追想の山々1416  

スキーツアー 弓折岳(2588m)〜双六小屋 頂日1991.05.02―5 ツアー参加
新穂高温泉−−−ワサビ平小屋−−−鏡沢−−−弓折岳−−−双六小屋(泊)−−−弓折岳−−−ワサビ平小屋−−−新穂高温泉
行程  岐阜県 弓折岳 三等三角点
弓折岳から槍をのぞむ

≪5月1日・・・1日目≫
夜行急行アルプスで松本へ。
発車1時間半前、ホームはもう長い列、ほとんどが登山者たち。私の荷も大きいが、大半はそれ以上の大型ザックだ。スキー携帯もちらほら見える。スキーツアーは荷物が大きて大変だ。大物はスキーと靴。重い上にかさばる。ザックは20数キロ、非力な私には少々過重気味だ。そのほかにスキーを持つと乗り降りも難儀する。
スキー場のゲレンデで練習して来た山スキーであるが、いよ いよ本番の舞台、果たしてアルペンスキーのようにいくかどうか。
双六小屋オーナーの小池さん主催のツアーで、リーダーの後をついて行くだけだから気は楽である。以前双六小屋へ泊まったとき『年齢は50才に制限している』という話を聞いていたが、申し込み書を送ったら拒絶の通知もないので受けつけてもらえたようだ。申し込み書には『体力的には若い人と同じに行動できます』と付記しておいたのがよかったかもしれない。
参加者が若い人ばかりだったとしても、遅れて迷惑をかけるようなことはないという自信だけはあった。
気掛かは大陸から真冬並の寒波がやってくるという天気予報である。東京では半袖シャツ姿も目につくこの季節だ、心配するほどのこともなかろう。3年前のゴール デンウイークに穂高へ登ったときも、朝は雪がかちんかちんに凍ったが、日中は緩んでざくざくになってきたし、身に染みるほどの寒さではなかった。

≪5月2日・・・2日目≫
松本駅===新島々===上高地
汽車は満員だったがほとんど座れたようだ。
バス待ち時間に、河童橋付近でスケッチをする。雪が舞って寒い。昨日までは雪も消えていたというのに、一夜にして雪景色に逆もどり。観光客も寒さに震えて待ち合い室に身をすくめている。
3枚ほどスケッチしてから観光案内所の中に逃げ込んで、平湯温泉行きのバスを待った。

上高地(8.50)===平湯温泉(11.00)
雪で閉ざされていた安房峠はこの日が開通初日、バスは峠を越えて平湯へ向けて出発した。中ノ湯でチェーンをつけた。高度を上げるにつれて雪は激しくなる。やがて対向車との擦れ違いがうまくできないのと、スリップする車で渋滞が始まった。
今日はワサビ平小屋へ荷物を置いてくるだけの予定だから、多少バスが遅れても気にしないことにする。
吹雪の峠をようやく越えて、平湯温泉へ到着したのは1時間延着の11時だった。
新穂高温泉行きのバスは出た直後で、1時間も待たなければならな かった。
平湯温泉で降りた客の中にスキーを持った青年がいた。話しかけると今日はワサビ平までいくのだという。立山から薬師を通って双六までのツアーをやったりする山スキーのベテランだった。今回は双六から西鎌尾根を槍ヶ岳へ向かい、槍沢を滑降する計画だという。私が初めての山スキーで双六へのツアー参加したことを話すと、初めての人がこのコースにチャレンジするのは勇気があると褒めてくれた。それほどグレードの高いコースなのかと、少し心配になって来た。
バスは吹き付ける雪を切り裂くようにして、蒲田川沿いの道を走る。降り続く雪を見ていると、張り切って出掛けて来た気持ちがしぼんで行きそうだ。

