追想の山々1373  

リスマスの雪山・富士山頂から昇るご来光

 木曾駒ケ岳
(2956m)・伊那前岳
(2883m)登頂日1994.12.23-24 単独
  木曽山脈(中央アルプス)の山行記録はコチラにもあります
●.千畳敷(9.45)−−−浄土乗越(10.30)−−−木曾駒ケ岳−−−宝剣山荘−−−伊那前岳−−−宝剣山荘(14.30)・・・泊
●伊那前岳手前でご来光、写真撮影−−−千畳敷(8.00)
行程 ***** 長野県 木曾駒ケ岳 一等三角点
伊那前岳  三等三角点
≪撮影山行≫
曙光 宝剣岳
朝一番の天竜峡行き電車の乗客はたった一人だった。夜明の伊那谷を天竜川に沿って電車はのんびりと走る。雲ひとつない真っ青な空、天竜川の東には甲斐駒や仙丈など、赤石山脈3000メートル峰が藍色のシルエットで連なる。一方西には木曽山脈核心部の伊那前岳、宝剣、空木、南駒などの銀嶺が険しく撃え立っている。
駒ヶ根駅待ち合い室には、一晩ここで過ごした様子の10数人のパーティーが始発バスを待っていた。

途中でチェーンを付けたバスに乗り換えてしらび平へ。9時始発のケーブルで一気に1000メートルの高度を上がると、標高2612メートルの千畳敷である。
支度を整えて外へ出ると、眩しい雪景色の中に凛とした宝剣岳が夏とは異なった威圧感で迫ってくる。ブルシャンブルーの絵の具で描き染めたような透明感抜群の冬空。9時45分、カールの雪を踏み締め、乗越浄土を目指して出発。

先行者のトレールをたどって急斜面を攀じる。背中から陽を受けて額からは汗が流れる。登山靴とアイゼン合わせて片足3キロ近い。一歩また一歩という感じで足を運ぶ。振り返るたびに千畳敷ホテルは眼下に小さくなっていく。
これほどの好天だと雪があるというだけで、夏山とさして変わらない。資料では千畳敷から乗越浄土まで2〜3時間となっていたが、わずか45分弱で登ってしまった。
乗越に立つと一転そこは寒風吹きすさぶ稜線で、展望が一気に開けた。目の前には岩の砦のような宝剣岳、なだらかな中岳、今夜の宿宝剣山荘などが見える。カールの先には屏風のように連なる南アルプスの高峰群。

伊那前岳寄りに少し行った所から宝剣岳の眺めを楽しんでから宝剣山荘へ立ち寄る。ところが人の気配がない。今日23日から1月4日まで、 年末年始営業するはずだがどうなっているのだろう。ちょっと心配になる。空身で往復する予定だった木曽駒へ、荷物を背負ったまま往復して来ることにした。
天気は最高、コースの不安もまったくない。夏道どおしに中岳を越えて行くコースは、けだし雪のスカイライン、こころ昂ぶる漫歩気分だ。
木曽駒山頂はさすが3000メートル峰に等しい山巓、神社の鳥居にはエビの尻尾が成長し、吹きつける寒風に体も硬くなる。しかし中部山岳随一と折り紙つきの大展望、360度の大パノラマがほしいままだった。澄み切った大気、展望にはこれ以上の条件は有り得ないほどの素晴らしさだった。
体の芯まで凍える寒さ 馬の瀬

ここではどうしてもその展望の限りを記しておかなくてはならない。
何といっても目を奪うのは、宝剣岳から南駒ヶ岳へと重なり合う幾多の雪の峰々で、紺青の空と眩しく輝く銀嶺のコントラストも抜群、恵那山もまた長大な背骨を見せている。
北には頚城三山をはしめとして戸隠連峰、飯縄山がひと群の山塊として白く望め、白馬連峰から槍、穂高岳、笠ケ岳、乗鞍岳と高峰を連ねる北アルプス。西に目を転ずれば御嶽山の巨体と、その背後には加賀白山や飛越の山々、さらに小秀山などの阿寺山地、その先にかすかに浮かぶのは伊吹や鈴鹿の山地だろうか。東を見れば恐竜の背のような鋸岳から始まって、甲斐駒、仙丈と南アルプス3000メートル峰が蜿蜒と延びる。その果てには南ア ルプス深南部の秘峰と言われる加々森山、池口岳などをへて山脈は次第に地平線へと吸い込まれて行く。奥秩父連峰、八ヶ岳連峰、浅間山、四阿山、根子岳、烏帽子、志賀の山々・・・・・  これ以上は望むべくもない眺望に満足し、雪を被った神社に風を避けてテルモスのお茶を飲んでから山頂を後にした。

