追想の山々1329  up-date 2003.02.13


日本平山(1012m) 登頂日1994.06.11 単独行
東京自宅(2.45===燕三条IC===早川ダム(7.15-30)−−−山の神(7.45)−−−金ケ谷渡渉(8.22)−−−トコヤ(9.25)−−−ガンガ(10.05)−−−日本平山(10.22-45)−−−ガンガ(11.02)−−−トコヤ(11.30-35)−−−金ケ谷渡渉(12.15-20)−−−山の神(12.50)−−−早川ダム(13.05-30)===村松町さくらんど温泉===翌日登頂の白山登山口へ
所要時間 5時間20分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
新潟県の名山、一等三角点=57歳
日本平一等三角点

梅雨どきの山行計画は天気予報に一喜一憂、雨の山もまた味わいがあるとはいえ、やはり青空の方が何倍 も良いにきまっている。ぎりぎりまで天気予報を確認して、降水確率の低い新潟県の山へ向かった。登山日和に恵まれて懸案の日本平山、越後白山2山を登頂できた。

 勤めから帰り、テレビの天気予報を聞き、それから行き先をきめるのだから、相当ないい加減さだと言われそうだが、これも単独行者の小回りのよさであり、メリットでもある。グル ープ登山だとこうは行かない。  

さてこの2山だが、生憎該当する地図、5万図は持っていなかったものの、雑誌の中から簡単な山行記録が見つかった。これで何とかなるだろう。これもまたいい加減な話だ。
3〜4時間の睡眠で、午前3時前に自宅を出た。今にも降りだしそうな空模様だ。谷川岳をぶち抜く清水トンネルを出れば、打って変わった青空が、と期待していたが霧の海。ところによっては小雨。思惑が外れたかもしれない。張り切って出て来た気持ちが、少ししぼんで行く。
しかし魚沼平野を走るころには次第に青空が見えて来た。
三条燕ICで高速道を出て、早川ダムへ向かう。雪国特有のガンギの村松町中心部を通り抜け、早川ダムの標識を目印に、早川沿いを遡上、迷うことなくダム堰堤の駐車場に到着した。空は快晴に変わっている。
数台停車しているのは釣り人のものらしい。鴬の透き通った鳴き声が山の緑に吸いこまれて行く。澄明な大気と一対をなして、気分もいよいよ山の気に同化していく。
7時30分、登山届をポストに入れて出発。ダム湖右岸の車道を行く。ダムの水位が大きく低下、赤茶けた肌を剥き出している。
車道は数分で終りだが、さらに延長でもするのか、土が削られ、工事中のブルドーザーが置いてあった。掘削中の土の山を踏み越え、急峻な岩壁をへつるように架けられた100メートルほどの桟敷橋を渡ると、その先はしっかりと踏まれた登山道となった。湖面が少しづつ下に遠ざかっていく。
7時45分山の神着。大きな松、杉それにミズナラの下に小さな石祠がある。
ダム湖は険しいX字谷の早川をせき止めて作られている。その峡谷ダムは、両岸垂直にそそり立つような岩の壁が、障壁のように取り囲んでいる。岩壁にしがみつくように植生する潅木が、秋にはきっとみごとな紅葉を見せるだろう。
それにしてもこのX字谷はみごとなスラブである。その岩壁の中段を 削って、細々とつけられた道は、高所恐怖症の人にとってはちょっと手ごわいかもしれない。一歩間違えれば水面へ真っ逆さまというところもある。しかし慎重に足を運べはそんなに心配する必要はなく、いわゆる一般登山道である。
迫力のある景色を楽しみながら、岩壁の道を上ったり下ったりして40〜50分歩き、ダムの末端近くで斜降、下り切ったところが金ケ谷の渓流である。ここはコース中最適の休憩地。8時22分、清冽な流れを飛び石伝いに渡る。ここまでは、約1時間の歩きだが高度はほとんど稼いでいない。

渡渉してから本格的登りがはじまった。
ジグザグに急登して行くと、急斜面にヒメサユリの花がてんてんと見られる。薄絹のような、なよなよしい花びら、消え入りそうな淡いピンク、この花はまったく男ごころを引きつける要素がそろっている。
見下ろす湖面は、木々の深い緑を一杯に吸い込んで、深淵な色あいは微妙に変化し、さざ波が眩しく反射していた。
岩壁をへつるような危なっかしい道を、高度を上げて8時35分、尾根の途中に登り付いた。ここが“駒の神”のようだが何の表示もない。
ここから登山道は忠実に尾根をたどるようになる。急坂を25分ほど登ったところで、尾根を外して右にトラパース気味に回りこみ、再び尾根に戻ると傾斜が緩んで来た。5分間、こ こで初めての休憩。 右手背後に、残雪が斑模様の粟ケ岳が頭を出して来た。明日登る予定の白山も見える。

ブナやヒメコマツの尾根を緩やかに登って行く。登る人も少ないと思って訪れたが、道は意外に踏まれて、多くの登山者が通っている道であることが知れる。
9度25分、トコヤ着。トコヤの意味がわからない。ここは台地状の赤土の裸地である。鉱山跡らしいが、何を掘っていたいたのだろうか。細々ながら冷たい水が流れていた。
トコヤの先は広い尾根となって、ブナの原生林帯となる。ブナ純林と でもいうような林で、自然の中にどっぷりと浸かっている実感が湧く。なだらかなブナ帯を越えた後、きつくなった登りにたっぷりと汗を絞られて、痩せた岩のピークに立った。10時05分、ガンガという露岩である。ここでようやく前方に日本平山を見ることができる。
実は日本平山頂上より、このガンガの方が展望には優れていた。まだ雪をたっぶりつけ たままの飯豊連峰、二王子岳、それに粟ケ岳等の川内山塊、蒲原から越後の平野。涼しい風を肌に感じて、ひとしきり眺望を楽しんでから最後の登りにかかった。

ガンガから山頂まではすぐのように見えたが、まだ先だった。
さらに傾斜がきつくなった尾根を攀じる。潅木を支えに腕力任に頑張ると、ようやく勾配がゆるみ、やがて平坦に変わった。
平坦になったのに山頂がない。見通しのない潅木の中を進むと、その平坦部の東の端に切り開きがあって、ここが三角点の山頂であった。長い間気にかけていた一等三角点本標の日本平山々頂である。潅木が茂って全体は見通せないものの、広い平坦な山頂であることだけはうかがえる。潅木がなければサッカーでもできそうな、まさに大きく平な山頂であった。
山頂標示板の脇には、プラスチックのビールケースが二、三段積まれ、展望の踏み台の役目をしているらしい。事実、それに乗らないと飯豊連峰は望めない。御神楽岳が切り開きの正面に聳え、三角錐のその整った姿は名峰の名に恥じない。そして川内山塊の後ろには守門岳と浅草岳があった。
野鳥の声がさわやかだ。三角点のそばに枯れたカーネーションがある。遭難者慰霊の花だろう。
25分ほどの滞頂で同じ道を下山にかかった。途中4組の登山者に出会った。
予定よりやや早く13時5分、早川ダム駐車場へ帰着。
村松町のさくらんど温泉で汗を流してから、白山登山口のある慈光院へ向かった。