新穂高温泉は人影もなく観光土産物店も開店休業の様子だ。
ザックを背負い、スキーを手に提げて左俣林道をワサビ平へ向かう。自動車通行止めのゲートを過ぎてしばらく行くと、林道に雪が積もっ ている。新しく降った雪だ。スキー靴に履き替えるのも面倒で、そのままジョギングシューズで歩く。スキーを提げる手が疲れて、ザックの上に載せる。これでザックは30キロを越えて、肩にずっしりと重みが加わる。
20分も歩くと自動車が3台ほど止めてある。その先は冬越しの雪が林道を覆っていた。ジョギングシューズだと滑って歩きにくく、 それに水がしみて来たがそのまま歩き続ける。
足首まで雪に埋もれる。初夏の5月、高山でもないのにこれほどの雪が降るなんて全く予想もしていなかった。標高の高いところは、きっと猛吹雪に違いない。
重荷の割りには早く、1時間10分でワサビ平小屋へ着いた。小屋には見覚えているオーナーの小池さんがいた。ストーブが赤々と燃えている。今日はとりあえず荷物だけここに置いて、明朝集合時間に間に合うようにもう一度登って来ることを説明し、身の回り品だけをナッブザックに移すと、すぐに小屋を出た。この天候だから、もし明日のツアーを中止するようなら旅館まで連絡をくれるよう打ち合わせをして、さらに雪の増えた林道を新穂高温泉へと下った。
新穂高温泉から中尾温泉までバスに乗り、そこからは旅館の迎えの車で郷ノ場へ投宿。長い一日だったような気がする。
熱い温泉に身を沈めて窓の外に激しく降る雪を見ていると、今回は山に登らずにこのまま帰ることになりそうな気がしてくる。

それにしても人工肛門による『洗腸』という作業がなければ、ワサビ平小屋まで登っておいて、わざわざまた戻って来て旅館に泊まるようなことをしなくても済むものを、これが私のハンディなんだ。明日早朝に洗腸したあとは、3日半洗腸できないのだ。食べ物もなるべく少量でカロリー のあるものとか、排便の少なくなる工夫をしてこの一週間ほど整えては来たが、やはり心配だ。

夕暮れどき、かすかに青空が覗いて気を持たせたが、ほんのいっときだけで後は止むことなく雪は降り続いていた。


≪5月3日・・・3日目≫
新穂高温泉(10.00)−−−ワサビ平小屋(11.00-11.30)−−−鏡沢2000メートル地点−−−ワサビ平小屋(14.45)・・・ワサビ平小屋泊

目を覚まして窓の外を見ると、温泉街は完全な銀世界に変わっていた。枝に積もった雪で木が傾いている。ひどい状況だ。今日の行動予定について電話連絡はまだない。いずれにしてもこの状況では登山は不可能と判断、ゆっくり洗腸してから出かけることにする。その後連絡が入り、ワサビ平の新雪は50センチ以上で、まだ降っているという。旅館の奥さんも「長いことここに住んでいるが、こんなことは記憶がない」という。雪の舞うことはあっても、二日も続いて降った上に、こんなに積もったのは初めてだと驚いていた。
旅館の主人が新穂高温泉のゲートまで自動車で送ってくれるという。ジョギングシューズで歩くのを気の毒がって、自動車の中にあったゴム長靴を貸してくれた。もういらないからワサビ平小屋へ置いて使ってもらってくれという。ご主人の親切に感謝、本当に助かった。

昨日は積雪のなかった林道の取りつき付近も、今朝はすっかり雪に覆われている。 幸いにも早朝からかなりの人数が通ったらしく、踏み跡がつけられて雪は深いがきのうより歩きやすい。今日は空身なので楽々とワサ ビ平小屋に到着する。
小屋に着くと「ツアーの人達は30分程前に新雪の練習をすると言って出掛けましたよ」ということだった。これから身支度して後を追っても、追いつくのは難しいかもしれないが、行けるところまで行ってみることにする。
スキーのトレールを追って急ぐと、小池新道入口で秩父沢に人影が見える。上方の相当数のパーティーが多分私の参加ツアーだろう。パーティーを目指して急ぐが、慣れぬスキーではなかなか近づけない。勾配が急になるとスピードも落ちる。この深い新雪では、帰りも格好よく滑り降りるというわけにはいきそうもない。昨日バスで一緒だった人と会う。やはり今日は登行を諦めて、足慣らしにここまできたとのこと。鏡沢の急斜面にかかると、一歩一歩が応える。細かいじぐざぐのキックターンを繰り返して高度を稼いで行くが、なかなか捗らない。稜線から沢を目がけて雪まじりの強風が吹き下ろし、目を開けていられない。しばらく顔をそむけて強風をやり過ごす。
ようやく鏡沢上部の平坦部へ達するところで、降りてくる一団に出会った。それがツアーの一行だった。私もここで合流して一緒に行動して下降する。あまりにも新雪が深くて、私の技量では滑降できない。斜滑降に時折直滑降を交ぜながら帰った。

