追想の山々1364  

雲ノ平・祖母岳・祖父岳・高天原・薬師岳
 登頂日1999.08.05〜07 単独
●折立(6.50)−−−太郎兵衛平(9.20-9.30)−−−薬師沢小屋(11.00)−−−祖母岳(13.10)−−−雲ノ平山荘(13.30-13.45)−−−祖父岳(14.35-14.40)−−−雲ノ平山荘(15.25)・・・・小屋泊
●雲ノ平山荘(5.20)−−−高天原山荘(6.50)−−−高天原温泉(7.05-7.30)−−−高天原山荘(7.50)−−−高天原峠(8.25-8.30)−−−薬師沢小屋(10.30-10.45)−−−太郎兵衛平(12.25-12.35)−−−薬師岳小屋(14.00-14.20)−−−薬師岳−−−薬師岳小屋(15.40)・・・小屋泊
●薬師岳小屋(4.15)−−−薬師岳(4.50-5.15)−−−薬師岳小屋(5.45)−−−太郎兵衛平(6.45)−−−折立(8.35)
1日目 8時間35分
2日目10時間20分
3日目 4時間25分
富山県 薬師岳二等三角点
雲の平と水晶岳
長年気にかかりながらエアポケットのように残されままの未登の山域があった。知名度、人気も高く知らぬ人のない「雲ノ平〜高天原」である。
アプローチが不便な上に、北アルプスの奥座敷と呼ばれるほどの奥まった山域で、雲の平から高天原までを周回すれば、最低4日行程の長丁場になる。人工肛門の私には山中2泊が限度、検討の結果2泊でも歩ける目処を得て出かけた。

マイカーで7時間かけて富山へ到着。気がつくと登山靴がない。市内のスーパーで安物のジョギングシューズを調達する。(安物のおかげで、このあとマメにやられることとなった)この日は富山駅近くのビジネスホテルに宿泊。

≪第一日目≫
未明の3時45分ホテルを出る。有峰林道は今年一杯通行止めで、折立までは代りに林道小口川線を使うようになっていた。「水須ゲート」に着いたのが4時半。ところがゲート開門は6時からとなっていて、こんなに早起きして来る必要はなかった。ゲート前でわずかの仮眠をとったりして時間をつぶす。
計画に反した出発の遅延で、今日中に雲の平まで入るのは無理かもしれない。薬師沢小屋泊りとなることを覚悟、予定の2泊で高天原まで周回するのはむずかしそうだ。
午前6時、開いたゲートから折立へ向かった。折立着は6時50分。路肩や空き地には登山者の自動車が数珠つなぎに止められている。

遅れた時間を取り戻すようにしてすぐに出発した。
9年前には、太郎小屋まで5時間コースを2時間20分ほどで歩けたが、今は無理だろう。いつもの自分のペースで登ってゆく。 1871メートルの三角点、ここまで標高差500メートルを50分で登ってきた。快調だ。もしこのペースが維持できれば、第一日目で雲の平まで行ける可能性がある。
太郎小屋が小さく見えてきて、もうすぐと思ってからがけっこう長い。
太郎小屋着は9時20分。ここまでコースタイム5時間を2時間20分で歩いた。まだ足は衰えていないようだ。

現在時刻を見て、今日中に雲ノ平まで行くことにする。
太郎小屋から薬師沢までは標高差450メートルの下りである。普通の登山者は第一日目は太郎小屋か薬師沢小屋まで、その先へ足を延ばす人は少ない。太郎小屋での休憩もそこそこに、時間を惜しんですぐ薬師沢へ向かう。黒部五郎岳方面へのコースと別れてしばらく行くと、道は急勾配で沢へ落ち込んでいる。今までかせいだ貯金を吐き出すような急な下りがつづく。『もったいなや、もったいなや』と唱えて歩きたいような下りだ。
ようやく下り付いた大きい沢が薬師沢の左俣である。立派な橋が架けられている。一休みしたい誘惑を振り切って先へ急ぐ。左俣からは小さな起伏はあるものの、比較的なだらかな道が薬師沢へとつづいている。やがて「カベッケ原」の標識の立つ笹原となる。休憩用ベンチも備えられていた。
カベッケ原を過ぎると10分ほどで薬師沢小屋だった。太郎小屋からコースタイム2時間30分のところを1時間半で歩けた。相変わらず調子がいい。時刻はまだ11時。ここから雲の平までのコースタイムは4時間、そのとおりに歩いても3時前後には到着できる。

