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岡山・兵庫県 | 2001.05.30 | 単独 | ||||
コース | 後山キャンプ場9.50---最初の徒渉10.15---船木山11.10---後山11.30-(竹の子採り)--船木山12.20---鍋ケ谷山---駒の尾13.10---船木山14.00---後山キャンプ場15.00 | |||||
後山(1345m)・・・岡山県最高峰・三等三角点 船木山(1334m)・・・三角点なし 鍋ケ谷山(1235m)・・・四等三角点 駒の尾山(1280m)・・・二等三角点
45県まで漕ぎつけて、残りは岡山県と沖縄県を残すのみである。 岡山県最高峰の後山が、今回の中国地方山旅の最後となった。これを登れば残すは沖縄県の於茂登岳のみとなる。 後山は兵庫、岡山県境にあって、登山口は両県にあるらしい。 手もとのガイドブックでは後山を探すことができなかったので、行き当たりばったりで登ることにした。 まず東粟倉村役場に立ちより、後山キャンプ場からの登山道のあることを確認。 キャンプ場駐車場にあるコース案内看板を眺めてコースを確認する。奥の院を経由したほうが近そうに見えたが、通りすがりの地元民に尋ねると、奥の院の先は道がついていないらしい。いったん船木山へ登り、そこから尾根伝いに後山へ向かう方法しかないようだ。これだと山頂までの所要時間が3時間と表示されている。もう少し楽に登れると思っていた。 まずは出発する。 駐車場から少し戻って、船木山登山口の道標から登山道へ取りついた。わずかの間杉の植林の薄暗い中を歩くが、すぐに沢の左岸へ出て落葉樹林となり、あとは沢音を耳にしながら登って行く。岩のごろごろした道で、良く見ると斜面には大きな岩が点在している。 1回目徒渉で右岸へ移り、5分ほどで今度は左岸へ戻る。ここから一方的な登りに変わった。ジグザグをきりながら、どんどん高度を稼いで行く。この山もブナなどの落葉樹が多い。若葉の踊るような緑、チラチラとこぼれ落ちる木漏れ日、緑のフィルターで漉された光線は、この体をも染めてしまうかのようだ。 ジグザグが終わると、今度は尾根の直線的な登りに変わる。しかし急登である点は変わらない。足元に目を落とし、黙々と足を運ぶ。すでに全身汗がしたたっている。 ただ、登山道の手入れの良いのには感心する。 登り着いた稜線をわずか右へ進むと船木山の山頂があった。タケノコ採りの人に出会う。兵庫県側から登って来ていた。 ここは山頂というより、稜線の一部分といったほうがあたっている。 後山へはいったん小さな鞍部へ下ってから登り返す。両側は背丈を大きく越えるスズタケの密生で、タケノコがいたるところ目に付く。 後山山頂には小さな祠が祭られていた。高々と見える姿の良い山は氷ノ山らしい。三角点には三等と彫られていた。西には笹原のようになだらかな駒の尾山が見える。帰りに船木山を通り、駒の尾山まで足を延ばすには、ちょっと距離があり過ぎる。眺めただけで駒の尾山を登る気はまったくなかった。 再び船木山へ戻る。途中あまりに目に付くタケノコを採りはじめた。 たちまちビニールの袋がいっぱいになって、ザックへ入れると結構重くなった。思いがけず良い土産が出来たとほくそ笑む。 船木山まで戻ったところで、駒の尾山へも立ち寄りたくなった。笹に覆われたあの道は、きっと気分良いにちがいない。それにふたたびこの地の山へやってくる可能性は非常に少ない。この機会にもう一つピークを稼いで行くことにした。往復2時間見ることにした。 ところが笹原にはちがいないが、背の高いスズタケの間の道で、展望も何もない。スズタケの壁に挟まれた回廊を歩いているだけだった。ここにもタケノコ採りの人がいた。「最近駒の尾で熊を見たという話があります」と教えてくれた。熊よけの鈴をうるさいほどに鳴らし続ける。 鍋ケ谷山のピークを越えて駒の尾山に着いたが、およそ山頂という雰囲気とは縁遠かった。スズタケの密生したふくらみに過ぎなかった。後山からはもっと山らしい山に見えたのに、なんだか騙された気分だった。 帰りにまたタケノコを少し採り足して、船木山まで戻った。ザックが重くなったこともあって、船木山への登りは脚が重かった。 登りにはあえいだ道を、キャンプ場まで快調に下り、今回の中国地方の山旅を無事終わることが出来た。 帰りに西粟倉村の温泉へ入り、さっぱりとした気分で5日ぶりの我が家への帰途に着いた。 自動車の走行距離は1300キロを超えていた。 |