ツアー参加者の中には私より年長の人が1名、女性でも中年以上と見られる人もいてなんとなく安心する。
この夜、悪天候で足止めされた登山者が多くて小屋は超満員。フトン一枚に二人という混雑となった。
ブナ林観察会の人達と同宿となり、夕食後スライド映写会が行われ、高山市の短大講師が軽妙な誇り口で解説するのが面白く、あっと言う間に1時間程が過ぎてしまった。白樺、岳樺、ぶな等の植生のことなど参考になることが多かった。
カラマツ、杉、桧などの単相林にくらべ、ブナなどの混合樹林がいかに豊かなものであるかという話も、またなるほどと頷けるものだった。

≪5月4日・・・4日目≫
ワサビ平小屋(6.40)−−−小池新道入口(7.00-7.45)−−−休憩(8.35-8.50)−−−鏡沢上部(10.00-10.30)−−−2520M地点(11.45-12.05)−−−弓折岳(12.35-13.40)−−−休憩(14.05-14.20)−−−双六小屋(14.45)

二日間にわたる季節外れの吹雪きは、昨夜ようやくおさまって、今朝は一転抜けるような青空。スキーにシールを張ったり、荷物の準備を整える。不要な物は残して荷物は少しでも軽くするようにと思ったが、残す荷物もたいして見当たらない。朝食を済ませてみんなより一足早く出発、小池新道人口でスケッチをしてみんなを待つことにする。

吹雪の後だけに空の青さが一層目に染みる。今日は行程も長いので焦らずにゆっくりと歩を進める。小池新道人口まで行くと、前方に抜戸岳から弓折岳が純白に聳えている。早速スケッチブックを取り出して立ったまま鉛筆を走らせる。次ぎ次ぎと登山者が通り過ぎて行く。スキーの人、つぼ足の人、単独行者、初老の夫婦、数人のパーティー・・・、広々とした雪原に登山者が点々と見える。好天を待って一斉に行動開始という感じである。
45分ほど待つとツアーのパーティーが到着。いよいよ登高開始となる。昨日一人で歩いたのに比べるとゆっくりしたペースで楽だ。雲ひとつない晴天に日焼けがひどいだろう。つぼ足の登山者は足が沈んで歩き憎そうだ。

双六小屋前にて、左方は鷲羽岳
広々とした緩斜面の雪原の途中でまず最初の休憩となる。背後に西穂高からジャンダルムあたりの岩峰が頭を覗かせてきた。このパーティ ーは20数人、女性も7人含まれている。15分程の休憩で出発。ペースはゆっくりだが、昨日の空身にくらべて荷物がある分今日はきつく感しる。鏡沢の狭い急斜面に取り付く。昨日も難儀したところだ。一息いれてから登りたいところだったが、休憩なしで斜面にとりついた。
急斜面の小刻みキッ クターンがいやで、今日はスキーをザックにくくりつけてつぼ足で登るこ とにする。外の人はスキーを履いて頑張っている。汗が流れて目に染みる。風邪を引いたのか喉が痛く、体調はもうひとつ不十分、いつになく疲労感が大きい。

ようやく急斜面を登り切ると、再び広い緩斜面となった。先着はここで休憩をとっている。私も荷物をほうり出してどっこいしょとザックの上に腰を下ろす。水筒の水がうまい。この汗だと小屋まで水を持たせるのが難しい。コップに雪を入れて水を加え、その雪を口に頬ばる。
最後尾との距離が広がってきたようだ。

