追想の山々1405
●一ノ沢−−常念乗越−−−常念岳−−−常念乗越−−−横通岳−−−東天井岳−−−大天井岳・・・・大天荘泊 ●大天荘−−−赤岩岳−−−西岳−−−槍ケ岳・・・槍ケ岳山荘泊 ●槍ケ岳山荘−−−大喰岳−−−南岳−−−大キレット−−−北穂高岳・・・北穂高小屋泊 ●北穂高小屋−−−涸沢−−−上高地 |
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行程・・・でデータなし | 長野県・岐阜県 | ||||
横通岳・三等三角点 大天井岳・三等三角点 赤岩岳・三等三角点 槍ケ岳・二等三角点 南岳・三等三角点 | |||||
大糸線穂高駅下車。予約しておいたタクシーで一ノ沢林道終点で入った。夜の明けきった空は快晴。流れの傍で朝食をとり、水筒を満たして出発した。 常念頂上まで1600mほどの登りだ。石のごろごろした河原をしばらく進んでから樹林帯へ入った。沢筋に降りてひと息入れる。右岸に移ると勾配は一挙にきっくなってきた。 沢を離れてどんどん高度を上げていく。右手から支流が合する。ここが最後の水場、水筒を満タンにしてじぐざぐの急坂にとりつく。 カンバ林の中を一歩一歩、歩数を数えるようにして頑張る。ようやく傾斜がゆるみ樹林が切れて空が広くなる。せり上がってきた常念岳が目の高さに迫ってきた。乗越しまではもうひといき。 目にしみる汗を、手の甲で拭いながら足を運ぶと、突然草木が途絶えて土肌をむきだした広場となり、目を上げると「あっ・・・」と声を上げて後の言葉がない。 「着いたぞ。すごいぞ」常念乗越だ。 槍ヶ岳、大キレットから穂高連峰、胸の高鳴る景観だ。まだ朝9時前、ずいぶん速いペースだった。 荷物を常念小屋の近くにデポして、常念岳を往復してくることにした。砂礫の登りはすぐに岩の散在する急登となる。わずか1時間ほどの登りを何回も立ち止まって休まなければならなかった。 ようやく立った頂上は巨岩累々、周囲さえぎるものもない。登りの苦しさ を忘れて撮影開始だ。登ってくる人、下って行く人が行き交う。 十分に展望を楽しんだあと、再び常念乗越まで下る。ひと休みし今日の最終目的地大天井岳へのコースにとりついた。 最初の横通岳へ登りつくまでハイマツ帯300mの高度差はこれも足にこたえた。朝から延べで1900mの高度を登っている勘定だ無理はない。 横通岳からは明るく広濶な登山道が、ゆったりと延びる快適なプロムナードとなる。砂礫の中にコマクサが風に揺れている。可憐なツメクサの白い花もいい。 横通岳山頂下で、桃の缶詰を半分づつ分けて食べる。大天井岳まではまだまだだ。横になって昼寝でもしたい誘惑を振り切って腰を上げた。 「あっ、雷鳥」始めて目にする姿だった。 ヒナたちは母親を追って砂礫の斜面を元気よくころころと駆けていった。 東天井岳手前の鞍部に大きなお花畑が出現、さまざまな花が咲き乱れている。花名は知らぬも黄色 赤、白、・・・・・とりどりの色で目を楽しませてくれる。お花畑の先には堆積した雪が残っている。喘ぎながら雪とお花畑の間をゆっくりと抜け、登りついたピークに東天井岳を示す標柱がある。槍、穂高の展望がほしいままだった。振り返れば常念岳は遠く彼方になっていた。 コースが大きく右に回りこむと、その先に大天荘の建物が見えてきた。今日一日長い長い行程の終点である。 時刻は午後1時。宿泊の手つづきを済ませてから山荘裏の大天井岳頂上に立った。昨夏につづいて2回目の登頂である。 天をつく槍の穂先、南岳から削りとったようにして落ち込む大キレット、再びせり上がって聳える穂高の岩稜、遠く後立山の山々・・・。パノラマは常念に勝るとも劣るものではない。 ≪ 第二日目≫(快晴) カメラを手に、小屋の前でご来光を待っ。 空を焼くように真っ赤な太陽が上がる。光陰は山々を目覚めさせ色をよみがえらせた。陽光に顔を赤く染めて見入った。 排便がなかなかできない。最近はずっとそうした傾向があり、それが少しづつひどくなってきている。(実は4ケ月後、直腸ガンが見つかった) 排便は諦めて小屋を出発した。 今日の行程は7時間程で、のんびりと写真を撮りながら行くには丁度いい。岩礫のがらがら道を250mくらい高度を下げると大天井ヒュッテの建つ鞍部で、ここからは牛首岳の山腹をトラバース気味に上り降りしながら更に高度を下げたあと、お花畑から急坂を這い上がると、縦走路中最も景観に優れた稜線に飛び出した。朝陽を浴びて聳立する槍ヶ岳が目の前だ。 終始槍ケ岳を道連れにした雲上の遊歩道を行く気分はまさに最高の贅沢。