車山へ登ったこともあるし、八島湿原や高原の散策、山スキーでの蝶々深山、あるいは鷲ケ峰登山などとにかく数多く訪れている。車山クロスカントリー大会で車山を走ったことも何回かある。

思い出すと、中学生のころ学校行事のキャンプで強清水に野営したのが一番最初だった。キャンプの翌日車山に登ったり、八島湿原等を散策したはずである。
その後はスキーのときもあったり、家族のとき、職場での旅行、車山クロスカントリー大会・・・そうしてスキーにでかけおりに車山の山頂に立ってみたりもした。
何といっても霧ケ峰高原の一番いい時期は、鬼躑躅(おにつつじ=レンゲツツジ)の咲く6月半ばだろうか。ゆったりと起伏のつづく高原を飾って、どこまでも咲き競うつつじがまるで赤いじゅう たんを敷き詰めたような景観は絶品だ。更にそれに劣らぬ最高級品は7月梅雨明け頃の、ニッコウキスゲの大群落である。それこそ黄一色、豪華に高原 をおおいつくすさまは、一度目にすると忘れることができない。

そして何と言ってもその空の大きさときたら、多分全国でここほど空が広く見える場所はほかにはないような気がする。
私にとっては霧ケ峰は我が家の庭のような親しみがある。
昔と違って、ビーナスラインという山岳道路が開通し、シーズンには自動車が大挙して押し寄せ、賑やかな観光地となってしまった。しかし多くの人にこの高原の良さを知ってもらえれば、それもまたいいのではないかと思う。