30分の休懇で出発。最後尾で到着した人には、わずかの休憩にしかならなくて気の毒だ。あとは弓折岳の稜線まで、各自のペ ースて登るように指示される。
最初は緩い登りだったが、踏み跡もない広い沢状の斜面に取り付くと、かなりの勾配となり、先頭はトレールをつけながら進まなければならないので、体力の消耗が激しいようだ。傾斜がきつくなるとじぐざぐを繰り返すようになる。一人、また一人と座り込んで休憩する者が出て来るが、なんとか先頭の数人について登って行く。
振り返ると乗鞍から焼岳、槍ヶ岳まで見渡せる。

傾斜はいよいよ急になって、ひと足ひと足がつらい。休憩をとらずに頑張ったが、頂上直下の急斜面でついに休憩。このころからガスってきて、たちまち周囲の展望はガスの中に閉ざされてしまった。陽があたらなくなると急に寒さが襲って来る。先行者の姿も確認できない。トレールを頼りに頂上へと詰めて行く。足が重くまた休憩したくなるのを我慢して一歩一歩登って行く。スキーと靴で片足3キロ以上あるのだから、登山靴とは比較にならないのは当たり前だ。
やっと傾斜が緩み、その先100メートルほど行くと、そこが弓折岳の頂上だった。4人ほど先着していた。吹きさらしの頂上は寒さが身にしみてジャケットをまとう。ガスで展望はきかない。ここまで来れば、双六小屋まではたいした上り下りもない稜線通しのコースだと言うことでひと安心する。

遅れて後続がぼつぼつと到着する。一瞬ガスが切れて北方の視界が開け、目に飛び込んできたのは鷲羽岳や水晶岳、それに大きな山体の双六岳などだ。スケッチをと思ったときには、再びガスに隠れて二度と姿を見せてくれなかった。
全員の到着を待って出発。1時間以上も寒い頂上にいて、すっかり冷えきってしまった。

頂上から小さな登り降りを繰り返すが、そんな小さな登りでも疲れた足にはこたえる。何かにつけては立ち止まって足を休ませる。
ガスの中に数張りのテントが見えてきた。双六池のテント場だ。その先にぼんやりと双六小屋も見えてきた。ようやく着いた。小屋はまだ半分雪の中に埋まっている。
缶ビールが到着した人に配られる。寒風の中で早速喉に流しこむが冷たすぎて味がない。
スキーを外し靴を脱いでやっと解放感を味わう。1000メートルの高度差をスキーをつけて登るというのは、予想以上に体力消耗を要する重労働だった。これだけ苦労して登っても、下山が大滑降になればそれも報いられると言うもの、だがこの深い新雪ではとてもそうは行きそうもない。せめて明日はいい天気になって大展望だけでも十分堪能したいものだ。
小屋は昨日よりゆっくりできそうで助かる。建物は雪の壁に囲まれているので、中は薄暗く陰気な雰囲気がただよう。

夕方から喉の痛みが強くなり、いくらか熱も出てきたらしい。どうやら本物の風邪の気配。真冬も風邪ひとつ引かずに過ごしてきたのに、こんなときに熱を出すとはなんたることか。上高地で寒い中スケッチ をしたのがいけなかった。
パーティーの女性から風邪薬を分けてもらった。この調子だと明日みんなと行動するのは無理かもしれない。それにこの体調で連休最終日の夜遅く帰宅して、翌日から出勤というのも心配だ。一応明朝の体調を見てから行動を決めることした。天気さえよければ一人で下山するのに不安はない。どんな斜面でもスキーで降りる自信はある。
ありったけの衣服を書込んで早めに布団にもぐりこんだ。

≪5月5日・・・5日目≫
双六小屋(7.45)−−−弓折岳(8.50-9.00)−−−ワサビ平(10.50-11.05)−−−新穂高温泉(11.55)===バスで平湯、上高地経由松本へ

