追想の山々1358  

 爼倉山=まないたぐらやま(1057m) 登頂日1993.06.12 単独行
林道途中(9.15)−−−林道終点(10.15)−−−爼倉山(10.10-10.20)−−−林道終点(10.30)−−−美女峠−−−林道途中(11.05)
所要時間 1時間50分 福島県昭和村 三等三角点
美女峠
駒止湿原の散策を終えて爼倉山へ向かった。  駒止峠から林道を走って昭和村へ抜けるつもりだったが、地図を読み違えて国道まで下ってしまい、遠回りの只見町経由となってしまった。
爼倉山は美女峠まで自動車で入れば、わすが30分そこそこで山頂まで登れるという。

昭和村で美女峠への道を尋ねると「車は途中までしか通れない」と心配顔で教えてくれた。それらしき道へ自動車を進めたが、車幅一杯一杯の細い道は頼りなく、この先不安で居合わせた農作業の人に聞くと、この道は先で泥道になって四駆でも難しいという。いったん国道まで戻って別の道を行った方がいいと教えてもらった。
教えられた道も悪路の林道だった。数分も走ると二又となり、美女峠はどっちへ進むのか分からない。どちらをとっても悪路には変りなさそうに見える。二又のいくらか道幅の広いとこへ自動車を残して歩くことにした。ここは高度計で520メートル、山頂まで高度差500メートルを残している。当初予定の30分で山頂までは無理だろう。

二又は左へ上り加減の道と、沢沿いを直進していく平坦道とがあったが、感を働かせて左の上り勾配の方をとった。
少し進むと道はかえってよくなってきた。これなら自動車でも十分走れたなあと思ったが、自動車まで戻るのも面倒だし、そのまま林道を登って行った。
新禄に覆われた山頂に電波塔が見えてきた。それが爼倉山のようだ。この道で間違いなかったことを確信してほっとする。林道脇に山小屋風の小さな小屋があって、そのすぐ先で右手に急登して行く踏跡が目についた。迷わずその踏跡に入った。新しい足跡が残されているのは、先ほど出会った山菜採りの人のものだろう。ブナやミズナラのみずみずしい新緑の香を嗅ぎながら、かなりきつい急登を行く。厚く敷き詰めた落ち葉の道は、腐葉土の上を歩くように柔らかい。つるつると滑る黒土に足元が気になる。採りごろのワラビがいくらでも生えている。
ワラビは帰りの楽しみにして先を急ぐ。大岩を巻くようにして越えると山頂まではすぐだった。

人気のない山頂は三角点標右が草むらに埋まり、周囲は樹木に遮られて全く展望はなく、電波塔やアンテナ塔が占領していた。今しがたワラビを採ったばかりの跡があるが、まだまだワラビはふんだんに残されている。ほんの3〜4分で十分な量を採って下山にかかった。

急坂で足を滑らせて転倒、ストックを持ったまま手をついたのが悪く、体重のかかった杖の下に左手中指を挟んでしまった。捻挫か骨折か相当な痛みを感じる。(帰ってから病院でレントゲンを撮ると、第二関節の骨が欠けていた)
小屋のある林道終点まで下ってから美女峠まで行って見た。途中か ら越後三山や会津駒ヶ岳、平ケ岳と思われる山々、三角錐の荒沢岳などがうかがえた。『高姫清水』と表示された水場から、カラマツの林を進むと美女峠の標識が立っていた。古い峠なら美女峠などというハイカラな名前はつくはずはないし、どんないわれがあるのか、勿論今は使う人もない峠であろう、淋しい峠だった。

来たときの林道をたどって駐車場所へ戻った。