追想の山々1291 up-date 2002.02.22
奈良〓〓〓京都〓〓〓嵯峨嵐山〓〓〓トロッコ電車保津峡(9.37)−−−水尾農協(10.30)−−−水尾岐(11.15)−−−愛宕神社(11.40-55)−−−月輪寺(12.30)−−−休憩10分−−−空也の出合(13.05)−−−清滝(13.40)===京都〓〓〓奈良 | |||||||
所要時間 6時間25分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||||
アプローチはトロッコ電車で=61才
大目標の日本300名山踏破は、残り24座、笈ケ岳という難関が一つ残ってはいるが、後はごく普通のハイキングとして登れる山だけとなっている。 300名山消化登山として今回は京都の愛宕山へ出向いた。珍しくアクセスは電車、東京にいたときだって、奥多摩や丹沢の山、それに中央線沿線の山へ行く時は、片道3時間前後をかけてよく電車やバスを利用したものだ。それを思えば愛宕山も片道2時間30分ほどで面倒がるほどのものではない。 自宅を6時30分に出発。王寺駅までバスを使わず30分の歩き。奈良で乗換えて京都駅へ。ここで嵯峨野線(山陰線)に乗り換えて嵐山駅下車。30分の待ち合わせでトロッコ電車の亀岡行きへ乗り込んだ。4両編成のトロッコは乗客10人にも満たない。保津川の渓流沿いをのんびりと走る。景観のいいところでは電車を一時止めて見物させてくれるサービスもある。しかし料金600円は高かった。 二駅目の保津峡駅で下車。駅から保津川にかかる吊り橋を渡って対岸の自動車道へ出る。 しばらく車道を進むと左手にJR保津峡駅が見えてきた。トロッコ電車に乗らなくても、京都からの嵯峨野線で嵯峨嵐山で降りないで、もう一つ先にあるJR保津峡駅で降りた方がアクセスは都合が良い。 さて、JR保津峡駅への道と別れて水尾方面へと向かう。行き交う自動車も少ない爪先上がりの舗装道路がつづく。「柚の里歩道−水尾探勝会」の看板にそって左手の遊歩道へ入る。未舗装ながら自動車が通れるほどの幅がある。遊歩道は自動車道に寄り添って伸びていたが、やがて大きく蛇行していく車道から遠ざかり、さんさんと春の陽がこぼれる柚の畑の中へ出た。 3月初めとは思えないようなぽかぽか陽気に、セーターを脱いで薄着となる。小1時間で水尾の集落へ着く。この集落は1000年からの歴史を持つという。人里から隔絶したような辺鄙な山奥に「いかにも山村」という静かなたたずまいを見せていた。 農協前で車道と別れて右手の細道へ入ると、ここからが愛宕山への登山コースとなる。山裾の斜面にへばりつくような民家の間や、柚畑の中を抜けると登山道らしくなってきた。目指す愛宕山は、標高924メートルという低山ながら、保津峡からの標高差は800メートル以上あり、けっこう登りでもある。思いのほかきつい登りと、春先とも思えない陽気に、たちまち汗がしたたる。 ひと登りして高度を上げた所で視界が開ける。眼下には「これが山村」という見本のような小さな水尾の集落が俯瞰できた。のどかな眺めだった。 このあと眺望もない木立の道を、汗をぬぐいながらなおも登り続けてゆく。木立に囲まれた休憩舎がある。ここが水尾岐というポイント。清滝から登ってくる愛宕山メインのコースと合流するところだ。急な登りはここまでだった。急に行き交う人の姿が多くなった。
最後の石段を登りきると「愛宕権現」の額のかかる門の奥に立派な社があった。この神社にしろ、登ってきた石段の御影石にしろ、機械力もない昔、どのようにして資材を持ち上げたのだろうか・・・・・神社への信仰より先にそんな畏敬の念にかられる。 日当たりのいい石段まで戻り、ここで休憩かたがた昼食をとった。 下山は清滝へ下ることにしているが、メインコースではなく、月輪寺経由のコースを取る。うまくすると清滝発のバスを、予定より1本早いのに乗れるかもしれないと足を速める。30分程下ると月輪寺だった。ほとんど平地もないような場所に、ようやく敷地を切り開いて、へばりつくようにして本堂が建っていた。小さな寺だがなかなか由緒があるようだ。法然上人も来たという古刹らしい。 月輪寺からさらに下ってゆくと、曲がり角の切り開きから遠く春霞の中に、薄い青紫に連なる山並、それは比叡連峰のようだ。中にとりわけ顕著なピークが比叡山であろうか。山道を下りきったところが「空也の出合」という。ここから先は舗装された自動車道となり、後は清滝バス停へと向かった。バス停着は発車10分前という上出来のタイミングだった。 |
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履きなれた登山靴を買いかえて、新しい靴で登った。 300名山踏破の最後の段階で、考えもなく買い替えてしまったが、もう少し無理して履けば300名山最後の山を古い靴で登れたのに。 この登山靴でどれだけの山を登ったことか。私の足そのものである。 せめて300名山踏破はこの靴で終りたかった。 それなのに写真に残して、すぐにゴミとして捨ててしまった。 そのことを今も後悔している。 |