2025

山行報告−野伏ケ岳(1675m)薙刀山(1347m)
岐阜県 2001.04.22〜23 単独
コース 自宅(6.00)===白鳥町石徹白中居神社(9.30-10.20)−−−和田山牧場(12.10)雪上テント泊
▼和田山牧場(5.00)−−−南東斜面−−−野伏ケ岳(7.05)−−−薙刀山(8.00)−−−野伏ケ岳(8.45)−−−西南尾根−−−和田山牧場(10.00−10.20)−−−石徹白中居神社(11.35)
GWの声が近くなると、テントをかついだ残雪山行が恋しくなる。
昨年の残雪山行は岐阜県の一等三角点「御前岳」だった。

20キロほどの荷物を背負い、山中でたった一人、雪の上にテントを設営する登山の大変さが骨身に染みる歳となった。
「これが最後の残雪山行かなあ」
昨年もそんな弱気になったりもした。

それから1年たって、またのこのこと残雪の山に来てしまった。
登山道がない山に登るには、薮が雪の下に隠れている残雪期に限られる。雪は締まっていて沈まないし、快適に歩くことができる。
今回訪れたのは、岐阜県の野伏ケ岳と薙刀山、登山道のない山である。雪の下は猛烈な笹薮だと言う。

野伏ケ岳へは5年前のGW、日本300名山踏破のために登ったが、そのときは山スキーを履いて日帰りだった。今回は、まだ登ってない薙刀山の方が主目的である。


1日目(晴れ、北風が強く季節外れに寒い)
今日は林道を2時間ほど歩いて和田山牧場に幕営する。標高差も400メートルほどだから余裕の1日である。
登山の前に、石徹白(イトシロ)集落中居神社( チュウキョ)の大杉や境内のミズバショウ、ザゼンソウを見物する。 天を突く巨杉がうっそうと繁る境内は、悠久の年月を刻み込んだ幽玄さが漂っている。
石徹白は、加賀白山禅定道の基点として栄えたと言う歴史の小集落でもある。

中居神社に隣接する石徹白川付近に自動車を残して歩き始める。
30分ほどで林道は雪の下に隠れて、あとは下山して来るまで土を踏むことはない。
重いザックの重労働に、汗が滝のように流れる。拭いても拭いてもサングラスに落ちて、視野がぼやけてまう。
約2時間で標高1100メートルの和田山牧場に到着。目的の野伏ケ岳、薙刀山が目の前に聳えている。牧場は吹きさらしの雪原で、北風かびゅうびゅうと音をたてて迎えてくれた。 こんな強風の雪原にテントは設営できない。 “拓牧”と彫られた石碑の背後に、北側を雑木が遮った場所を見つけて、ここにテントを張った。
テント場からは、正面に300名山の大日ケ岳や、昨秋登った毘沙門岳、それに石徹白の小さな集落が見える。雑木の樹間からは野伏ケ岳、薙刀山、願教寺山、別山など、真冬さながらにべったりと雪を纏った山々も見ることができて、なかなかの場所で気に入った。

この日は日曜日、私のテントに気づかず、数人の登山者が山を下って行くのが見えた。
夕刻、早くも雪面が凍ててきた。水を作るのに雪をすくい取ろうとしても、ガリガリと凍っている。 夜半はさらに気温が下がって、寒さと、テントをたたく風音、整地不十分のゴツゴツが背中にあたり、ほとんど寝られない長い夜となってしまった。
真夜中、テントから空を見上げると、無数の星が輝いている。月もなく、一つ一つの星がことさらに大きく見える。星ってあんなに大きくて明るかったのか、そんな気がするほど見事な星空だった。
天の川もはっきりと見える。そう言えば都会では天の川を見たことのない子もいるという。こんな見事な夜空を見られないなんて、かわいそうに思う。

2日目(快晴、朝の冷え込み厳しい)
眠られない夜がようやく明けた。
昨夕雪を解かして作っておいた水が氷になっていた。平地でも遅霜が降りたことを後で知った。
熱い味噌汁で食事をすませ、凍ったテントをそのままにして5時出発。 案じたとおり雪面はかなり硬く凍っている。
薙刀山
少しでも荷を軽くしたいという怠け心もあって、アイゼンを持たずに来てしまった。 気休めに4本爪の軽アイゼンを装着したが、こんなものは多分役には立たないだろう。

