2012


山行報告−高取山(584m)
奈良県 2001.02.21 単独
コース 自宅(5.30)===高取町清水谷(6.20)−−−壷坂寺(6.50)−−−五百羅漢−−−高取山(7.40)−−−八幡神社−−−壷坂寺−−−清水谷(8.40)===自宅(9.50)

午後から天気が崩れるというので、早起きしてアクセスの良い高取山へ登って来た。標高こそ600メートルにも満たないが、山頂からの眺めはすこぶる良い。
帰宅して風呂へ入り、 一息ついたのが10時半。このあとまだ1日をたっぷりと使えると思うと、大変得した気分になれる。

高取山と言わずに「高取城址」と呼んでいる。そのとおり高取山は典型的な「山城」で、山頂には本丸や天守閣跡の立派な石垣が残されていて、往時の堅牢な城塁をしのぶことが出来る。

そして登り口は、浄瑠璃や歌舞伎、浪曲で名高い「壷坂霊験記」の壷坂寺である。

壷坂寺下の清水谷集落へマイカーを残して出発。暖かな朝でこのあいだまでの寒さが嘘のようだ。
壷坂寺へは、舗装された車道とは別に、樹林の中を間道が通っている。その間道をたどって壷坂寺へ向かった。
つま先上がりの道を30分ほどで壷坂寺に着いた。人影はなくまだ静まり返っている。

≪壷坂霊験記≫
盲人沢市と、妻との涙を誘う夫婦愛のお話です。
壷阪寺のほど近くに沢市という座頭が住んでいま した。美人で知られる妻お里が深夜に家を抜け出すのは、ほかに男があるのかと疑い嫉妬した沢市は、ある夜、 そのあとをつけました。
実は夫の盲目を治さんがため、山路をわけて壷阪寺の本尊観世音に祈願 をこめて通っていることを知った沢市は、慙愧の余り寺の裏の谷に身を投じました。これを見てお里もあ とを追ったところ、観世音のご利益によって沢市の 眼が開いたといいます。
眼病にご利益の寺として今も参拝者があとを断たないそうです。

早朝で参拝者の姿も見えない寺の山門を横に、高取城址の道標に導かれて先へ進みます。
露出した岩に数多くの仏像が彫られた「五百羅漢岩」があります。岩は風化が進んで、姿は崩れかけていますが、点在する岩肌には隙間もないほどに仏像が並んでいます。
往時の人々の信仰の厚さを感じながら、少し急になった道を汗ばみながら登って行きます。

このところ持病の右膝が痛みます。かばいながらゆっくりと歩いて、壷坂寺から50分。高取城址の一角に登りつきました。
近世山城の典型といわれる城だそうです。吉野朝の時代から存在したと言いますから、長い歴史を有する城です。
低山とは言え、ここは山の頂です。険阻な地形の中に築き上げられた石垣を見ていると、機械力もない昔、よくもこれだけの石を運び上げ、積み上げたものと、人の力の偉大さを、そして動員された多くの民の苦しみを思わずにはいられません。

門、侍屋敷、本丸、二の丸、三の丸、天守など多くの建物の跡が、立派な石垣で残されています。
兵(つわもの)どもの夢のあとに思いをはせて、しばし石垣のを見上げながら逍遥しました。
本丸跡に立つと、大峰山系、台高山脈のほか、金剛、葛城の山々も望めます。

帰りは八幡神社に立ちより、壷坂寺、清水谷と下って行きました。
今、池波正太郎の「忍者丹波大介」という本を読んでいます。関が原を境にしたころの時代小説で、中に高取城が出てきます。good タイミングです。
歴史や伝説に想いをめぐらせながら、3時間弱の小ハイキングでしたが、それなりの楽しみがありました。