振り向くと昨日歩いてきた山々が朝日の中に連らなり、殊に大天井の悠揚迫らぬ重量感は他を寄せ付けない。 楽そうに見えてもこの稜線歩き、結構登りおりがきつい。赤岩岳を越え西岳の肩を巻くようにつけられた登山道の途中に、このコース最大のお花畑が広がっている。 登山者が出払ったあとの西岳ヒュッテはひっそりとたたずんでいた。ここは槍ヶ岳撮影の絶好のポイント。写真集などで何回も目にした光景だ。白いダケカンバ、槍に向け一路高度を上げていく東鎌尾根、天を突き刺す穂先、山襞の残雪、目を引きつけて離さない。私達も「なんとか傑作を1枚」と力む。 水俣乗越まで200m余、鉄梯を頼ったりしながらダケカンバの中を急下降。登り返しを思うと何とも惜しい下りだ。足場を慎重に拾いながら水俣乗越に下りつく。 さあいよいよ東鎌尾根700mの登りだ。ゆるむことなく、ただ登りに登る一方のこの長い尾根を登りつめなければ槍の穂先に立てない。他の登山者もはぁっはぁっと息をはずませている。立ち止まって呼吸を整える登山者で、痩尾根は渋滞気味だ。 背中を太陽が照りつける。水がうまい。 森林限界を越えると、稼いだ高度が確認できる。 石畳を敷き詰めたように整備された道がヒュッテ大槍へ我々を導いてくれる。冷えたビールで喉をうるおす。うまい。汗の量に比例してうまさも倍増。大槍がど迫力で眼前に聳える。 肩に建つ槍ケ岳山荘は一投足の距離に見える。時間は早い、ゆっくり行こう。この先小屋までは平坦に見えて、実はまだこれがかなりの登りであることを認識する。15分か20分の距離に見えたのに、小屋まで1時間を要した。 槍の穂先にガスが去来している。天気が崩れないうちに登っておこうということで、小屋の前に荷物をデポして大槍の頂上に向かう。鎖やボルトなどで苦もなく登ることができるようになっている。おそるおそる登る女性や年配者にいらいらしながら頂上に立った。 ガスで視界は十分とはいかなかったが、表銀座縦走路などが目の下にあった。 夕暮れどき、落日に大槍、小槍が浮かび上がっている。常念岳が暮れなずむ空の下にある。大喰岳の先に前穂が少しだけ頭を覗かせている。 流れる霧の中に人の影を見た。手を振ってみた。影が動いた。ブロッケン現象だ。やった!ついに見たぞ。 ≪第三日目≫(晴れ) 今朝も上天気。 山荘の近くでご来光を待っ。大槍の穂先ヘライトの明かりが点々と続いている。頂上でご来光を見ようという人達だ。 徐々に明るくなって山々のシルエットが浮かんできた。常念山脈、後立山連峰、八ヶ岳、富士山・・・・そして大槍の右肩ら燃える太陽が昇ってきた。今朝もまた感動の一瞬である。居並ぶ登山者のシャッター音がいっせいに小気味よく響く。3000mからのすがすがしい朝の1時間、満ち足りと気分で朝食済ませると小屋を後にした。 今日は南岳から大キレツト、北穂に至る3000mの岩稜コースである。案内書によれば『大キレットは危険箇所が連続し、慎重の上にも慎重を期す必要があり、雨天等の悪天時には行動を控えること』と書かれている。多少緊張する。 小屋を出てわずか下ると飛騨乗越、標高三千メートル、日本一高いという峠で、ここからひと登りすれば本日最初のピーク大喰岳だ。なだらかな広い山頂に立つと、今まで大喰岳の陰に隠れていた穂高の岩稜が姿をあらわした。そして山荘からは見えなかった笠ケ岳や裏銀座の山々も朝日に輝いている。 一昨日常念、横通岳と歩きながら展望を楽しんだ穂高やこの大喰の山々を、今朝は逆にこちらから眺めている。ひとしお感慨が湧く。 いったんく下って、今度は中岳3084mのピークだ。もう槍が遠ざかり、その分穂高が近づいてきた。中岳には小さな雪田があって、手の切れるような冷たい水が雪の下から小さな流れを作っている。小休止にしてコーヒーをつくる。穂高、槍、常念、遠く鹿島槍Etc.三千メートルの展望を楽しみながら、何と贅沢なティータイ ムであることか。 次のピーク南岳へ足を進める。 心の浮き立つような楽しいプロムナードだ。 穂高はいよいよ迫ってきた。天狗池への分岐を過ぎ、のんびりとした広い山稜のなだらかな稜線は、3033mの南岳小屋で終りだ。 大キレットが鋭く足下に険しく切れ落ちている。これからこの剣の刃のような痩せた岩稜を辿っていくわけだ。更にその先にはとりつくすべもないような険阻な北穂の岩稜が待っている。 元気づけに南岳避難小屋で缶ビールを一杯やる。 いよいよキレットヘの下降入り口に立った。「気をつけていくぞ」と声をかける。 確かに厳しい、険しい。一歩足を踏み外せば命の保証のない奈落が待っている。油断はできない。