早めの食事を取り、水筒を満タンにしてから雲の平へ向かった。
高天原峠経由の大東新道と、雲の平へ直接登るコースと二つあるが、コースの短い雲の平直接のルートを取ることとした。
小屋の前を流れる黒部川を吊橋で右岸へ渡ってから河原へ降りる。右岸をほんのわずか下ると高天原峠と雲の平の分岐がある。雲の平へのコースへ入るといきなりの急登が待っていた。雲の平まで標高差700メートル余、胸を突くという形容では足りないくらいの厳しい急登だ。おまけに足元が非常に悪い。木につかまり、根っこにつかまり、ときには崩れそうなガレを、あるいは滑る黒土に足を踏ん張って行く。汗がどっと吹き出す。
急がず休まず一歩一歩登ってゆく。今朝から1000メートル登って400メートル下り、今度はほとんど緩まない急登700メートルの高度差を攀じて行くのはさすがに足にこたえてきた。中年女性3人組が休んでいる。「こんなに苦労して登ってきたのに、やっと昨日の太郎小屋と同じ高さよね」なんて言っている。彼女たちは今朝太郎小屋を出てきたらしい。超ゆっくりのペースだ。夕方までに雲の平山荘に着くつもりだと言っていた。
まさに攀じるという言葉がぴったりの、足場の悪い急登にうんざりするころ、木道があらわれた。どうやら雲の平の一角にたどりついたらしい。木道沿いは○○庭園とかいう名前がついていて、雲の平独特の景観を作っていた。どこか尾瀬を思わせるような雰囲気もある。

高原漫歩の気分で1時間ほど歩くと雲の平山荘手前でアルプス庭園への標識があった。ザックが残されている。ザックを残すくらいだから近いにちがいない。私もザックを置いて行ってみることにした。ちょっとした凸部のピークへ向かって登って行くと10分ほどで「祖母岳」の標柱のあるピークに着いた。ピークというより、広々とした高原の真ん中という感じだった。ここでの展望は素晴らしい。薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、水晶岳・・・高峰群がぐるりと取り巻いている。

しばらく展望を楽しんだ後、分岐に戻ってすぐ先にある雲の平山荘へ入った。昨夜は大変な混雑だったらしいが、今夜はゆったりしているという。
高天原温泉
薬師沢小屋から4時間のコースを、祖母岳へ立ち寄ったにもかかわらず2時間30分で歩くことができた。
時刻は1時半。疲れてはいたが、こうしているのも勿体なくない。祖父岳を往復して来ることにする。小屋の従業員に「1時間ほどで行けますか」と聞くと、1時間で行ける人は相当な健脚だという。夕食までに戻ればいいだろう。
祖父岳までは標高差350メートルから400メートルほど。山荘を出てから約15分、いったんキャンプ場まで下り、ここから400メートル近いきつい登りとなる。キャンプ場の水場は、頭が痛くなるような冷たい水だった。
疲れの溜まった足は思うように上がらない。岩くずのザレ道をカメラ片手に這い上がって行く。キャンプ場の色とりどりのテントが足下に小さくなってゆく。数十張り以上はあるだろうか。

祖父岳山頂から   左―槍、右―穂高連峰
山頂が近づくと岩塊の堆積となってくる。岩のペンキ印を目印に急登を攀じ終わると広い円頂の祖父岳の頂だった。所用50分だった。ケルンのある中央に立つと胸のときめくような展望が広がっていた。
眼下には黒部源流の谷。薬師岳、太郎兵衛平、黒部五郎、三俣蓮華、鷲羽、水晶、赤牛と360度の眺望がほしいまま。さらに槍ケ岳から穂高連峰までもが一望のもとだった。疲れた足を引きずって登ってきた甲斐があった。
これで今日の登りだけの標高差が2000メートルを優に超えたことになる。よく歩いたものだ。

