2021

山行報告大城山おうじょう(1035m)鶴ヶ峰(1285m)
長野県 2001.04.06 単独
コース 辰野町下辰野法雲寺墓地(9.00)−−−王城山(9.40)−−−鶴ケ峰(10.40)−−−王城山(11.35)−−− 墓地(12.00)
入院中の老母付き添いの空き時間を利用して、ふるさとの山へ登ってみた。
18の歳まで過ごした信州辰野町は、周囲を山に囲まれた小さな町である。南アルプスと木曽山脈に挟まれて、天竜川の最上流部に位置している。
山に興味を持つようになってから、機会をとらえては一つ、二つと故郷の山にも登るようになった。
辰野町のシンボル的存在であり、町民がもっとも身近に感じている山に“大城山”がある。町民は「大」ではなくて「王城山」と呼び習わしている。その方が立派に聞こえると思ったのだろうか。
大城山と尾根つづきに“鶴ケ峰”がある。この二つにようやく登る機会を得た。

下辰野地区円山球場近くの、法雲寺墓地脇へ自動車をとめて、そこから歩きはじめた。
車道が大城山の山頂まで通じているので、歩かずに山頂へ立つこともできる。 舗装された車道をしばらく歩いたが、何となくつまらななくなってきて、適当に道のない山の斜面へ踏み込んだ。藪はそれほど密ではないが、茨が多くて少し手こずる。急斜面の歩き易そうなところを拾いながら登って行く。 はじめての山ではあるが、生まれ育った郷里の山だから、道がなくても案じることはない。
しばらく急な斜面を右へ左へと登って行くと、尾根へ出た。 尾根には、獣道よりましな踏み跡が読める。やがて明瞭な尾根ルートに合流した。
山頂下まで達している車道の終点に飛び出した。大城山の山頂はすぐ上にあった。そこはハングライダーのスタート地点にもなっていて、広々とした芝生地である。天気は上々、展望は申し分ない。予想外の大パノラマに戸惑いを覚えるほどだった。
眼下には天竜川最上流部に広がった伊那谷の平野、その谷を東西に挟んでいるのは、甲斐駒、仙丈、白峰三山などの赤石山脈(南アルプス)、もう一方は木曾駒、空木から恵那山までの木曾山脈(中央アルプス)、ここからはその高峰群がすべて見わたせる。
八ヶ岳、入笠山、守屋山など、ほしいままの贅沢な展望をひととき楽しんだ。生家の目の前の山から、こんな展望が得られるなんて今日まで知らなかった。

大城山を後にして鶴ケ峰へ向かう。 稜線の東を巻くようにして登山道が延びている。石の鳥居(知覚山奥の院という額がかかっていた)をくぐり、しばらくは赤松の老木の立ち並ぶ道をたどった。地図には「信玄松並木」と書かれているが、詳しいことはわからない。
シジュウカラの囀りが賑やかだ。
途中小祠(これが奥の院か)付近で道を外れて、灌木の中を適当に稜線へ向けて分け登って行った。稜線へ出ると薄い踏み跡がついている。小さなこぶをいくつか越えながら進んで行くと、これまでより少し大きな下りがあって、林道へと降り立った。舗装された立派な車道が下から上がってきている。
日本中心の地の道標を目当てに、舗装道から分岐した砂利道の方へ入る。ところどころ雪の残る林道をたどると、前方に展望台が見えてくる。それが鶴ケ峰である。
山頂展望台の手前に、黒御影石に「日本中心の地」と彫られた碑がある。 100メートルほど先が、小さな広場のあるた山頂だった。鉄製の大きな展望台がある。そこに上がると素晴らしい展望が得られた。
中部地方を中心に、自称「日本中心の地」と名乗る箇所はいくつかある。それがどこであったか記憶にないが、全国の山を歩いていて、何回かそんな場所に出会ったことがある。 山頂からは360度の展望、日本の屋根と言われる北、南、中央アルプス、それに次ぐ八ヶ岳の高峰がことごとく目入る。美ケ原、霧ケ峰、御岳、鉢盛山、展望台に立つと、その中心にいる気分になってくる。何だかここが本当の日本の中心の地のような気がしてくる。 その根拠は別にして、日本の中心をそれなりに納得できる。
日本を代表する高峰の中で、ここから見えないのは加賀白山(28m)だけという好展望が、たった1285メートルの標高から眺められるのは貴重とも言える。

小さい山ではあるが、楽しいハイキングとなった。