追想の山々1303  
破風岳(1999m) 御飯岳(2160m)

登頂日2009.06.281  御飯岳(2160m)  単独行
毛無峠(6.05)−−−毛無山(6.18)−−−御飯岳(7.03-7.08)−−−毛無山峠(7.45)−−−毛無峠(7.53)
御飯岳山頂
15年前に御飯岳を登ってから15年、今では登山道も整備されて楽に登れるようになったという。
阻む笹薮を漕ぎ苦労して登ったあの山が、どのような変わったのか確かめたくて出かけた。

須坂方面から上信スカイラインを万座方面へ向かう。立派に舗装された道をぐんぐん高度を上げ、『万座方面と毛無峠』への分岐標識で毛無峠へと向かう。ここも毛無峠まで完全舗装。毛無峠へ車を止めて出発する。天気が良いとここで展望が広がるのだが、あいにく霞が強くて遠望はきかない。

まずは毛無山のピークへ。火山灰地の裸地も多くの人の踏跡が道となっている。毛無山から先、かつては踏跡はまったくなかったが、ガンコウランの中に明瞭な道が小さなコルへ向かってつけられている。ガンコウランが絨毯のように広がる登山道脇にはコケモモ、イワカガミ、マイヅルソウ、ツマトリソウなどの花がたくさん咲いている。

コルから登りに入っても笹は刈り払われ、登山道は快適だ。以前残雪の中の笹薮に、滑ったり転んだり、手で押し分けたり、悪戦苦闘して登ったのが嘘のようだ。これだけ登山道が整備されているのに、道標の類は一切なく、残雪時に役立つだろうテープ類が少し目につく程度だ。

まったく展望のない黒木樹林や笹の中を縫ったりしながら、あっという間に山頂手前のピークに達した。山頂はもう目の前だ。10数年前の記憶を呼び起こそうとするが、まったくわからない。最後の登りを終り、平坦になってきたところで「このあたりのシラビソの幹に手製の山頂プレートがあったはず」と思いながら、目をきょろきょろしながら進んだが見つからなかった。
樹林の切れた先が小さく開けて3等三角点と手製の山名プレートが二つばかり木の幹にかかっていた。


山頂までの所要時間は1時間だった。15年前、あの悪条件の中を1時間半で登ったのは我ながらすごいと思う。体力、根性が満々とみなぎっていたということだろう。
霞のために眺望は不良、志賀の横手山、笠ケ岳、白根山、鳥甲山や根子岳、四阿山などを確認しただけだった。

私にとっては思い入れの強い秘峰的存在だった御飯岳だったが、今はもうごくあたりまえの誰でも気軽に登れる山へと変身、ちょっぴり淋しさを味わった山行でもあった。

登頂日1994.05.21  破風岳(2009m)〜御飯岳(1982m)  単独行
東京(0.00)===軽井沢I===万座ハイウエイ===毛無峠(4.40)−−−破風山(5.10-30)−−−毛無峠(5.45-6.00)−−−毛無山−−−御飯岳(7.30-50)−−−毛無峠(9.00)===万座温泉入浴===草津経由東京へ
所要時間 4時間20分  ***** ****  ****
密生した笹薮漕ぎの御飯岳(おめしだけ)=57歳才
残雪の御飯岳山頂

信州百名山94座目の御飯岳が目的であるが、ついでに破風山をコースに加えた。御飯岳は国地院地形図には登山道が記されていない。いろいろ探してみたが、資料はまったく見つからなかった。

万座温泉から上信スカイラインに入り、車をゆっくり走らせながら取りつき点となりそうなところを探す。しかしそれらしいところを見つけられない。須坂方面へのスカイラインと別れ、御飯岳を巻いて毛無峠への林道に入ってみる。ここという場所をが見つからないまま、林道終点の毛無峠まで来てしまった。

毛無峠は名前のとおり周辺に樹木はなく、笹や草地の斜面が広がっていて、妙高や浅間山方面の山々がすっきりと見えている。この毛無峠は上信国境を、万座山から黒湯山、御飯岳、破風山、土鍋山、四阿山へと連なる山地の中ほど、破風山と御飯岳から来ている尾根の鞍部にあって、破風山はここからだとすぐ目の前だ。

とりあえず破風山を先に登ることにした。破風山から御飯岳を眺めればルートファインディングの見当がつけられるかもしれない。

登山靴に履き変えるのを忘れて、ジョギングシューズのまま歩きだしてしまった。道の状態は良好、霜はまだ融けていないので濡れることはない。ただ雪渓の通過時ジョギングシューズでは危険を感じ、笹の茂みの中をぐるっと迂回して通過する。
少し登るとハイマツの植生が目にき高山の雰囲気となる。枯死したシラビソの樹幹が、白骨のようにつっ立っている。

四阿屋山(左)と根子岳・・・御飯岳より
勾配が緩んで平坦になると、そこはもう山頂の一角だった。シラビソの矮樹がほどよく点在する平坦部を進んだ先に破風山三角点があった。所要わずかに30分。午前5時を少し過ぎたばかりで、早朝の大気は澄み渡り遠望もよくきいている。曙光に輝く北アルプスの銀嶺が目に焼き付くようだ。
四阿山は目の前に大きく翼を広げている。優雅な山体の浅間山、純白の妙高・火打・天狗原山など頚城の山々。黒姫山、高妻山、飯縄山、戸隠山・・・。クリアな山岳展望をしばし楽しむ。
山頂の西側はすっぱりと切れ落ちて懸崖をなし、のぞきこんだら足がすくんだ。