5分前後の休憩を数回取っただけ、実動8時間半の一日がようやく終わった。
山荘で今日の行程を聞かれて説明すると、その歳(62歳)でほんとうに歩けたのかという顔をしてあっけに取られていた。
山荘には母娘二人連れが泊まっていた。娘は知恵遅れで中学生くらいに見える。普通の人でもここまで2日を要するコースを、知恵遅れの娘をかばいながら登ってきた母親の苦労が手に取るように想像された。両親で連れて来るのならまだしも、母親一人というのは想像以上に厳しいはずだ。荷物も大半は母親が背負ったであろうし、ときには手を引いたりもしただろう。母親は「障害児であっても人並みの体験をさせたい」そんな思いにささえられて苦労をいとわずにここまで来たのに違いない。私には軽々しく労をねぎらうような言葉をかけられないものがあった。
この娘はかなり遅い時間まで奇声を発したり、歌を歌ったり騒々しかったが、少しもそれを咎める気持ちは湧かなかった。むしろ他の人のいびきの方が気になった。やがて娘は疲れもあってか静かに寝入ったようだった。
朝起きると、母親は早くも出立の準備をしていた。トイレの世話、食事の世話。自分の身だけでも大変なのに、この母親はどこからそんなバイタリテイが生まれてくるのだろうか。私には大変印象に残る光景であった。

≪2日目≫
山荘を出て高天原峠経由高天原温泉へ向かう。
山荘前の小ピークに登ると水晶、黒部、薬師などの山々が黎明の中に黒々と聳え立っていた。
ピークから峠までは足場の良くない急坂を一気に下ってゆく。高低差約400メートルの下りだ。途中の小湿原にはウサギギクなどの花が朝風に揺れている。学生が3人駆けるようにして私を追い越していった。
山荘から約1時間、高天原峠に着く。高低差の割には時間がかかった。もう少し高低差があるのかも知れない。峠から左へ行けば大東新道で薬師沢小屋、右が高天原である。ここは当然高天原まで行き、温泉へ入らないわけにはいかない。地図で見る限り高天原まではたいして時間はかからないと思ったが、予想以上に長かった。途中二つ三つ沢を渡り、起伏しながら全体としてはさらに下って行く。
岩苔乗越への分岐手前あたりで平坦道となり、いわゆる「原」という雰囲気になってきた。小さな池塘も見える。良く見ると池畔にはモウセンゴケが植生している。

原の中を蛇行して行くと高天原山荘の前に出た。思ったより小さな山荘で、ずいぶん古びていて大掛かりな手入れが必要なようだ。目指す温泉はまだ先だった。
さらに緩く下ってゆくと「ねむりの湯」の標識。細道を入って行くと学生の3人が戻って来る。湯がぬるすぎるらしい。この先にあるもう一つの湯の方がいいらしい。私も後に続いてもうひとつの湯「からまつの湯」へ行くことにした。
温泉は5分ほど先、温泉沢の沢岸にあった。
掘っ建ての脱衣場と、女性用風呂の囲いだけが人の手をかけた造作物で、そのほかには人工物一つ見当たらない露天風呂だった。数人も入れば一杯の浴槽はコンクリートの打ちっぱなしでザラザラしているのがいかにも野趣たっぷりだ。 学生たちはまた雲の平まで戻るということだった。21日間の縦走で、7日ぶりの風呂だという。
高天原というのはもう少し広闊としていて、女性好みの雰囲気に満ちているような感じを抱いていたが、山奥のちょっとした平坦地に過ぎなかった。温泉がなければわざわざ足を運ぶ人も少なかろう。

30分ほどの入浴の後、再び高天原峠へと戻る。峠までけっこうな登りだった。高低差200から300メールはあるだろう。
峠で一休みしてから薬師沢小屋への下りにかかる。  最初は緩い傾斜で楽々気分で歩いていたが、やがて足場の悪い急坂となった。雲の平への登りルートも悪路だったが、この大東新道もそれといい勝負だ。おまけに小さな沢を徒渉するために、何回もアップダウンがある分、疲労も多いし時間もかかる。
実際にかかった時間以上に厳しく感じる下りがようやく終わると、清流のほとばしる渓流となる。これがB沢というらしい。冷たい沢水をたらふく飲んで小休止を取った。
転石につけられたペンキを頼りに渓流を下って行くと、とうとうとした流れに合流する。これが黒部川の上流部である。イワナが泳いでいそうな美しい流れが、ところどころ瀞を作ったり、大きく蛇行したりしながら流れていた。
大小点在する石は、全体に白っぽいものが多く、河原全体が別世界に入ったように明るい。
流れの右岸をペンキ印を目当てに遡上して行く。薬師沢小屋まではもう一息と勝手に思い込んでいたが、なかなかあの吊橋が見えてこない。時には流れの中の転石を飛び、あるいは高巻いたりして、河原歩きと言っても決して平坦だけではない。
まだかまだかと思いながら、結局40分も黒部川の河原を歩いて、やっと吊橋が見えてきた。
薬師沢小屋着が10時半、高天原温泉から3時間の所要だった。