しかし足場を一歩づつ慎重に行けば案ずるような危険は感じない。 からからと崩れ落ちそうな悪い岩場を、鎖に助けられてキレット北端に降り立った。約300メートル程の下降と思われる。ここから は擦れ違うこともままならないほどの、岩の痩せ尾根を登ったり降りたりしながらキレット南端へ。 どうやら無事たどりついた。そそり立つ滝谷の岸壁、次々と現れる岩場、撮影の好ポイントがいくらでもあるが、とてもカメラを構える余裕などなく、胸にぶら下げることすら危なっかしくてカメラはザックの中に入ったままだ。 キレット南端からは急激に高度を上げて北穂の山頂を目指すのだが、ここから見る山頂へのルートは、胸を圧する威圧感をもっておおいかぶさって来る。飛騨泣きと言われる悪場は体をこわばらせて鎖を握り締めたくなるような岩越えで、右前方には滝谷の切り立った岩壁が底知れぬ谷に落ち込んでいる。『鳥も通わぬ』といわれる滝谷の荒涼をこの目で見た。 鎖に身を委ね、埋め込みボルトに足場を求め、岩にへばりつくようにへつったりして、ようやく岩稜帯を終わり草つきの登りとなったところで緊張が解けた。 しかしこの草つき斜面は急峻で足場の石片は崩れやすく、そう簡単な登りではない。この上に山小屋が建っているなどと信じられないような思いで、喘ぎ喘ぎ登り詰めてようやく小屋の前に出た。 時刻はまだ11時、宿泊の申し込みは後にしてそのまますぐ上の北穂高岳頂上まで行って、過ぎてきた大キレットをしみじみと見入った。感慨が湧き上がってくる。 槍の雄姿は北アルプスの山々を従え、総ての山容の極みに吃立、盟主と呼ぶにふさわしい威厳をもって他を圧している。 時間的には奥穂まで十分に行けるが、この山行の楽しみの一つは北穂頂上からキレットを挟んでの槍の撮影であった。そのため時間は早いがここでじっくりと半日を過ごすことは最初からの計画だった。 イワヒバリが目の前で食べくずをついばんでいる。キレットを行く人影が点のように見える。常念、大天井、槍、そしてこの大キレット、3日間かけて歩いてきた山々が一望できる。よく歩いてきた。 常念のあの姿の良さはどうだ。 いつまでも頂上を離れがたかったが、一旦小屋の手続きをしてから、また頂上に戻り、夕食どきまで山頂にとどまった。キレットから槍方面にガスがかかってきた。どこから湧き出すとも知れぬガスは横尾尾根との谷いっぱいに押し出して来るが、丁度小屋の前まで来たところで上昇気流に乗って上空に立ち上がり、そこから先にはガスは1メートルも入りこまない。不思議な魔術でも見ているようだった。 奥穂、前穂が夕日に染まりはじめた。食事の用意が出来たと知らせがきたが、落日の写真を撮りたいので行くわけにはいかない。残照に染まった黄金色のキレットや、滝谷の岩壁がすばしらい。 再々呼びにこられ、「もう最後の組ですからすぐ食事に来てさい」という声に促されてようやく小屋へ戻った。 夕食はビフテキ、BGはクラシック。椅子、卓それに食堂の造りは民芸調。これにひかれて宿泊する客が多いと聞く。この夜も超満員ではちきれそうだ。4人でもきついと思われるひと桝に5人、さらに遅く到着する人があって、ひと桝に一人づつ追加されて、もう身動きもかなわないありま。足も伸ばせない。 いっときまどろんだが、すぐ目が覚めてしまってからもう眠られない。寝返りも打てずただひたすら朝の来るのを待つ。 こうしていとかえって辛い、外に出て暑さを冷やし、体を伸ばした方がいい。思いきって外へ出てしまった。 テラスに出ると、月が妖しいまでに煌々と照りわたり、蒼く聳え立つ槍ヶ岳の研ぎすまされた偉容は、不気味なほどに美しく、この世のものとも思えず目に焼き付いた。呆然たる面持ちで二人は長いことベンチに掛けて夜明けを待った。 ≪第四日目≫(晴れ) 本日も天気晴朗。 夜明けを待ち切れずに小屋を出て、撮影のため頂上で待機する。寒い。震えながら待つ。やがて頂上はアマ、プロのカメラマン、ご来光待ちの登山者で溢れる。 ようやく空を焦がして常念岳の上が赤く染まってきた。 奥穂、前穂、大キレット、槍、すべてが黄金色に輝く。太陽は常念岳の上から深紅に燃えて姿をあらわした。もうこれで私達は山を下りなければならない。見収めという思いで目を凝らして見入った。槍から遥か笠ケ岳の上空高く、早や秋を思わせる巻雲が筋を引いていた。 少し足を伸ばせば奥穂はすぐだったが、私たちは計画通り南稜を駆け下って、涸沢から本谷川に沿って横尾へ、梓川の川原で体を拭き上高地へと帰途につい た。(平成1年2月29日記) この記は3年半ほど前の登山を、思い出しながら書いたものです。 |