追想の山々1389  

 猿焼山(1402m)  登頂日1992.02.11 単独
富士急禾生駅(9.20)−−−沢を遡上した林道(11.30-11.40)−−−猿焼山西峰(13.10-14.00)−−−曾雌集落(16.00)−−−禾生駅(17.10)
行程 7時間20分 山梨県 三等三角点
猿焼山から黒岳(小金沢)をスケッチ
地理院地形図には猿焼山という名前はなく、三角点名「馬場」と記されているだけのピーク。

冬は忙しい。山歩き、マラソン、スキー。特にマラソンは日々の積み重ねが肝心なだけに、一日一日がおろそかにできず、中でも休日は長い距離を走り込大切な日である。
土、日曜のうち一日は山歩き、一日はジョギングと仲良く振り分けるように心掛けいるが、するとスキーに行く機会がなくなってしまう。山スキーにも行きたい、スキーの練習もしておかなくてはならない。

年が明けてから山歩きはこれがやっと3回目。
近い山を検討して上野原の権現山へ行くつもりで家を出た。7時8分新宿発の列車の乗客は大半がハイカー、そのほとんどが熟年のおじさん、おばさんたちだ。天気も上々、相模湖駅で電車が特急待ち合わせをしていると、「根橋さん」と声をかけられる。Nハイキング倶楽部のM氏だった。倶楽部山行で猿暁山へ行くのだという。「一緒にどうですか」ということで同行することにしてしまった。
総勢10名余、子供を含めて年配者と女性主体のメンバー。
富士急禾生駅下車。舗装道を朝日川沿に遡る。途中車道と別れて河原に入る。雪が残っている。河原から3メートルほどの堤の上に登るのにザイルを取り出す。まさかザイルを・・・という感じだ。一人々々引き上げて全員登り終わるのに何分かかっただろうか。
私一人で歩く3倍も4倍も時間をかけて行く。
登山口がはっきりしないまま沢の中を遡上して行く。薮や倒木が 前を塞ぎ、積雪もあって遅々として進まない。
沢を登り詰めた最後のところで小さい崩壊地があり、再びザイル を出すが、これがなかなか登り切れない。ここを通過するのに30分はかかっただろう。これが曲がりなりにも山歩き同好会の人たちかと疑ってしまう。

薮道ながら何とか登山道へとりついて山頂を目指す。メンバーの中には70才をとおに越したと見える老人もいて、足がなかなか捗らない。
禾生駅を9時20分に出発して、猿焼山着が午後1時10分。標高差400メートル前後を3時間50分かかった勘定だ。こんなことなら当初の計画通り一人で権現山へ行けばよかった。悔やむ気持ちになってきた。
山頂ではナベ料理を作ってみんなで食べた。協力しあって一つの山行を完成させるところに、複数メンバーでの山行の意味があるということだろう。しかし「メンバーが力を出し合って」ということより、自分一人では山を歩けないので、ただ連れて行ってもらうためにクラブの一員になっているように見えた。
もうひとつ、体力があまりにも違い過ぎることも問題点だろう。全員同じというわけにはいかないが、ある程度足のそろう重要性も認識せざるを得ない。

大事な休日を使ってのハイキングなのに、楽しい気分にもなれず、つのるいらいらを静めながらの山歩きとなってしまった。
下山も薮っぼい道がつづき、足は捗らなかった。