追想の山々1280  up-date 2002.02.04


倶留尊山(1038m) 登頂日1997.03.23 単独行
奈良自宅(5.00)===曽爾高原駐車場(6.55)−−−亀山峠(7.15)−−−二本ボソ(7.30)−−−倶留尊山87.50-8.00)---亀山峠−−−曽爾高原駐車場(8.45)
所要時間 1時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****

奈良へ転居して最初の山で印象を悪くする=60
曽爾高原と二本ボソ


登山愛好者にとって、東京というところは実に恵まれた立地であったことを、奈良へ転居した早々に実感している。
東京からの日帰り圏内には、近くは奥多摩、丹沢、奥武蔵、ひと足延ばせば日光・足尾山塊から那須、南会津も圏内。谷川連峰、、越後南部、西上州や信州の一部。秩父、奥秩父から山梨方面、富士五湖周辺など、中級山岳以上の山々がいくらでもあった。
また全国どこの山へ出かけるにも、交通にはたいへん恵まれてた。
東京在住の11年間、四方八方諸国の山を、まさに縦横無尽に登りま くったという気がする。東京というところがそれほど好きだったわけではないが、振り返ると数多くの思い出を残した11年間でもあった。

60歳で定年退職し、1997年3月1日に東京から奈良へ転居した。
間もなく毎月登山10年間連続の記録が達成できるときだけに、転居したこの3月も一つは登っておかなくてはいけない、そう思って選んだのは日本三百名山の倶留尊山。
自宅から2時間弱で曽爾高原にある登山口へ着いた。広大な霧ケ峰のような高原を想像していたが、名の知れた割にはその規模はこじんまりと小さいのが意外だった。

青少年自然の家付近の駐車場へ自動車をとめて出発した。
好天予報の日曜日、サラリーマン生活から足を洗って、まった く自由の身になった今、登山も休日を選ぶ必要はなくなった。それなのに習性のようにして日曜日に出かけてきた。
冬枯れたススキの道、中年女性3人が前を歩いていた。頼まれてカメラのシャッターを押してやった。コースは斜高しながら亀山峠へと向かう。目の前に見えているピークが倶留尊山かと思ったが、一つ手前の「二本ボソ」であることが後でわかった。
3月の高原は吹く風も冷たい。少し勾配が急になってきた尾根を行く。見下ろすと曽爾高原の枯れ野が広がり、その先には黒とも緑ともつかない山がま近にある。しかし見通しても中部山岳のような高度感のある山は見当たらない。中部地方の山はたとえ登る山が低くても、2000メートルを超える中級山岳以上の山々が望見できるのに、この地ではもうそれは望めない。

日本三百名山とはいえ、その高さは1038メートル。高いだけが山ではないが、やはり少し物足りない。日帰り圏内で1500メートルを超える山は、それほど多くはない。ちょっと寂しい気分になりながら登って行った。
コースは岩の裸地から樹林の中へ入る。二本ボソピークの手前、小さな小屋があって、協力金500円を収めてくださいと書かれた箱が設置されていた。鍵がかかってお金を入れることができないのでそのまま通過。(*1)
いったん急降下してからもう一度急な登りを踏ん張ると、木立に囲まれた倶留尊山頂上に到着した。寒い風が吹き抜け、小枝には霧氷が着いていた。展望はまったくない。間もなく先程の女性3人も到着した。はるばる東京から来ていた。遠路、こんな取るに足らない山を目指すのは、日本三百名山を志向しているのだろう。菓子や果物をごちそうになり帰途についた。  下山は亀山峠まで下ってから、一足迂回して亀山経由で駐車場まで下った。
これが奈良転居第一号の登山だった。
(*)料金徴収はこの山の持ち主によるもの(地元の山林関係企業)
登山者のための設備、たとえばベンチとかロープや鎖のフィックスとか、足場の悪いところに階段を設置するとか、休憩舎を建てるとかいう特別の費用をかけているわけではない。ごく普通の尾根に自然のコースがあるだけ、コース整備に手がかかるようなう尾根でもない。歩く時間にしたら30分弱の距離。
ここを歩かせてもらうだけで料金を、それも500円という高い料金を取る理由が納得できない。
全国の山を歩いていて、月山の山頂神域に入るのに料金を取っていた例は見たが、ほかにはこのような記憶はない。
このときは冬の早朝で番人がいなかったので払わなかったが、次に家内と訪れたときにはしっかり徴収されてしまった。
500円が惜しいわけではないが、理不尽とも言えるやり方に腹が立つ。もう倶留尊山へは登る気はない。