追想の山々1352  

大戸岳=おおとだけ(1415m) 登頂日1995.06.18 単独行
桑原集落(4.05)−−−最初の沢・水場(4.30)−−−山頂まで2キロ表示(5.10)−−−アスナロ巨木2本(5.45-5.50)−−−ブナ林の池(6.10)−−−大戸岳(6.35-7.00)−−−アスナロ巨木(7.25)−−−水場(8.10)−−−桑原集落(8.30)
所要時間 4時間25分 一等三角点
大戸岳山頂
大博多山を下山後、会津若松市桑原の集落へ。“大川ダム”の南側に戸数20戸ほどがひとかたまりをなす小さな集落だった。
明日の登頂に備えて登山コース入口を探してみたがはっきりしない。この大戸岳も大博多山同様、情報不足のため地図だけを頼りにして来たが、果たして予定通り登ることができるのか覚束ない。
小さな桑原集落の中心部には、不似合いなほどの駐車スペースがあった。よく見るとその奥の建物に『芦の牧温泉南』の表示がある。ちょっと見ただけではとても駅舎とは思えないが、れっきとした会津鉄道の駅だった。駅前駐車場に隣接する住宅の窓に『大戸岳登山案内所』という札がある。声をかけると年配の主婦が大戸岳登山コース入口は、この駐車場と道を挟んだ向かい側、観音堂脇であることを教えてくれた。ついでに近くの児童公園にテントを張らせて欲しいと頼むと、それならすぐ隣の区長に言えばいいという。早速区長宅の若奥さんに承諾を得る。
大川ダムサイトの高台で、涼しい風に吹かれながら、酒を味わい、昼寝をして夕方までの時間をつぶした。早い夕食も済ませて桑原の集落へ戻った。すると区長さんが来てあれこれと気を配ってくれる。田舎の人らしい温かさがにじみ出ていた。「この建物は空いているから、ここで寝てもいいよ」 という。駅前のプレハブ平屋建で大きな建物だ。村人の集会などの使うようだ。水は区長の庭の水道を使えばいい、火を使うならうちへ来ればいいと、 なんとも親切きわまりない話しであった。大戸岳登山コースについても、あれこれと説明してくれた。コースは今年も刈り払いをしたし、赤ペンキの印もある。時間はおおよそ5時間ほどみたらいいだろう、とのことだった。
毎年第二日曜日が山開きで、1年おきにこの桑原と闇川が交互に登山口となり、今年は先週の日曜日が山開きで、闇川から大勢で登ったとのこと。山開きに仲間と一緒に来ることがあれば、この建物を解放してもいいといってくれた。先週の山開きに配布した記念バッチまでいただいてしまった。田舎の人の人なつっこさ、親切さにはまったく頭が下がる。

翌朝3時30分起床。桑原の集落は深い霧の底に沈んでいた。すでに 薄明が兆し始めている。早起き鳥たちのさえずりが、霧の中にさわやかに響く。
軽い朝食をとって、4時5分に出発した。
昨日確認しておいた段々畑上の神社脇から、植林帯の登山道へ入る。鬱蒼とした木立と濃い霧で夜の世界へ戻ったようだ。ひとしきり杉落ち葉の急登を行く。寝起きの体はまだ隅々まで目覚めていない。切れの悪い体を意識してゆっくりと足を運ぶ。
植林帯を10分ほどで抜け出て、二つ目の水道タンクあたりからは、雑木林となって勾配が急にゆるくなった。さらに三つ目のタンクからは、 実によく整備された遊歩道のような水平道に変わった。区長が言っ ていたとおりときどき樹幹に赤ペンキ印が見える。
一つ目の小沢をわたると、塩ビパイプで引水した水場がある。水場からはいったんじぐざぐの登りとなるが、それもつかの間でまた 平坦道に戻る。ミズナラの純林に霧が漂って幻想的なムードが漂う。道の脇に点在する石積みは、昔の炭焼き窯の跡だろう。
二つ目の小沢をまたぎ、なおも足下遠くに谷川の水音を聞きながら、 山腹の水平道を進むと、水流のほとばしる三つ目の沢となる。岩魂を縫うような水しぶきが上がり、山の気が深くなって来た。水平道はここで終わりだった。

