追想の山々1272  up-date 2002.01.26

1990.09.09 妻同行  女神岳茶屋から  ◆2000.7.19・大河原峠から  2015.7.22 女神岳茶屋から

蓼科山(2530m)
登頂日1990.09.09 妻同行  女神岳茶屋コース
女神茶屋駐車場(6.30)−−−2161m地点(7.20)−−−蓼科山(8.40-9.15)−−−女神茶屋駐車場(10.50)
所要時間 6時間20分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
日本百名山完登直前に妻と登る=53
蓼科山々頂と背後は八ヶ岳
生家の墓地のある高台へ上がると、南アルプスの仙丈ケ岳が大きく望める。甲斐駒ヶ岳が頭をのぞかせ、その先には塩見岳、さらに諏訪富士と呼ばれる蓼科山が霧が峰高原の向こう見える。
その蓼科山へは中学生のとき学校行事で登ったことがあるが、あれは40年近い昔のことだ。

女神茶屋からちょっと下った引水で水筒を満たして出発 する。緩い勾配がしばらくつづき、妻にも足慣らしにちょうどよさそうだ。当然その先は急な登りが待っていた。
頂上までの標高差約900メートル。 笹原が終わって、樹林の中のきつい登りに変わる。一度緩んだ登りが再び厳しい急登に変わると、次第に背後の展望も開けて、八ヶ岳や中央アルプスが目に入って来た。雲のかけらもない絶好の登山日和。ときどき背後の展望に目をやりながら、妻のペースで徐々に高度を稼いで行く。歩き始めて50分、 標高2100メートルの見晴らし台に到着する。木曽御獄山が朝日に映え、シラビソ林の頭越しに蓼科山の頂が見える
道はシラビソ林へ入ってしばらくは平坦となる。それも少しの間で、上部岩塊がはっきり確認できるあたりから一歩一歩よじ登るような急登となった。足場も不安定で妻のペースががっくり落ちてしまった。しかし一歩登るたびに展望も一層よくなっていく。乗鞍岳も視界に入り、その山稜は北アルプス笠ケ岳方面へとつづく。

白骨化したシラビソ枯木帯を通過する辺りからがコース中最も傾斜がきつい。しかし頂上はもうひといきだ。急登を登りきって黒木林を抜け出ると森林限界で、累々たる岩石が頂上まで堆積している。
暗褐色の岩に山頂まで10分と書いてある。1000メートルを一本調子で登って来た疲労もあって、妻はこんな大変な ところは歩けないとだだをこねている。岩の頭を伝って斜行して行くと、左上に測量櫓が見える。山荘で左手X字に折り返すと山頂だった。

2530メートルの山頂火口は、大小無数の岩塊に覆い尽くされ、櫓の脇に一等三角点標、火口中心からやや南寄りに小さい祠があった。高度差1000メートルを2時間10分で登ったのは、妻には上出来であった。
快晴の山頂から大展望を堪能する。目の前に八ヶ岳連峰、左には奥秩父連山、南アルプス、中央アルプスから恵那山、御嶽、乗鞍、 笠ケ岳から穂高連峰、槍ヶ岳、大天井とつづき蓮華、 鹿島槍、五竜、白馬。遠く背後に立山と剣岳もある。妙高山ほか頚城の山々、更に浅間山。定かでないが上越国境の谷川岳辺りとおぼしき山々、特徴的な山容の妙義、荒船山・・・・・・私が足を運んだ山々がずらり勢揃いしたこの壮観、気分は最高だ。

実はこの蓼科山の1週間前に、日本百名山99座目の早池峰山を登り終った。残すは飯豊山だけとなった。
蓼科山は中学2年生のときの学校の集団登山で、すでに登頂済みとして数えていた。私が登山らしい山として登った最初の山がこのときの蓼科山であった。つまり日本百名山の第一山目ということになる。
いよいよ2週間後の飯豊山登頂による日本百名山完登を目前にして、癌の手術以降心配をかけた妻と第一山目の蓼科山へ一緒に登り、そして最後の飯豊山もまた妻同行で締めくくろうと言う思いがあった。
快晴に恵まれてその思いが達せられ、あとは飯豊縦走を待つだけとなった。

蓼科山(2530m)
2000.7.19・・・大河原峠コース  単独
大河原峠(5.10)−−−将軍平(6.10)−−−蓼科山(6.35-6.55)−−−前掛山−−−大河原峠(8.15)

蓼科山登頂の最短コースとして、大河原峠からからのピストンがある。
標高差500mを登るだけで、2530mの山頂に立つことができる。
これが3回目の蓼科山。

最初は中学生の時の学校登山、親湯温泉からの往復、岩だらけの山頂にびっくりしたのを、今でも鮮明に覚えている。
2度目は、日本百名山99座目の登頂。このときは妻同行で女神岳茶屋からの往復だった。

