山行報告六百山

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六百山=ろっぴゃくざん(2450m)

長野県 2003.09.23 単独行 マイカー
コース 自宅(2.45)===沢渡(4.20-5.10)==バス==上高地(5.35-5.45)−−−六百山(8.30-45)−−−上高地(11.30)
ガラ沢の急斜面は見た目よりはるかに急です
六百山は上高地河童橋から仰ぎ見る岩山。霞沢岳北側に聳え、登山道のないバリエーションルートへの挑戦です。緊張しっぱなしの登山でした。
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北アルプス未登のピークを拾い歩いているが、この六百山もそのピークの一つ。霞沢岳と稜線続きの山で、以前は六百山も霞沢岳も一般登山者の登れない山と言われたが、その後霞沢岳の方は登山道が拓かれ、今は地図にも載って誰でも登れる山になった。
ところが六百山はいまだに登山道が拓かれていない。
そんな山に自らの力量も顧みずに挑戦してしまった。無理なら途中で潔く引き返すつもりだったが。

インターネットなどで役立ちそうな資料を漁ったが、残雪期のものがたった一つ見つかっただけで、参考になる内容のものは見つからなかった。自力で登るよりほかはない。
登山道のない山と言われていても、訪れてみると結構登山者が歩いていて踏み跡もあり、意外に苦労なく登れることが多い。六百山も多分それと同じだろうと思った。

上高地でバスを降りると指導員のおじさんがいた。六百山への取付きを尋ねると、私のいでたちをじしろじろと眺めながら「無理だ。、やめておきましょう」と、こともなげに言われてしまった。登山道もない岩山に、ジョギングシューズ姿の年寄が、何を血迷ったかと思ったのだろう。登れる山ではないとか、何回か登った経験者が一緒でないと無理だとか、くどくどと言うだけで、取付きさえ教えてくれなかった。
身なりもあっての上の忠告だっただろうが、確かに難しい山であることは登ってみて実感した。

河童橋前の5千尺旅館から下流側へ50メートルのところに車道ほどの幅のある道らしきものがある。ここから登山コースとなる中畠沢へ入って行く。腰ほどの草をかき分けて薄い踏跡を行く。堰堤を一つ過ぎ、その次の堰堤までは踏み跡は比較的しっかりしている。その堰堤には土石流の観測施設があり、管理のための往き来があるからだろう。右端にあるハシゴを登って堰堤に上がり反対側から沢へ降りる。
観測用の赤い感知鉄線の張られた薄暗い沢を上って行く。上高地から30分ほど歩いたところで沢が広くなって急に明るくなる。礫岩に埋め尽くされた沢が、はるか上まで見渡せる。それほど急勾配には見えないが、歩いてみると相当なものだ。
左手から枝沢が二つ入っているが、それは無視して広い本沢を詰めて行く。
安定した礫岩は一つもないと言いたいほど不安定な状態で積み重なっている。最初は右岸寄りの歩けそうな潅木の中などを拾って行く。ガラ場に出ると不安定な石に一歩一歩気を抜けない。地にしっかりと座っている石などない。4つん這いになって慎重に確かめながら足を進める。

六百山山頂と三等三角点(背後は西穂)
頼りになる潅木の途切れたところでガラ場を直登。傾斜はかなり急になってきた。石に足を置くと、周囲の石も誘ってがらがらと崩れる。岩雪崩れでも起きたら、そんな不安に襲われれる。振りかえると上高地が遥か足下となり、穂高岳が競りあがってきた。
ガラ場はさらに傾斜を強めて直登する気にはなれない。上部で沢が二俣に分かれているのが見える。右の沢を取って尾根に出た方がよさそうに思える。
ガラガラの急沢を逃げるために樹林に入ることにした。右岸には逃げられる樹林はない。慎重にガラ場を横切って左岸の樹林へ逃げこんだ。樹林へ入ると、かすかに踏跡か獣道らしき跡があって何とか歩ける。多分昔の登山道跡のように思われる。以前はけっこう登山者があったのかもしれない。このまま沢を詰めて稜線へ出ればルートははっきりするだろという期待もあった。
ダケカンバ林の草の道を左寄りにルートを変えながら、慎重に上へ上へと目指して行く。

樹林がコメツガに変わってくると、踏跡らしいものも分かりにくくなってきた。踏跡なのか、あるいは単なる空間なのか見当がつかない。右か左か、あとは勘頼りで進む。すると踏跡らしいものが目につく。帰りのために迷いそうなところには赤布を残して行く。行きはよいよい帰りにルートを見失って苦労した経験が何回かある。この下りも多分苦労しそうだ。地形や特徴を出来るだけ頭に叩き込む。

尾根を正直に登って行ければルートファインディングの苦労はないが、この岩山はそうはいかない。岩を避けるように微妙に方向を変えながら進んで行かなくてはならない。突き当たった岩の壁は左方へトラバース気味に進み、沢状の草つき急斜面を喘いで、小さなピーク風の頭に立つと、ようやく六百山のドーム状の岩峰が姿をあらわした。どうやってあれを登るのだ、そんな風に見える。
小ピークからハイマツを漕いで小さな吊尾根状の稜線を渡り、さらに分かりにくいコメツガなどの中をルートファインディングがつづく。20本用意してきた赤布を使いきってしまった。この山を少し甘く見過ぎていたようだ。

