追想の山々1377
奥多摩湖(6.15)−−−産土神社(6.45)−−−防火帯(7.40)−−−六ツ石山(8.10-8.15)−−−鷹ノ巣山(9.40-10.00)−−−榧ノ木山−−−倉戸山(11.15-11.25)−−−奥多摩湖(12.20) | |||||
行程 6時間05分 | 東京都 | 六ツ石山 三等三角点 鷹ノ巣山 二等三角点 倉戸山 二等三角点 |
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定年退職を2ヶ月後に控え、幾たびとなく通った奥多摩の山々への、これはさよなら山行でもあった。ガンの手術を受け、傷心の思いを抱いていたとき、死と向き合いながら登山という喜びを見い出し、生きていることを実感した日々。そんな私を迎えてくれた奥多摩の山々。私の登山のスタート、人生再生の山でもあった奥多摩の山。 あれからいつしか10年の時が流れて齢60、この間に奥多摩へ向かったのは20回以上にもなるだろうか。 あと2ケ月で東京を離れる。再び奥多摩の山を訪ねることはもはやないかもしれない。 東京にもこんな空があったのかと、再認識するようなきれいな青空の見える季節、東京でいちばんいい季節だ。 好天に誘われて奥多摩へ向かった。実は「さよなら山行」はどの山にしようか。あれこれ迷ったが、日本百名山初期のころ、1月中旬に雲取山からの帰りに下った石尾根を再度歩いて、当時の思い出をたぐることにした。 いくつかあるコースの中から、奥多摩湖(小河内ダム)堰堤側の駐車場で夜明けを待って、ここを起点にして周回するコースに決めた。 戸数わずか数戸、山の斜面にへばりつくようなひとかたまりの水根沢集落で車道が終わって、六ツ石山への登山道がはじまった。 支尾根の植林帯の中を急登してゆく。汗ばみながら高度を上げて行くと、杉林の樹間から茜色の陽光が射込んできた。赤い光線が樹林の中にきらめきながら、夜明けを歓喜しているようにみえる。 樹相が雑木林に変わると、世界が変わったように明るくなった。落葉した冬木立、かさかさと鳴る落ち葉の山道、降り注ぐ柔らかい陽射し。この雰囲気はいつでも気持ちいい。 30分ほど登ったところに、杉林に囲まれて小さな神社がぽつんとある。”水根産土神社” という額がかかっていた。 標高50メートルごとに小さな標高プレートがあっていい目安になる。鹿の家族が遠くからこっちの様子をうかがっている。全部で5頭。くるりと向きを変え白い尻を見せて難木林の中へ軽やかに姿を消した。 歩きはじめて1時間半、幅20〜30メートルもある防火帯に出た。枯れ草を踏み、凍った土を踏んで防火帯の中を登って行く。日陰にはまぶしたような雪が見える。梢では風が騒いでいるが、ここまでは冷たい風は吹き降りてこない。緩い上り下りがあったりして、六ツ石山まで防火帯の道は思いのほか長かった。所要2時間、広い六ツ石山頂上で1回目の休憩にする。ここに立ったのはもう10年も昔のこと、当時のことを思い出そうとするが、漠然とした記憶しかよみがえって来ない。 人気の高い石尾根は、いつでも登山者が行き交うはずだが、年末近いせいか休日にもかかわらず人影は皆無。 静寂の中でひと休みしている間に体が冷えてきた。 六ツ石山からは石尾根を鷹の巣山へ向かう。 山頂から下ってゆくとすぐに三叉路になる。広々とした防火帯を緩く登ったり降りたりのコースは、実にのどかで気楽な散策ムードだ。ところどころ消え残った雪を踏んでゆく。富士山が中空に浮かんで見える。 次の高みが鷹ノ巣山かと思うとまただまされたあげく、ようやく山頂標識らしいピークが見てきた。15分ほどかなと予測して小さな鞍部に下り、再びの登り返しがけっこう長くて、20分以上かかってしまった。 静かな山頂はただ一人だけ。思いを込めて奥多摩の山々を眺めた。特徴的な山容の大岳山、そして御前山、三頭山は奥多摩を代表する三山。富士山、御坂山塊、御正体山、道志の山々と丹沢山塊が重なり合う。また大菩薩から小金沢連峰とつづく一連の山脈のかなたには、白銀の南アルプスが望見できた。どれもこれもみんな懐かしい山ばかりだ。 思い出深い山々を深く胸に畳んで帰路についた。 下山は榧ノ木尾根にコースを取った。 カラマツの中を下りながら振りかえると、鷹の巣山のピークと六ツ石山が冬陽の中にセピア色の姿で私を見送っていた。 勾配もなだらかな道を、落ち葉を踏んで下ってゆく。やがて背後の鷹の巣山が視界から消えあたりが、榧ノ木山を過ぎた地点だろうか。 まるで公園のような倉戸山で休憩にした。ここまで下ると気温もかなりちがって、昼寝したくなるような心地よさが広がった。 コースは熱海へと下っているが、熱海へ出てしまうと奥多摩湖の駐車地点まで青梅街道の舗装道路を2〜3キロ歩くことになってしまう。途中駐車地点寄りの間道が見当たらないかと気を配って歩いていると、それらしい細道が目についた。ためらうことなくこの間道を取る。「桜道」 という桜の道を通り、ぴったり奥多摩湖の駐車場へ下り着くことができた。 記憶は薄れてはいたが、カヤトの広い防火帯を雲取山から奥多摩まで下った日のことが、再び脳裡に去来した今日のハイキングだった。奥多摩の山さようなら・・・。(1996.12.28記) |