追想の山々1312  up-date 2002304.06


鬼面山(1889m) 登頂日1994.10.23 単独行
地蔵峠(5.25)−−−1585メートルピーク(6.00)−−−鬼面山(6.50-7.15)−−−1585メートルピーク(7.45)−−−地蔵峠(8.05)===東京へ
所要時間 2時間40分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
中央アルプスをのぞむ展望台=57才
中央アルプス(越百山・南駒・空木・木曾駒)


マイカーをホテル代わりにして一夜を過ごした。
青白く煌々と照る月に、明日の好天を信じて眠りについた。
午前4時30分、目が覚める。夜明けにはまだ間がある。簡単に朝食を取ってから、昨日のうちに確かめておいた数分先の登山口へ自動車を移動させた。
足元がほの明るくなるのを待って出発。山の端は白みはじめてきたが、足元はまだ不確かでしばらくはライトを点けて歩く。鬼面山は地図に登山ルートが記されてないが、自動車道の『地蔵峠』標識地点からしっかりした道がつけらけていた。登山道入口には『鬼面山、三河山岳会』 の小プレートもある。この山域は勿論長野県のエリアではあるが、距離的には東海地方からの日帰りハイキング圏内となっているようだ。昨日のしらびそ高原でのドライブでも、行き交う自動車の大半は三河等東海ナンバーが主役だった。

地蔵峠から登山道を一歩入ったところに、木製の新しい祠にお地蔵さんが安置され、花が供えられていた。
小さい上下を繰り返して15分ほど下って行くと、登山道脇に熊をいけ捕る鉄製の檻が仕掛けられていた。ここが熊の棲息行動エリアであることは間違いない証拠だ。
ライトが要らなくなる程に明るくなって来たが、樹林はまだ薄暗く、そのへんから熊が飛び出して来そうで気味が悪い。檻のすぐ先にトタン囲いの小屋があり、ここから本格的な登りとなる。笹の刈り払いも丁寧にされていて気持ちいい道である。曙光が山肌を染め始めた。紅葉が鮮やかな色を浮かび上がらせる。赤、橙、黄、薄茶・・・・無造作な配色に見えながら、それぞれの色が過不足なく調和され、これを自然の妙というのだろう。

小屋からの急登をひと登りすると、索道跡の小ピークだった。既に陽光は山々を包み、紅葉は眩いばかりに秋の色を競い合っている。目指す鬼面山の高みがのぞめる。
小ピークからも尾根に沿ってはっきりとした道がつづいている。これ だけ明瞭な道がありながら、地図に記されないのが不思議だ。これならルートの心配をする必要はなかった。安心感でそんなことを思いながら気分よく足を運んだ。しかし尾根道が大きく右へ曲折し、いくらか下ったあたりから、いきなり急な登りに変わり、笹のせり出しがうるさくなって来た。やがて背 を越す熊笹が登山道一杯に茂って、足元も見えなくなってしまった。笹露に濡れるのを防ぐため、雨具を着用して笹を掻き分けながら急登を撃じる。熊が怖いので歌を歌ったり、ヤッホーを叫びながら歩く。
うるさい笹薮帯を抜けて稜線に立つと、木立の隙間から伊那谷の景観 が広がった。そこから鬼面山山頂までは5分とかからなかった。
地面の凍てついた山頂にはテントが一張り、測量用の三脚などがある。 声をかけると返事が返ってきた。聞くと国土地理院の測量員3人、寒い山項で昨日からの作業らしい。今は衛星を使ってのレーザー観測のため、 天候はまったく関係無いらしい。こうして各地の山頂を回りながら、1 カ所10時間ほどの観測をつづけているのだという。さぞかし山には詳しいだろうと思って山の話をしたが、私の方がよほど詳しくて、北アルプスや摺古木山、恵那山などを教えてやった。
鬼面山は三角点があるだけで、山名表示もない地味で狭い山項だった。東の南アルプスはシラビソ樹林に遮られていたが、伊那谷を挟んだ西は大きく展けて、朝陽に輝く中央アルプス全山が欠けることなく見はるかすことができた。蛇峠山、大川入山、恵那山も指呼できる。  伊那谷の底に朝もやが漂うのみで、雲ひとつない快晴の空が広がっている。木曽駒ヶ岳から北へ向かった山脈が、一旦雲海に沈んだ後、再び頭を持ち上げたところが経ケ岳だ。この鬼面山が信州百名山の99座目。残すは今眺めている経ケ岳のみとなった。来春雪が解けてから登りに行くつもりである。
白銀に衣替えした槍ヶ岳や穂高岳、御嶽山、乗鞍岳、阿寺山地も眺望された。

山頂の登頂記念のノートに記名、備え付けの記念スタンプをメモに押捺してから下山の途についた。