追想の山々1293  up-date 2002.02.26


武奈ケ岳(1214m) 登頂日1998.06.18 単独行
地主神社(5.45)−−−大橋小屋分岐(6.35)−−−御殿山(7.10)−−−ワサビ峠−−−武奈ケ岳(7.40-50)−−−ワサビ峠−−−大橋小屋分岐(8.35)−−−地主神社(9.00)===蓬莱山登山口へ
所要時間 3時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
比良山系の盟主、300名山=61
愛車「テラノ」と別れの山行


梅雨の晴れ間をねらって琵琶湖西岸の2山を登る。
比良山系の三百名山「武奈ケ岳」と「蓬莱山」、標高は1000メートルを少し上回る程度、それでも登山口の標高が低いので、コースの高度差はいずれも900メートル前後と、それなりの行程を有している。
日本三百名山もいよいよ秒読み段階に入り、残すは10座。近畿地方に残ったのは<武奈ケ岳、蓬莱山、比叡山、金剛山>の4座。いつでも登れる近間にありながらこの段階まで残ってしまった。
9年間、18万キロを走った愛車テラノの買い替えを決断、すると急に愛着が強まり、何だかいとおしくなってしまった。今まで何回も自動車の買い替えはして来たのに、こんな感情にとらわれたのははじめてのこと。
思えばこの9年間、いくつの山へ一緒に出かけたことだろう。山のみならず、スキーにも行楽にもフルに活躍。関東周辺は言うにおよばず、東北、北海道、北陸から中国、四国、九州まで、全国テラノの走らなかった県は一つもない。走った距離は8年7ヶ月で18万数千キロ、よくも走ったものである。
テラノは「足」だけでなく、ホテル代わりでもあった。テント設営、撤収の手間も要らず、ほんとうに助かった。 日本三百名山完登の最終段階に入っているが、その大半の山はテラノと行動を共にしてきた。テラノがあったからこそここまで登ってこられた。テラノなくして日本三百名山はありえない。今日まで良く頑張ってくれた。
あと2、3ケ月で三百名山完登が達成できるというこのタイミングで、買い替えることになるとは思っても見なかった。最後の300山目も、当然のことながらテラノと行動するはずだった。今までの苦労を思えば、その晴れの日に連れて行ってやれないことは、まったく耐えられないものがある。私にとって、テラノは無機質の単なる機械ではない。気持ちの通じあった仲間、今はじめてそれに気づいた。手放す日が迫っている。せめてもう一度テラノと一晩過ごしておきたい。そんな思いに駆られて一泊の日程で比良の山へ向かったのである。

思えば4月に最後の難関笈ケ岳をやり遂げて、実質完登はできたようなもの、テラノがそれを見届けてくれたことで良しとしなくてはなるまい。そして5月には疲れたテラノをまた酷使して、8日間の九州山行もやってきたばかり。三百名山2座の登頂が目的ではあるが、今回ばかりはテラノホテルでの最後の一晩が主な目的であった。

今日もテラノはしっかりとした足取りで琵琶湖へと向かった。
初日の天気は確実に好天、しかし2日目にやや不安がある。
比良山系の最高峰武奈ケ岳、そして第二位の蓬莱山、ともに観光開発されて、リフトやロープウェイが山頂へとのびといる。これを使えば労せずして山頂へ立つことができるが、今回はしっかりと麓から自分の足で登ることにした。メインのコースは琵琶湖東岸側から拓かれている。しかし今回は登山者も少ないと思われる安曇川の流れる谷あいからのコースを選んでみた。
戸数がいくつもないような小さな集落に、地主神社は立派な構えをしていた。神社前の空地にテラノを止めて早速出発。
神社の左手に登山コース道標がある。林道を行くコースを見送り、三宝橋という明王谷にかかる橋を渡ると、今度は寺院がある。「明王院」という。平安時代にさかのぼる歴史のある寺らしい。本堂など重要文化財を有しているという。寺の先から登山道となる。これが「御殿山コース」の入口である。杉の人工林の中へ、早々に急な登りが待っている。コースタイムは4時間半、下山した時間によってこの日のうちに蓬莱山も登ってしまうかどうか決めることにする。風も通らない杉植林の中を、足元に視線を落としてひたすら高度を稼いでゆく。蒸し暑さで発汗が激しい。
1時間近く歩いたところで、大橋小屋方面との分岐がある。