宝剣山荘には管理人が入っていた。
まだ12時半、それに天気も相変わらずの快晴、山荘にくすぶっているのも勿体なく、明日予定の伊那前岳へ行って見ることにした。
乗越浄土から稜線とおしに緩い起伏を行くと、わけなく伊那前岳だった。伊那谷から仰ぐとき、木曽駒だと思って眺める山が、実はこの前岳であって、木曽駒は前岳の陰になっていて見えない。ここに立つと大蛇のような天竜川のうねりや、障壁のように天を画す赤石山脈の眺めがみごとだ。
宝剣岳をスケッチしたりしてから山荘に帰ったのが2時半だった。

翌朝、東方の空が白んで来たのをみて外に出た。目の前にそそり立つ宝剣は黒々とした陰影で薄闇の空間を圧している。その山巓上空には凍った半月が浮かんでいた。中空はかすかに青みをさし始めているが、まだ夜の墨色に支配されている。
アイゼンを装着して凍てついた雪を踏み、和合山方面へ向かった。山荘から歩いて10分余の先、昨日伊那前岳への途中で確認しておいた『暁光に輝く宝剣岳』の好展望ポイントで日の出を待っことにした。

宝剣岳残照
日の出にはまだ時間があったが、東方の赤石山脈稜線上は茜に染まり、既に夜明けのドラマは開始されようとしている。眼下には伊那谷集落の灯が、赤、緑、青とかすかに瞬き、足下の静まり返った千畳敷カールの雪原の中に、ホテルの灯が淡く揺らいで見える。
塩見岳と農鳥岳中間に姿を見せる富士山を、さらに引き立てるように背後の朱光は空を染め、その付近に太陽の昇るのを暗示していた。やがて朱光は明るく透明感をもったゴールドイエローヘと変化し、一方天空にはみごとなスカイブルーが広がって行く。
日の出と時を合わせるようにして風が強まり、雪煙が吹きつけて来る。ありったけ着込んできたが、それでも寒気が身に染みてくる。足の指先も次第に凍えて来る。

やがて富士山の両翼に赤紫の斜光線が駆けると、はるかな奥秩父の連山が赭に染まる。いよいよ日の出のときと期待が高まる。が、中央アルプスの山稜にはまだ光陰が射しこんでこない。高度2千数百メー トルの奥秩父に届いた陽光が、3000メートルに近いこの山塊に届かぬはずはない・・・。そんな思いでその一瞬を待つ。富士山の両翼に連なる南ア連峰上には、きらびやかな白黄色がいよいよ冴え輝いてきた。富士山はその白黄色の光背の中に神々しい輪郭を浮き立たせている。

一瞬富士山の頭で真珠のような銀粒が閃光を放った。劇的な日の出だった。冬至の翌々日(12月24目)、まさに富士山頂から昇る太陽との出会いであった。いつもは深紅に燃える火玉となって、山の稜線から悠然と姿を現す太陽だが、これは始めて目にする感動的な瞬間であった。
カメラのシャッターを切る間も待たず、たちまち太陽はプラチナ色に輝きながら富士山の頂上を離れ、モノトーンの世界はあっと言うまに、色彩に溢れた躍動感ある世界へと変わって行った。

空木や南駒に射す斜光線は、雪稜の陰影を深々と刻み、目前の宝剣岳は雪と岩のコントラストも鮮やかに、一層の険しさを演出していた。
刻々と変化していく夜明けのドラマに見惚れて、何回シャッターを切ったことだろう。日の出から30分ほどがあっと言う間に過ぎて行った。

下山は、カール中腹からの尻セードが快適だった。途中雪上に腰を下ろして、南ア眺望や宝剣の峻険を仰ぎながら朝食のパンをかじった。
(この登山から10日ほど後の正月、千畳敷カールで雪崩に巻き込まれガイドもろとも6人が死亡するという、大きな遭難事故が発生した)
富士山山頂から昇る日の出