再び大きな岩の壁に突き当たった。左手の一部草つきに取りついて見たが、一段上がったところでそれ以上進めない。今度は右へ少し寄った足がかりのあるところへ取付いてみた。何とか一段は上がれたが、その先は怖くてダメだ。落ちたら無事では済まない。あの世行きだ。この岩を登れば山頂は目と鼻の先、残念ながら退却か・・・・諦め気分でもう一度草つきの左手を観察して見た。岩場のさらに左手にダケカンバの小ぶりの木が何本か立っている。それを手がかりにすれば何とかなるかもしれない。しかしそこは絶壁同然の斜面、滑ったら終りだ。それに大股でそちら側へ移動することが出来るかどうか。10メートルザイルを携帯しているが使う方法がない。
こうなれば度胸、岩場の小さい手がかりを頼りに、精一杯足を開いて渡ることができた。木の幹にしがみつきながらサーカスもどきに稜線へ這いあがると、そこには比較的はっきりとした踏跡がある。六百山はもう目の前、その稜線続きには霞沢岳が大きな山体を横たえていた。
最後にハイマツ漕ぎとなったが、以前は登山道として整備されていたのか、その下には明瞭な道がついていた。ハイマツを抜け出すと三等三角点の山頂だった。つまずいたり滑ったりして何回転んだことか。良くここまで来ることができた。そんな感慨が湧いてきた。この山の頂きに立つのは年間通して何人くらいいるだろうか。ごくしれた数だろう。途中道標はおろか、目印の赤布やテープのたぐいもほとんどゼロ、古い赤テープ1ヶ所、トラロープ1ヶ所が目についただけだった。訪れる人もごく稀と思われる山頂にしては、三角点は頭の角が欠けて少し傷んでいた。

天候に恵まれて展望は絶佳。
六百山より穂高吊尾根を見る
巨体の霞沢岳が素晴らしい。前穂、奥穂、西穂が眼下の上高地を挟んで絵のような眺めだ。蝶、常念岳は藍色のシルエット、高さにおいてほとんど同じ焼岳だがここより低く見える。大正池はいまや池ではなく川と化しているのがよくわかる。赤い屋根は帝国ホテルだろう。
展望を楽しみながらも、無事下山出来るかどうか、登頂できた安堵感より、これからの不安の方が大きい。いつもなら山頂で軽くおやつを食べたりしてリラックスするのに、まったくそんな気にはなれない。水を一口飲んだだけだった。
苦労した山頂にもかかわらず、たった15分で下山にかかってしまった。落ちついていられないのだ。

苦労した岩場を何とかクリアして基部へ降り立ち、やれやれと思ったのが油断だったのか、いつのまにか歩いた記憶のないところをどんどん下っているのに気がついた。慎重に慎重にと言い聞かせながら歩いていたのに、どこで間違えたのか、急斜面を登り返して登ったときのコースを探すが、どうしてもこのルートという確信がもてない。下手をして岩場に出てしまったら・・・・不安が膨らんでいく。右へ行ったり左へ行ったり、探し歩くうちにつけてき赤布を発見した。鬼の首でも取ったように嬉しかった。これが最後の布をつけた場所だ。この先からは分かりにくいところには布があるはずだ。少し気が楽になった。
しかしそのあとまたルートを外してしまった。踏跡なのか、獣道なのか、あるいは単なる雑木のまばらになった空間なのか見分けがつかないまま、登りとは違うルートに入ってしまった。下りの難しさを痛感しながら行きつ戻りつし、地形を確認すると、どうやら一つ手前の沢へ降りようとしているのに気がついた。藪を漕いで見覚えのある支尾根を目掛けて行くと、登りのときに目にした片方のアイゼンが木にぶら下がっているのが見えた。ここも運良く正規のルートへ戻ることができた。
あとは間違えることなく、ガラ沢へ出たときは心底ほっとした気分になった。

考えてみればここは岩山そのもの、間違えたと言って、何とかなるだろうとか、目途もなく強引に下ったらとんでもないことになる。赤布とアイゼンに助けられ、ほんとうにラッキーだったと思う。

しかしまだ厄介なガラ沢の下りが待っていた。登り以上に怖いガラ沢の下りは、慎重の上にも慎重を期して足を運んだ。途中崩した石が他の石を誘って沢を転げて行くときには、沢全体が反響、その大音響は沢全体が崩れたのかと思うほどで肝を冷やした。
無事堰堤まで下ったところでようやく緊張から開放された。そのとたん喉の渇きとお腹の空いたのを感じ、ザックを下ろしてどさっと座りこんでしまった。山頂以外の始めての休憩だった。そこから上高地までは10分ほどだった。

山歩きの経験だけはあるものの、基礎的な登山技術や知識を教わったこともない非力な私が、ろくな資料もないこの山を、よくも単独で登りおおせたと思うと、あらためて感慨が湧いてくる。
笈ケ岳、カムエク、佐武流山など登山道のない(なかった)山は、相応の緊張はあったものの、入山者はけっこう多かったし、資料もあった。六百山はそれとは異質の、胃のきりきりするような緊張を最後まで背負っての登山だった。

一般登山者にとっては大変むずかしい山であることは間違いありません。翌日もう一度登ったとしても、登りはまだしも、間違わずに下山出来るかどうか自信はありません。
「あんな爺さんが単独で何とかなったのだから」なんて思わないで、入山するときは最大限慎重を期してください。

インターネットにもほとんど資料が見当たらなかったので、役に立つ記録を公開しようと思いましたが、複雑なルートファインディングと、それをいちいちメモしていく余裕がありませんでした。記憶だけでは役に立つ山行記録を綴ることができなかったのが残念です
 
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