肝心なのは御飯岳だ。破風山山頂からじっくりと眺めながら『さて、どうコースを取るべきか』と思案する。毛無峠から尾根を忠実にたどって行くのがいちばんかもしれない。山頂部は黒木が茂っているが、そこまでは笹が広がっているようだ。この破風山も登山道の両側はすべて笹であるが、比較的背丈は低い。御飯岳に見える笹が破風山程度のものなら、登山道がなくてもそれほど苦労することなく登れそうな気もする。


毛無峠まで戻り、今度は登山靴でしっかり足拵えをして、笹の露に濡れないよう雨具も着込んで御飯岳へと向かった。
毛無峠から赤錆びた鉄骨が並んだいる。昔、硫黄鉱山の搬出に使っていたものらしい。 樹木のないのは硫黄の影響だろう。
毛無峠から尾根への取りつきは、火山灰地の中にそれとわかる程度の踏みあとも認められる。この調子でコースがつけられていれば、御飯岳山頂はわけない。ちょっと甘いかなと思いつつ、楽勝気分で小さなピークに到着した。地図に毛無山とあるピークだ。
期待した踏跡はここまでだった。毛無山から先には踏み跡らしいものは全く見あたらない。しばらくガンコウランなどの草地の緩い下りを、歩きよさそうな所を選びながら適当に進んだ。天気がいいので尾根を外す心配はない。やがて登り勾配に変わると草地は笹へと変わった。しかし背丈は低くこの程度なら案ずることはなさそうだ。


破風山山頂、背後は北アルプス
しばらく登ってシラビソが植生しているあたりから笹の背丈が急に高くなり、薮も密になってきた。雪圧のため斜面を下方に向けて寝ている笹を、両手でかきわけて登って行くのはなかなか厳しい重労働だ。滑ったり転んだり、 『一歩』『もう一歩』と掛け声をかけながら、腕力に頼って薮を分ける。こんな筈ではなかった。それにしてもかすかな踏み跡くらいあってもいい。取付点の判断を誤ったのかもしれない。反省したり、途中で引き返そうかと弱気になったりしながらも、少しづつ高度を上げていった。

いっそソラビソ林の中の方が歩きやすいのでは、そう思って黒木樹林の中へ入ると、たまたまそこに人の手で伐られた樹木の跡が認められ、比較的歩きやすくなっている。以前ここがコースであったのは間違いない。ほっとしてシラビソの中を歩いたが、それもつかの間、再び背を越す笹薮に阻まれてしまった。遅々として距離が捗らない。

残雪が出てきた。わずかな雪だが笹を漕がないで済むのは実にありがたい。しかしすぐにまた笹薮だ。
ところどころ残雪があらわれるとほっとする。ひとしきり残雪がつづき、これで山頂まで楽に行けるのかと期待したが、その後も密薮こぎから解放させてくれなかった。時間にすればたいしたことはないが、薮こぎの疲労感は大きい。いつしか汗びっしょりになっていた。

前方に見える黒木のピークが山頂だろうと決めこみ、踏ん張って登りついたところは、実はひとつ手前のピークだった。本当の山頂はもう一つ先にあった。
少し下ってから笹薮をしごいて攀じると、ようやく山頂の一端に達したらしい。シラビソの林床には結構雪が残っている。1本のシラビソに古びたブリキ板が見える。字は消えているが、昔の登山道表示らしい。山頂がはっきりしないので、さらに奥まで進んでみると、シラビソの幹に御飯岳と書かれた小さなプレートが取りつけられていた。峠から時間にしてたった1時間30分だが、半日も歩いたような疲労感を感じた。
あたりは笹と残雪、三角点を探したが雪の下になっているのか見あたらなかった。  

シラビソ越しながら、ある程度の展望があった。四阿山と根子岳の間に中央アルプス、蓼科山と八ヶ岳の間には南アルプス、白根山の遥かかなたは日光連山や谷川連峰かもしれない。破風山頂上では御飯岳の陰になっていた志賀高原の山々が、ここからだと間近に望むことができた。

展望を楽しんだり、スケッチをしたりしてから山頂を辞した。一気に山頂直下の車道へ下るか、それとも来た道を戻るか迷ったが、あの笹薮も下りならそれほど苦労もなかろうと判断、同じコースを戻ることにした。道はなくてもやはり下りは楽だった。

帰路、万座温泉へ向かう途中で振り返ると、信州百名山の著者清水栄一氏が記しているように、御飯岳は海面に背中を出した巨鯨のような姿で横たわっていた。

すぐ近くまで車道が延びているのに、今なお寂峰として存在している責重な山、このあともずって寂峰でありつづけいほしいものだ。

万座温泉の露天風呂に立ちより、渓流の瀬音を聞き、高い空の下で染まりそうな新緑を眺めながら湯に沈んでいると、目に見えて疲れが取れて行くようだった。