明るくなって樹相が低潅木帯に変わった。開けた上空には一点の雲もなく、濃紺の青空が広がっている。樹木の根元が山の斜面に沿って這うように湾曲している。上信越地方の山の木を思わせる。かなりの積雪があるためだろう。
潅木林の中に朱鷺色のツツジの花が点々と咲いている。急に小鳥の囀りが頻繁になる。淡いピンク色をしたササユリがコース沿いひっそりと咲いている。耳を澄ますと、潅木の上を吹きわたる風の音がかすかに聞こえる。
ほっした気分で足を運んでいると、展望の開けた稜線上に登りついたようだ。見ると潅木の枝に「御殿山1097メートル」の板切れがぶら下がっていた。それでこのコースを御殿山コースというのだ。御殿山ではじめて目ざす武奈ケ岳を目にすることが出来る。笹原の稜線の先におだやかな姿で聳えている。もうひと息だ。5分ほど下った鞍部が「ワサビ峠」、そのまま直進するのが武奈ケ岳、右へのコースは金糞峠へと通じている。地図を見るとこの小さな比良山系に、縦横複雑に登山コースが記されているのには驚く。奥多摩や丹沢並みか、それ以上かもしれない。
ワサビ峠からちょっとの間、えぐられたような溝道を行くが、すぐに明るい潅木帯となってツツジの花などが目を楽しませてくれる。次いで笹の小径なり、武奈ケ岳の山頂を目にしながら、緩やかな尾根歩きが気持ちいい。地図ではここを西南稜と表示されている。
杭の立つ小ピークで右に曲がり、三角点まではすくだった。

視界を遮るものもない展望のピークで、蓬莱山が手に取るように見える。しかしその姿は山頂までスキー場として開発されて、まるで虎刈りの頭のようだ。空気が澄んでいると、鈴鹿、伊吹、はては木曽の御嶽山まで展望できるというが、残念ながら今日は遠望はきかなかった。京都丹波方面と思われる山々が展望できたが、特徴のない低山が連なるばかりで、目を引き付けるような山岳展望には遠く及ばない。

下山も同じ道を戻った。
登山口へ帰り着く直前で、登って来る若い男女4人に会ったのが、この山で会った唯一のパーティだった。

つづいて蓬莱山を今日のうちに登ることにして登山口「坂下」へ向かった。
  
2001.02.26 単独で新雪ラッセル・・・64歳
比良ロープウエイ利用・・・比良ロッジ(9.10)−−−ヤクモ小屋−−−武奈ケ岳(11.30)−−−ヤクモ小屋−−−比良ロッジ(12.30)

ロープウェイで山上駅 まで上がった。 無雪期なら、あとは山項までたいした行程ではない。昨日の寒波が新雪をもたらしている。比良ロツジでスキー靴から登山靴に履き替える。スキー板とスキー靴はロツジに残して出発した。
ゲレンデの端を伝って登って行く。雪の上に武奈ケ岳への道標が顔を出している。40分ほどでリフト終点となり、木々の梢越しに武奈ケ岳の山項がちらっとのぞいていた。ここでもうかなりの汗だ。今日一番の登山者となったらしくてこの先は足跡がない。道標も雪の下になって見えない。かいま見えた武奈ケ岳の方向を定めて適当に樹林の中へと入った。

無垢の雪面が広がって、コースはまったく判別できない。その上樹林に入ると見通しもない。感を頼りに潅木の間を、歩きやすいところを選んで登って行 く。膝まで埋まる。なかなか苦労だ。新雪は30cmほどだから、踏跡さえうまく拾えれば、こんなに足が沈むはずはない。ときには腰上まで埋まってしまう。正規のルートを外れているのを認識するが、そのルートがわからない。 2、3回脱色した赤布を見つけて、ほぼコースに沿ったあたりを歩 いていることだけは確認できる。ブナ林の霧氷がおとぎの国の絵のように見える。

一歩 一歩雪を分けて進むのは、2倍も3倍もエネルギーを消耗する。全身から汗が吹き出している。
樹林で見とおしが悪く、また一人でラッセルして登るのには少し不安も感じてきた。引き返そうと思ったとき、樹間から武奈ケ岳山頂が見えた。まだかなり遠くに見える。たったこれだけしか進んでいなかったのか、そんな気がしてくる。
ラッセルを続けて樹林を抜け出ると、雪原の斜面となり、その先には樹木はない。幸いにも正規のルートに乗ったらしく、足もそれほど深く沈まなく なった。広い雪斜面の急登を終わると、目の前に武奈ケ岳のピークがあった。なぜあんなに遠く見えたのか?ラッセルの大変さが、心理作用となって遠くに感じさせたのかもしれない。

帰りは自分の足跡を拾って半分の時間で下った。
比良ロツジでスキー靴に履き替え、今シーズンはじめてのスキーを楽しんだ。 近年は1シーズンに2、3回しか滑らないが、自転車と同じことで、体がちやんと覚えてい、そこそこには滑ることがで きる。ただ以前のような高速滑降はもう無理のようだ。
この歳の爺さんが滑っている姿は、ほかには見当たらなかった。