一休みしてから太郎小屋へ向かう。朝のうちはまずまずの天気だったのに、すっかり雲に覆われてしまった。振り返ると先ほど下ってきた山々の稜線は雨模様に見える。
太郎小屋へは、昨日は下って来た道を、今度は約500メートルの登り返しでとなる。太郎兵衛平への最後の急登は足が重く、一歩一歩引きずり上げて行く。稜線へ登りついてほっとするころ、ポツリポツリと雨が落ちてきた。たいした降りにならなければいいが。 あれだけ天気予報を確認し、安定しているという予報を信じてきたのにどうも「当たらないのが天気予報」である。

薬師沢小屋からの所要は1時間50分、それほど急いだわけでもなかったが、コースタイム3時間を大幅に短縮していた。
2泊でも厳しいコースを1泊で歩いてしまった。これで予定のコースは終了である。
時刻を見ると12時半になるところ、このまま下っても3時前後には折立へ下山できる。今日中の帰宅も可能だ。どうしようかと思案したが、「2泊の予定で来たのだから」と思うと、このまま下山するのが惜しくなり、ついでに薬師岳も登ることにした。
雨がまた落ちてきたが、たいした降りにはなるまい。薬師峠キャンプ場へさしかかると突然本降りとなってしまった。急いで雨衣を取り出して着用。このまま降り続いたらと思うと少し気が重くなったが、いまさら下山する気にもなれず、薬師を目指して登って行く。

雨具を着用で、蒸れて暑く、不快極まりない。
9年前の薬師岳はひどい雨風の中だった。足元だけを見つめて、無言でただひたすら登っていった。あれを思えばこの程度の雨はたいしたことではない。
幸い小降りになったのを機に雨衣を脱ぐ。樹林を抜けると、涸れ沢の斜面にチングルマ、エゾノコザクラ、ハクサンイチゲなどのお花畑が埋めていた。やや寒く感じるほどの風を受けて、見通しのいい尾根を登って行く。

薬師岳三頂
太郎小屋から1時間強で薬師小屋到着。これも早かった。
小屋で受け付けなどをしてしばらくすると天気が回復してきた。明日はどうなるかわからない、今日のうちに山頂を往復しておくことにした。
小屋から上は一木一草も見当たらないような岩屑に覆われている。ガラガラした岩くずの急登がことさらにこたえる。小屋から50分ほどで山頂に到着。ここからの眺めは巨大な赤牛岳の姿が圧巻だ。数年前に快晴の下、水晶岳から赤牛へとつづくあの長い尾根を縦走した日のことが思い出される。
太郎兵衛平、黒部五郎、そして有峰湖などの展望をしばし楽しむ。残念ながら剣、立山方面は雲の中だった。

小屋の夕食を済ませた後、天気は急速に良くなってきた。
小屋の前からの落日に見入った。西の空を真っ赤に焼き、天空いっぱいにオーロラのような夕焼けを映し出してくれた。こんなみごとな夕焼けを見たのはいつのことか思い出せない。いまも瞼に焼き付いている。里では見ることのできない素晴らしい落日だった。

≪3日目≫
翌朝、天気が良かったので、50分の時間をかけてもう一度山頂へ登った。
東方に位置する後立山の鹿島槍ケ岳、針の木岳方面の稜線には雲がたなびいて、期待のご来光を見ることは出来なかった。
早くも秋の空を思わせる曙光の中に、シルエットで浮かんでいた剣、立山連峰の眺めが良い思い出となった。

薬師岳山頂を後にして下山の途についた。
太郎小屋まで1時間半、さらに折立まで1時間50分。超特急の歩きだった。
折立下山は8時35分。完全燃焼の山旅であったし、また脚力が確かなものであることも確認できた嬉しい山旅であった。
車を駆って7時間の運転で帰宅した。