期待どおりの快晴で夜が明けた。体調が優れずご来光を見に外へ出るのも面倒くさい。ツアーの予定は三俣蓮華から黒部源流までの往復となっているが、 私はこのまま下山する旨申し出る。
小屋の外に出て見ると鷲羽岳が目の前に純白の衣をまとって聳えてていた。

朝食を済ませてから樅沢岳の途中まで登ってみた。ここまできたのだからせめて樅沢岳か双六岳に登っておきたかった。
スケッチブックとカメラだけ持って出かける。早立ちの登山者がスキーをザックにつけて樅沢岳目指して登って行くのが見える。槍ケ岳へ向かう人たちだ。
滑落に注意しながら危なっかしい足取りで登って行く。鷲羽、双六、抜戸、笠ケ岳が間近い。アイゼンを装着していないので、急斜面の頂上は危ないと判断、肩までにしておく。ここでスケッチをする。寒風に鼻水が垂れて来る。仲間のツアーが双六岳へ登って行くのが見える。

小屋に戻って荷物をまとめ、一人下山にかかる。
疲れが残っており体調も不十分、足か重い。弓折岳の稜線に出るとすべてを忘れるような大展望が待っていた。槍ヶ岳から穂高、焼岳、乗鞍、遥かに加賀白山。双六、三俣蓮華、鷲羽、野口五郎。雲ひとつなく晴れ上かっているが、風が強く気温は低い。スケッ チを済ませて弓折岳へ向かう。昨日は1時間50分もかかったところを、1時間で弓折岳まで来てしまった。大展望を楽しんだあと、シールを外していよいよスキー滑降である。

降り口は急斜面の加えて深い新雪でとても滑れる状態ではない。斜 滑降で慎重に滑り降りる。新雪の中で転倒すると、体が沈んでしまい起き上がるのが一苦労。もがきながらようやく立ち上がると、がっくりするほど体力を消耗する。そんなことを2,3度続けると疲れきってしまう。できるだけ転ばないように注意して慎重に下って行く。
少し下ると今度は雪の表面だけがクラストしている、いわゆる“もなか”といわれる最悪の雪面、斜滑降〜キックター ン、斜滑降〜キックターンの繰り返しで下って行く。大滑降の楽しみなどどこへやらだ。  本来ならば雪も締まり、ざらめ状の斜面を軽快に降りられるはずなのに残念。

無事鏡沢上部の緩斜面まで降りてひと安心する。しかしまだ私の技術では滑るというところまでいかない。
大ノマ乗越側の斜面に出て、やっといくらか滑りを入れた下降が可能になったが、それもつかの間、その後は相変わらずのもなかにうんざりする。
双六小屋から3時間でワサビ平に到着。登りは8時間近くかかったことを思えば大変な違いだ。もし雪の状態がよければ、あと1時間以上早く降りられたと思う。
小池さんに先に下山したわけを説明すると、スキーと靴は後で宅急便で送ってくれるという。それに風邪薬をいただいたり、親切がありがたく身にしみた。スキーを持っていたら混んだ汽車など大変な思いをするところだった。

一昨日新雪に覆われていた林道も、ところどころ土が見え、下の方は雪は完全に消えていた。積もったとはいえやはり春の雪だ。
新穂高温泉に着くと平湯温泉行きのバスが発車寸前、それに飛び乗って平湯乗り換えで上高地へ。
上高地のバスターミナルは沢渡、島々方面へ帰る観光客や登山者 でごっがえしている。バスもタクシーもいつ乗れるか見当がつかない。ククシー待ちの列に並んでいると「一人か二人の相乗りを探しています」という呼びかけに早速便乗、長蛇の列を尻目に上高地をあとにした。汽車も混んで新宿まで立ち詰めだった。
何十年に一度という季節外れの寒波、引いたこともない風邪の不運、不本意なスキー山行に終ってしまったが、これで山スキーなるものがどういうものか体で理解、次は単独で出かけることもできそうだ。いい体験となった。