岩につけられた赤ペンキを追うと、すぐに沢は二分する。ペンキにし たがって右の沢へ入って行く。右岸左岸とわたり返しながら、沢を遡上 して行くこと10分余、『山頂2キロ、1時間40分』の小さなプレー トがあった。ここまで1時間歩いて、かせいだ高度はたったの200メートル 。頂上まであと800メートル残っている。 これからが本格的な登山である。
沢を離れて急峻な山腹を直上する登りにとりついた。まさに胸をつくような登りだ。潅木の急斜面を一歩一歩高度を稼いで行くと、いつか雲の上に抜け出たらしい。梢の上には青い空が広がっていた。朝霧は確かに好天の兆しであった。尾根上に登りついても一息入れる余裕もない急登がさらにつづく。
歩きはじめて1時間40分、アスナロの巨木2本が寄り添うように立っているところで、始めて小休止にした。本来なら休まず登って行くところだが、昨日の疲労が少し感じられる。このところ体重が増えたりして1〜2年前にくらべても、登高のスピードもかなり低下している。腰を下ろして周囲をじっくり見回すと、アスナロ、 ブナをはじめとして大小の潅木が手づかずで混生、自然のまま残されていて大変気持ちいい。すぐ近くで小鳥の囀りが若葉を震わせるように響き渡る。

ひたすら高度をかせいで行くと、露岩が目につくようになる。急に視界が明るくなった。そこは今まで登って来た北側の尾根が稜線上に詰め上がった地点だった。桑原の集落から眺めて「稜線のあのあたりに登りついて、それから右へたどったところが山頂です」と区長が教えてくれた、その稜線に立ったようだ。高度計を確認すると、山頂まであと200メートル。稜線からは向きを南へ振って、なおも急登を攣じると、小さなピークとなった。アズマシャクナゲの花が目につく。
小ピークを越えると今までの痩せた稜線が、広々とした平坦地となり、その一角はブナの純林となっていた。昨日までの雨で洗われた若葉が一層みずみずしく、目にしみるようだった。
水たまりほどの小さな池もある。頂上はもう近いようだ。

再び痩せて来た稜線を登って行くと、進行方向に稜線の先端が目に入るようになる。イワカガミがひそやかに淡紅色の花をつけ、マイヅルソウの小さな穂花が足元に咲いている。
潅木を縫って最後の登りを終わり、躍る気分で山頂へ立った。雲一つない晴れ渡った空、久しぶりに胸のすくような山頂であった。
憩うのにほどよい広さをもった山頂には、石祠と一等三角標石、そしてウラジロヨウラクの薄いピンクの花。眼下に見えるのは桑原の集落。記念写真を撮った後、20万図を広げて山岳展望を楽しんだ。山頂の北と西面は潅木の梢が邪魔になって、眺望は完璧とは言えないが、背伸びをしたり、場所を変えたりして山座を同定した。
残雪豊かな飯豊連峰と二王子岳、磐梯山、吾妻連峰、雄大な那須の裾野。二岐山や大白森山は手に取るように近く、その背後にも山の連なりが見えるが同定できない。さらに会津朝日岳や守門岳、浅草岳と思われる残雪の山々と北方遥かに御神楽岳。博士山をはじめとする会津の諸山。
30分の帯頂で展望を満喫してから下山の途についた。
満ち足りた思いの下山は気分も晴れ晴れとしている。転がり落ちるような急降下は膝にこたえる。相変わらず右膝痛は消えない。ふと『いつまでこんなしんどい山登りをつづけるつもりだろうか。この膝がいつまでもつだろうか』そんな思いが頭をよぎったが“どうして山へ登るのか”そんな哲学者のような懐疑は私には似合わない。これからもひたすら歩いて行くことになるのだろう。

膝をかばいながら無事沢まで下れば、後は平坦道を桑原まで歩くだけ。好天の日曜日にもかかわらず、結局一人の登山者にも会わない静かな山行を終わり、区長宅へお礼の言葉をかけてから、ほのぼのとした暖かい気分を抱いて帰途についた。