追想の山々1361  

 小野子山=おのこやま(1208m)雨乞山(831m) 登頂日1996.11.24 単独
登山口(6.00)−−−雨乞山(6.45)−−−小野子山(7.25-7.30)−−−中ノ岳(8.00-8.15)−−−小野子山(8.45-8.55)−−−スケッチ−−−雨乞山(9.30)−−−登山口(9.55)
所要時間 3時間55分 雨乞山 三等三角点
小野子山四等三角点
小野子山山頂にて
定年退職を控えて東京に住むのもあと3ケ月、そのあとは奈良県へ転居に予定だ。登りいと思いながら登り残しになっている山の一つ小野子山へ登ることにした。

要所には『小野子山』の道標があって、迷うことなく登山口に到着。
足元が明るくなるのを待って出発した。歩きはじめるとすぐに尾根の急登となる。階段状のかなりの勾配である。ひと登りするとNHKの施設があった。
次第に明るさを増し、東の空が赤く染まってきた。赤城山の右肩あたりに曙光の兆しが濃くなってきた。
この先も、いっとき勾配が緩んでも急な登りはさらにつづく。登山道には落ち葉が厚く敷き詰め、心地よさが足裏に伝わってくる。落ち葉を踏んで歩くのも秋の山の楽しみであるし、冬木立のモノトーンの世界も、それはれそれでまた落ち着いていい雰囲気だ。

NHKからひと登りすると、明るい切り開きに出た。ここはハングライダーのスタート台になっている。赤城山のシルエットの右肩から黄金の太陽が昇ってきた。蛇行する吾妻川が銀色に反射している。
1000メートルを少し出るだけの低山と軽く考えてきたのに、思いのほかきつい急登が続くのにはちょっと驚かされる。しかしハイキングには手ごろな山で、登山者の多さを物語るように登山道の手入れは大変行き届いている。
突然の大きな物音に驚く。秋の山は熊がご用心、まさかと思いながら一歩二歩進むと雉がけたたましい羽音を立てて飛び立った。つづいて一羽、また一羽。全部で6〜7羽が四方に散るように飛び立って行った。
大きな岩が目立つようになり、その岩の間を抜けて登りついたピークに雨乞山の標識が立っていた。小野子山はまだまだ先だ。樹林の中で眺望はない。風が冷たく休憩する気にもなれず、そのまま先を急いだ。

一度下ってから、再び急な登りとなる。
防寒具代わりに雨具を着る。奈良へ転居してしまえは、関東周辺の山はもう登る機会は少ないだろう。 ちょっと感傷的な気分に襲われる。病後始めた山登りだが、ノウハウを少しづつ身につけていった山々が、奥多摩や丹沢、関東周辺の山々であった。この10年ほどの間に、関東周辺で登った山の数もかなりの数に上る。惜別の情が湧く。

小さなアップダウンを繰り返しながら高度を上げてゆく。落葉した潅木の隙間から、小野子三山といわれる中ノ岳、十ニケ岳が朝日を受 けてうす紫色に佇んでいる。やがて美しいナラの純林となって勾配が緩くなった。もう一度傾斜が急になるがそれもわずかで、登りついたピークが小野子山山頂だった。三角点には四等と刻まれていた。
北側樹林が切り払われているが、思ったほどの眺望はない。ただ正面に白くそびえている谷川岳、そして特徴的な鋸歯峰武尊山が目を引く。
北たから吹き上げて来る寒風にいたたまれず、記念写真だけ撮ると早々につぎの中ノ岳へ向かった。中ノ岳と十ニケ岳は暖かそうな陽を受けている。中ノ岳へは小野子山の北斜面を急降下、その鞍部ははるか下にあるように見える。ちょっとためらうほどの下降である。登山道の土は凍りつき、落葉には真っ白く霜が覆い、見るからに寒さが身にしみる。見た目より早く、10分ほどで鞍部まで下りついた。高低差は 200メートル前後のものだろう。

鞍部から20分余の急登で、なだらかな中ノ岳山頂東端へ登りついた。山頂は平坦部を少し奥へ進んだところにあった。樹林にかこまれて展望はない。樹間から榛名山と浅間山がのぞめる。
中ノ岳東端の日だまりで風を避けて休憩をとる。武尊山をスケッチしながら奥白根山 、男体山、谷川連峰などを眺めてひとときを過ごす。鞍部を挟んで十ニケ岳が目の前に見えているが、とにかく寒くてかなわない。ここで引き返すことにした。

再び小野子山へ登りかえす。休んだりしている間に体がすっかり冷えてしまった。手の指先が痛くなってきた。北風が強く陽の当たらない北斜面の登りは特に寒い。指の屈伸運動で血流を促しながら歩く。
小野子山頂上の東側へ行ってみると、中ノ岳と十ニケ岳の眺めがいい。その背後には苗場山から佐武流山へと連なる山々、横手山、草津白根山、さらには根子岳なども望めた。

登ってきたときと同じ南斜面の下りにかかると寒さはいっぺんにゆるんだ。途中で榛名山をスケッチしていると、その背後に小さく山頂をのぞかせている富士山を発見した。遠く奥秩父の連山も天と一線を画すように連なっていた。
下山後、小野上村営の温泉へ入って汗を流してから帰宅の途についた。