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そして今回はちばん楽な大河原峠からの往復。
長野市を未明に出発、標高2000m余の大河原着は5時。夏とは思えない冷気が肌に心地よい。峠から東方を見ると、噴煙を上げる浅間山が大きく聳えている。

 夜来の雨は上がっているが、露を含んだ笹の道に、膝から下はたちまちびしょ濡れ。
将軍平までの1時間は、ゆったりとした登りがつづく。霧の流れるコメツガなどの針葉樹が手づかずのまま原始の雰囲気を感じさせる。山頂の天気が気にかかる。 

将軍平の山小屋を過ぎると、間もなく森林限界。コースは一変して巨岩累々とした険しい岩の道が山頂までつづく。足場はあまくつくられているので心配ないが、濡れてると要注意だろう。

30分なかけて岩場を登りきると広同とした山頂。幸いにして霧の上に出たようだ。
茶褐色の岩石に埋め尽くされただだっ広い山頂は異観だ。他ではちょっと見られない独特の景観をみせてくれる。中学校の登山ではこの光景に目を瞠ったのだった。 

独立峰的の山頂は最高。中部山岳の高峰すべてが視界にはいるほどの展望。
北・南・中央アルプス、八ヶ岳連峰、乗鞍岳、御嶽山、浅間山、四阿山、根子岳、頸城の山々そして眼前には霧ケ峰、美ケ原がゆったりとした山容を見せ、眼下には青く光る白樺湖。
肌寒いほどの風に吹かれながらしばし展望に見入った。

 下山途中で、コースから少し外れて前掛山ピークを探してみだが、シラビソ林の中のどこな山頂があるのか識別することができなかった。 大河原峠には、これから山頂を目指す登山者が多かった。

蓼科山(2530m) 
2015.7.22  女神岳茶屋コース  単独
女神茶屋(4.50)−−−四等三角点(6.00)−−−蓼科山山頂、蓼科神社、展望台(7.05−7.45)−−−休憩10分−−−
女神茶屋(9.45)

4回目の蓼科山。初回は中学3年の学校登山。タキギやキノコとりなど、仕事で山へ行ったことは何回もあったが、登山として山へ登ったのはこのときが始めてのこと。それから30数年して趣味で山へ登ることになるとは思いもしなかった。大小累々たる岩石が山頂を埋めていたあのときの驚きは今でも記憶にはっきりと残っている。

実は白馬岳を予定していたが天気予報が芳しくない。行く先変更で蓼科山。ルートは25年前に妻と登ったときと同じ女神茶屋からのコース。高低差は約900m、登山としてはまずまず。日本百名山、諏訪富士とも呼ばれて人気は高い。今日も団体さんをはじめ、登山者は多かった。

最初は勾配も緩く、登山道の状態も良い。カラマツ林の奥からはウグイスの鳴き声が絶えない。樹種にコメツガ、さらにダケカンバが混じってくる。
四等三角点で背後の展望が開ける。休憩代わりに立ち止まって八ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒、仙丈ケ岳などの展望を楽しむ。霧が早いスピードで流れて行く。山頂はどうだろうか。ここまでで高度を半分弱稼いだことになる。
勾配が中だるみしたあといよいよ本格的な急登。加えて歩きにくい岩の道だ。滑らないように足場を選んで高度を稼いで行く。やがて白骨化した枯れ木が見えるようになると間もなく樹林帯を抜け出て岩石帯となる。かなり風が強い、そして寒い、脚を踏ん張らないと風にあおられてフラフラする。防寒用に雨具まとう。

岩塊に覆われた山頂・・・1990.9.9の写真

山頂の一角に建つヒュッテから一等三角点へ。大きな噴火口跡を埋めつくす大小の岩塊、その岩を伝って蓼科神社を拝み、展望台へ。夏に寒風というのもおかしいが、まさに身にしみる寒い風を岩で避けながら展望を楽しむ。北アルプスは雲にからまれ、残雪の山が少し見えるだけ。しかし甲斐駒、仙丈、鳳凰、八ケ岳、奥秩父、荒船山、妙義山、浅間山、湯ノ丸山、頸城三山、両神山、遥か遠く淡い山影は赤城、日光方面か・・・。しばし寒風の山頂で時を過ごしたあと一服してから下山にかかった。

今回もまたまた失敗。カメラを紛失、注意はしていたのに、濡れた土に滑って尻もち。そのときにふたがしっかの締まらないカメラケースからカメラ本体が飛び出したらしい。下山してケースを見ると中は空っぽ。山でカメラを紛失したのはこれで何回目か。まったく懲りないヤツだ。ということで写真はありません。