表面の凍った雪上を、まず薙刀山を目指す。雲一つ見当たらないピーカンである。
平坦な牧場から窪地の樹林へ入る。川の流れはスノーブリッジとなっているところを探して渡る。
計画では野伏ケ岳と薙刀山を結ぶ稜線鞍部あたりを目標にしていたが、目の下の推高谷という深い谷へ向かって、急傾斜で落ち込む雪の斜面をトラバースして行くのが難しそうだ。
野伏ケ岳登頂コースの一つである東南尾根取り付きポイントを通り過ぎ、何とか安全に鞍部へ進めそうなルートを読むが、進路を阻むのは雪の急斜面。雪が緩んで来ればなんとかなりそうだが、早朝のこの時間でアイゼンもなくて通過するには危険が大きすぎる。

目ざす薙刀山とは逆方向になるが、やむなく野伏ケ岳への斜面を登りながら、トラバースできるところを探すことにした。
ところがこのあたりが野伏ケ岳の一番急な斜面ときている。陽は昇ったばかりで、雪が緩むにはまだ時間がかかる。それでもトラバースより直登して行くほうがずっと危険が少ない。
緊張の雪斜面を登って行く。靴底を雪面にフラットに置けない急な斜面では、軽アイゼンは何の役にも立たない。アイゼンさえあればそれぼと心配する斜面ではないのに、たった2キロの重量減らしでアイゼンを置いてきたのを後悔する。
滑ったらどこまで落ちるかわからない。そのまま推高谷の崖へ真っさかさまなんていうことにもなりかねない。

靴先を雪に蹴りんでも、わずかにひっかかりが取れるだけ。神経を集中して慎重に登って行く。
数歩でも登りはじめたら、もう下ることは不可能になる。登るより下ることのほうが何倍も危険が大きい。
笹や潅木の頭が出ているところを渡り歩くようにして登って行く。
野伏ケ岳・薙刀山の鞍部へトラバースするチャンスが見つからないまま、野伏ケ岳頂上直下で東南尾根へ出てしまった。それなら最初から東南尾根を登れば何の問題もなかったのに、そう後悔してもそれは結果論でしかない。あと5分も登ると野伏ケ岳頂上だった。

最初に薙刀山へ登るはずだったのに、野伏ケ岳が先という誤算となった。しかし無事山頂に立てたのは何よりだった。
この登りはさすがに疲れた。すでに汗で全身がびっしょりだった。
その苦労が報われるように、山頂からの展望はすばらしかった。
白銀の姿がひときわ引き立つ別山、一の峰、二の峰とつづく山稜。 大日岳、鷲ケ岳、経ケ岳、赤兎山、荒島岳など美濃の名峰。 御岳、乗鞍、槍、穂高という3000メートル峰。 遠く伊吹山まで望むことができる。
大気はクリスタルのような透明度をもって、視界を妨害する要素は何もなかった。こんな視界の日は年に何回もないだろう。

さて、これからどうするか。
野伏ケ岳は同じ季節に一度登っているので、今回登れななかったとしても気にしないが、望みだった薙刀山が残ってしまうのは気にかかる。登山道のない薙刀山へ再び訪れる機会はもうあてにできない。さらに歳も加わって、こうした残雪期幕営登山も、これがほん
野伏ケ岳
とに最後になるかもしれないのだ。
そんな思惑が脳裏をめぐるうち、足は勝手に薙刀山へ向かっていた。 陽が昇って、雪はいくらか緩んできた。急な雪稜を滑り落ちるように一気に鞍部へと駆け下った。
鞍部からは比較的なだらかな勾配を分厚い残雪を踏んで登って行く。稜線には草木一つ顔を見せていない。陽光は雪面からの照り返しもあって強烈だ。また日に焼けることだろう。

薙刀山ピーク手前で立ち往生した。雪崩れたあとに濃密な笹薮があらわれていて、ここを通過するのは楽ではなさそうだ。何もなければあと5分もかかからずに山頂に立てるだろう。 ここまで来れば山頂に立ったも同様、少し残念だったが、無理することなくここで引き返すことにした。
休憩を取りながら残雪の山岳展望をしばらく楽しんだ。

下山は、野伏ケ岳へ登り返さないで、直接和田山牧場へ下るコースが取れないか、斜面を凝視して地図と見比べながら探したが、自信を持てるコースが判別できなかった。 再び鞍部まで下り、急な稜線を野伏ケ岳へと登り返した。雪がゆるんでもう心配はなくなっていた。
野伏ケ岳からは、以前スキーで登ったことのある西南尾根コースを取って、和田山牧場へと下った。

眼前に広がる銀嶺の山々をもう一度目に焼き付けて山を後にした。
天候に恵まれ絵葉書を見るような雪山の景色を堪能。いつものことながら残雪期登山の楽しかったページをまた一つ書き加えた満足感に浸って帰路についた。
テントを撤収し、中居神社へ下山したのは正午前だった。