追想の山々1391
  

 蜂城山(738m)・茶臼山(948m)  登頂日1991.03.10 単独
中央道釈迦堂SA(5.45)−−−鈴郷集落(5.50)−−−蜂城山(6.40-7.10)−−−京戸林道支線分岐(7.30)−−−茶臼山(8.30-9.15)−−−水分集落(10.00)−−−遺跡博物館(10.20-10.45)−−−勝沼駅(11.35)
行程 5時間50分 山梨県 茶臼山 三等三角点
茶臼山山頂
「車窓の山旅、中央線から見える山」の著者山村正光さんが、『ビスターリ』に連載の『中央本線各駅登山』紹介した中の一つがこの山。
ハイキングの起点は中央線勝沼駅。氏の紹介の冒頭 《冬の朝、おり立った勝沼駅からの眺めには定評がある。恐らく中央線、いや全国のJRの駅の中でも出色のものであろう。金峰山から始まり、甲府盆地の周辺の山々、南アルプス全山の大パノラマを楽しむことができる。》とある。

今朝は勝沼駅ではなく、中央高速道釈迦堂パーキングエリアが起点であった。息子のスキー行きの自動車に便乗してここまできたのだ。
空は上天気、日の出にはまだ間があるが、高速道沿いの道を民家のある鈴郷の部落へ。犬の散歩のおじさんに蜂城山への道を尋ねる。農家の間を行くと“蜂城天神”と刻まれた石灯籠と台座の上に拳大の10コ余の玉石、その中央に10数センチの棒状石を立てた不思議なものがある。
『蜂城天神、天然記念物やまぼうし』の矢印にしたがって右折すると、道は桃畑の中をたどって雑木の中へと続いて行く。
蜂城天神への参道は、石灯籠がところどころに立ち、空き缶利用の灯明が木の技にぶらさがっていた。雑木の技越しには南アルプスの連峰が連なり、屏風のようにそそり立つ白銀に朝陽が射してピンクに染まっていた。

天然記念物『やまぼうし』はちょっと道からそれて一本だけ目立つ大木だった。別名『やまぐわ』秋には赤い実をつけるそうだ。
雑木に挟まれた道を辿ることしばし、石の鳥居をくぐる。つづいて同じような石鳥居がもう一つ、そこが蜂城山の山頂だった。
蜂城天神社の社殿はかなり荒れてはいるが、往時は見栄えのする社だったことがうかがえる。

社殿を一回りしたあと鳥居の下で眺望の時間。正面は奥秩父連峰。つづいて帯那山の背後に赤岳と阿弥陀岳が真っ白だ。甲斐駒・鳳凰三山・白峰三山までは明瞭であるが、塩見岳は頭部がちっょぴり、そして荒川三山、赤石岳と連なり、聖岳、上河内岳あたりは霞みに溶け込みそうだ。眼下には塩山市街が広がる。

天神社をスケッチしてから、社殿の裏手に回り山頂を後にする。 薄い踏み跡の道は心もとなく、しばらく行くと雑木の薮に踏み跡を見失う。行きつ戻りつしてかすかな踏み跡を見つけ、急降下するとすぐ小沢に出る。小沢沿いにやや下って今は廃業してしまった豚舎の敷地を通り抜けると、下の集落から上がって来る舗装道に出合う。この舗装道を奥へ進むと、山を切り開いた斜面に葡萄畑が広がっていた。
京戸支線と書かれた棒抗の分岐を左に取る。15分ほどで林道は終点行き止まり。堰堤の下で沢を渡って幼木植林地の山腹の作業道にとりついた。辛うじて道と分かる程の踏み跡は、育って来た植林樹に邪魔されてわかりにくい。2〜3年もすると道形も消えてしまうかもしれない。
勾配もきつく、足を置くとざれが崩れたりして快適なハイキングコースとは言い難い。一汗かいて尾根上にたどりついた。一本だけ伐採から免れた大きな松が立っている。さきほどの蜂城山が目の下になっていた。

茶臼山は尾根の鞍分を小さく下って、登り返した所にあった。  948メートルの山頂には自燃石に『大竜王』と彫られた碑が立っている。展望のないのが残念だったが、木漏れ日の中、散り敷いた落ち葉に座ってゆっくりと休憩をとった。
腰を上げて下山道と見当をつけた踏み跡を行くと、展望が開けて大きな景観が目に飛び込んで来た。奥秩父連峰、小楢山、乾徳山、黒金山、帯那山等その山塊の全貌が一望できる。南アルプスは霞ににじんで、かすかな陰影がそこに山のあることを示していた。

不明瞭となった道は捨てて、伐採跡の植林の斜面を一気に林道目がけてかけ下る。さきほどの京戸川林道まで降りて、あとはのんびりと桃畑の中を下って行く。
立寄った釈迦堂の遺跡博物館からは、奥秩父から南アルプスまで、のぞめるすべての山名がパノラマ図に記されていた。
釈迦堂サービスエリアの先で国道20号線を横切り、つま先上がりに一面の葡萄畑の中を勝沼駅へ向かった。

指導標もなく訪れる人もまれな隠れた展望の山。浅春を思わせる一日、ゆっくりと楽しいときの中に身を委ね、低山とも思えぬ満足感を味わうことができた。