追想の山々1314 up-date 2002.05.16
白川村荻町R380ゲート(6.10)−−−天生峠(9.15)−−−籾糠山肩1600m(11.50−幕営−5.05)−−−籾糠山(5.38)−−−猿ケ馬場山分岐(6.35)−−−御前岳(7.45-8.45)−−−籾糠山(11.00−11.30)−−−籾糠山肩(11.50)−−−天生峠付近(13.00−幕営−5.00)−−−白川郷萩町ゲート(8.00) | |||||||||||||
所要時間 ××× | 1日目 5時間40分 | 2日目 7時間55分 | 3日目 3時間 | ||||||||||
一等三角点の百名山=63才
一等三角点の百名山 すでに92座の登頂を終わり、最後の難関岐阜県「御前岳」が残っていた。地図を見ても登山道はない。地元清川村や営林署へ問い合わせてみた。以前は登山道もあって整備されていたが、今は放置されてとても歩ける状態ではないという。 一方、歩けないことはないという情報もあるが、確かなことはわからない。ほとんど登山者も入らない忘れられた山となってしまったことだけは確かなようだ。
百名山として猿ケ馬場山を目指す登山者の中には、登頂後の下山コースとして、籾糠山を経由して天生峠へ下るという人も、数は少ないがいることを知っている。うまくいけば、天生峠〜籾糠山間は雪上に足跡が残っていることも期待できる。 ******************************* 残雪期の雪上テント泊、荷物は最小限にと心がけたが、アイゼンまで加えると20キロ近い重量になった。 山の残雪も例年になく多いことだろう。しかしその方が残雪利用の登山には都合が良い。 ゲート手前へ自動車を残して6時10分出発。 天生峠まで約10キロ、高低差650メール延々と延びる長い車道を、重荷を背負ってひたすら足を運んで行くことになる。乾いた舗装道路脇にはフキノトウが行列するように生えている。帰りに少しいただくとしよう。萌黄色の芽吹きが春の到来を告げている。谷間の渓流に目をやると、雪解け水が奔流となってしぶきを上げ、濁った水がかけ下っている。 そそりたつ山腹の上方には。まだたっぷりと雪が残っている。冬と春が同居する景観がつづく。ザックのベルトが肩に食い込む。足取りはスロースロー、決して急がない。今日のうちに籾糠山の肩まで登れればいい。 変哲もない車道を再び歩き出す。 天生峠までは思ったよりまだまだ長い道のりが残っており、がっかりするほど先だった。
除雪は展望所まで、この先はかなりの厚みを残す雪を踏んで行くことになった。舗装道と違ってエネルギーの消耗は格段に大きくなる。雪の上に新しい足跡が確認できる。多分さきほどのマイカーの人のものだろう。 テントが一張りある。籾糠山へでも向かったのか、人の気配はない。その先が広々とした天生峠手前の湿原である。小さく割れた雪の隙間から、ちょろちょろ流れに洗われるようにミズバショウの花が咲いていた。小さな小さなミズバショウだった。 偵察のときの記憶どおり、南に向かって緩く下って行く。下りきったところで記憶が全く役立たなくなってしまった。薄い足跡が右手の尾根へと向っている。記憶では山腹をトラバースしたりしながら、それほど急な登りもないままに天生湿原まで行けると思っていた。尾根へ登ったという記憶は残っていない。 地形も木々の茂っていたときと一面雪に覆われた今とでは、とうてい同じ場所とは思えない。地図を見ても確信が持てない。 とにかく湿原へ降りなくてはならない。登山道は湿原から通じていることだけは間違いはない。雪斜面を湿原に向かって適当に下った。 重荷に喘ぎ、汗にしみる目をこすりながら、峠から1時間半、ようやく傾斜が緩くなってきた。樹相はすっかり変って、コメツガ、ダケカンバ、ブナの大木ばかりだ。灌木類はすべて雪の下に隠され、大木の間を何処でも自由自在に歩くことができる。
どうやら籾糠山の肩の一角まで来ているようだ。昨秋の偵察の時、テント場として考えていたあたりだろう。 突然マイカーの人のものらしい足跡が見つかった。何となくほっとする。あとは足跡を拾うようにして、もう少し先まで進んで幕営地にすることにした。 モミ、ダケカンバ、ブナの大木が林立する平坦地は、どこでもテント場になる。その一角に荷を下ろした。
山頂には男女4人パーティが休憩していた。私の自宅近く、奈良県王寺付近の人々で、昨夜帰雲山付近で幕営、今朝猿ケ馬場山の山頂を踏んでここまで来たという。これから天生峠へ下り、白川村までの途中で幕営するようだ。 晴れてきた山頂からは目的の御前岳がはっきりと確認出来る。御前岳までは長い雪稜が延々と連なっている。稜線を外さずに御前岳を視認して進めば問題はなさそうだ。猿ガ馬場山を目ざす登山者は、この籾糠山から急降下して、1818メートルピークへの登り返しがかなりきつそうだ。 再びテント場へ帰ったのが11時50分だった。夕暮れまでは時間はたっぷりある。のんびり過ごすことにする。 真っ青な空、大地を踏みしめるブナなどの大木、林床を覆いつくす残雪。大木の根元は、丸く解けた雪が深い穴を作っている。大自然の中に、たった一人だけ。贅沢な空間と時間、金銭では得られない貴重この上ないものだ。 5時5分、いよいよ御前岳へ向かってテント場を後にする。大半の荷物はテントに残した軽荷。低い気温で雪面が固くなっているため、用心を期してアイゼンを装着する。 籾糠山からは急降下して行く。昨日猿ガ馬場山から歩いた人たちの足跡を辿って行くが、迷うような所はない。忠実に主稜線を外さずに進めばいい。
この先はもう踏跡はない。ここから御前岳を目指す登山者は、ほとんどいないだろう。御前岳そのものが知名度はなく、ただ一等三角点というに過ぎない。それに清川村からは夏道もあって、何とか登れるという情報もある。わざわざ残雪期に苦労して、このコースをたどる物好きは少ないのは当然だ。 御前岳まで人の歩いた形跡、あるいは赤布目印などは皆無であった。ここを歩いているだけで、何だか優越感が湧いて来るような気がする。 稜線からやや下がった樹林の中を、慎重に歩いて無事1818mピークに立った。この先にはもう危険な個所らしいところは見えない。広い稜線がつづき、大きなアップダウンもない。安心して歩けそうだ。 次のピークも高さは同じ1818m、ここでうっかりして稜線を外れて支尾根へ引き込まれてしまった。すぐに気づいたが、たとえいくらかでも間違えて下ってしまった分を登り返すのは、体力消耗以上にいまいましいものだ。 1744m、最後のピークから進路をやや西へ振ってゆく。御前岳として三つのピークが並んでいる。どれが本峰だろうか。一番近いピークで「登頂したことにしよう」なんていうずるい気持ちが湧く。 とにかくその三つのピークへ向かって一歩一歩近づいて行く。手前のピークは岩峰のようだ。雪庇がピーク付近にあって近づけない。それに最高点ではないようだ。直下を巻いて先に見えるピークへ向かう。
やや傾斜の強くなった斜面を行くと、樹林が途切れて残雪だけの斜面に変わった。これを登り切ったピークの一角だけには雪がない。風で飛ばされ、積もることがないのだろう『御前岳』という木柱が立ち、一等三角点があった。ついに到着した一等三角点百名山の93座目、残りは簡単な山ばかり、もう苦労して登るようなものは一つとしてない。 ここから南側に広がる山肌は、ところどころ雪が消えて、笹原などが顔を覗かせている。歩いてきた北側とは様子がかなり違う。 満ち足りた思いで、同じコースを籾糠山へと向かった。最後の籾糠山への登りはこたえた。一歩、また一歩という足の運びだった。 籾糠山で一休みし、御前岳を振り返って別れを告げるとテント場へと戻った。 下山は、昨秋偵察の夏道コースを辿ってみようと考えたが、昨日の4人パーティなどが、私の昨日の足跡付近を下っているので、結局その急斜面を、落ちるように天生湿原へ駆け下った。 雪に埋まった車道は長く、疲れた足にはこたえた。とにかく雪上歩きから早く開放されたかった。除雪されたところまでくると、まったくほっとした気分だった。 フキノトウを採ったり、コゴミを採ったり、足のマメの手入れをしたりもあったが、登り3時間に対し、下りが3時間半という情けないものだった。 同じ程度の山行は何回か経験しているのに、今回ほど体力を消耗し、疲労を感じたのははじめてのことである。やはり歳のせいだろう。このような山行は、これがもう最後かも知れない。 完全燃焼の山行であった。 |
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残雪期、単独での幕営山行は負担が大きい。同じ程度の残雪期山行は何回かやってきたが、今回ほど疲労を感じたことはない。やはり歳のせいだろう。そろそろこうした山行の、限界を認識しなくてはならないかもしれない。 (御前岳は、このシーズンに入山する登山者はほとんどない。慎重な行動が望まれる) |