情報科学のあれこれ(19) 

複雑系(その1) 複雑さに対処するためのコンピュータ科学とネットワーク科学

  我々が生活している地球規模の社会は人間だけでも60億人が生存する複雑な社会である。
我々はこの複雑な社会の一員として影響を受け、また影響を与えながら生活している。こ
の複雑な社会の仕組みを少しでも理解することは、その中で生活する際の知恵を増してく
れるものと思われる。例えば、1918年には7ヶ月かかったスペイン風邪の全世界的な流行
が、今盛んに危惧されている新型インフルエンザでは、航空機を含めた交通のネットワー
クの発達によって、極めて短時間で世界中に蔓延すると言われている。では時間的余裕は
いくらあるのだろうか。
  では、これから始める複雑系そのものの勉強に先立って、複雑な現象に対してコンピュ
ータや情報通信などのネットワークがどのように関わっているかを勉強しよう。

1.コンピュータ科学技術の進歩による新しい研究手法
(1)第3の研究手法としての計算科学
    1)コンピュータグラフィックス技術等の進歩と計算科学
        計算科学とは、従来理論と実験しかなかった自然科学や社会科学などの課題の研
      究を、コンピュータの優れた計算力を利用して行う学問分野である。
        この計算科学はコンピュータ技術の高度な進歩によって初めて可能になった。即
      ち、コンピュータの高速化やその記憶容量の増大などによって、コンピュータで大
      量の計算を高速で行い、その結果を時々刻々画像で表現することが可能となったこ
      とによるのである。
        計算科学には欠かせない静止画像や動画像を表示するためのコンピュータグラフ
      ィックス技術(CG)については、マルチメディア技術の一環として第3編でも若干
      触れたが、その進歩を振り返り、計算科学で使われるCGのうちのサイエンティフィ
      ック・ビジュアライゼーション技術(Sci-Vi)を概観してみよう。一般にCGという
      とバーチャルなキャラクターなどによるアニメーション画像を思い浮かべることが
      多いと思われるが、Sci-Vi はこれとは別で、自然科学や社会科学の現象などをコ
      ンピュータでシミュレーションして可視化して調べる技術である。これは1986年に
      米国科学財団(NSF)が米国情報処理学会に「高度化する科学技術計算への対応、
      そのためのビジュアライゼーションの応用について」の提言を求め、1987年夏に
      「科学計算における視覚化」という報告が出されて開発の方向性が固まり、急速に
      進歩してきた。
        コンピュータ処理して得られた結果をディスプレイ上に表示するために必要なデ
      ータ量は、日本語の文字の場合、1字は2Byteの16bit(厳密に言えば文字の占め
      る外周の四角部分のRGB画素数で、文字の大きさによっても変るがこれは16bitのデ
      ータから自動的に得られる)である。一方、画像はディスプレイ上一杯に表示する
      場合、通常の画面表示の800×600ピクセル(画素)でも、48万個のRGB画素数のデ
      ータが必要である。変化を見る場合の動画では毎秒30画面以上が必要となり、文字
      の表示に較べて桁違いに多くのデータ量が必要となる。Sci-Viを可能にしたのは、
      先ずこのような大量のデータ処理を短時間で行うことを可能にしたコンピュータの
      高速化であった。
        Sci-Vi では、固体や流体の流れなどのデータを離散化してコンピュータ内でモ
      デル化し、例えば固体にかかる力と変形の関係式や、固体とその周辺の流体の流れ
      を表わす微分方程式などを解いて、結果を可視化してディスプレイに表示する。そ
      の際の要素技術としては、コンピュータ内で平面の図形や立体をデータとして持つ
      ためのモデリング技術、方程式などを解くための数値計算技術、結果を目に見える
      形で表示するための可視化技術などがある。
        例えば、モデリングをする場合、平面上の代表的な3点を通る自由曲線を表示す
      るだけでも、曲線の性質を指定して線上の各画素の位置を計算するという大量の計
      算が必要となる。更にモデルの物理量の変化を数値計算で求め、それを時々刻々デ
      ィスプレイ上に表示するには、非常に大きなコンピュータの計算力を必要とする。
        以上のような処理をするためには、ハードとしては高速に処理できるMPUと、大
      量のデータを保持しかつ高速に入出力できる半導体メモリと、バックアップするた
      めの高速大容量のハードディスクと、それらの間で高速にデータをやりとりできる
      バスが必要である。更にそれらが安価に使用できなければならない。
        それに加えて、関係方程式を解くためのソフトウエアや、可視化するためのソフ
      トウエアの開発も必要である。1980年代の後半から90年代にかけて、このようなコ
      ンピュータ技術が揃って計算科学が実用化できるようになった。
        以上のようなコンピュータ技術の進歩は、計算科学だけではなく複雑系全般の研
      究にも大いに役立っている。これについては内容が膨大になるので、次編以降で改
      めて説明しよう。
    2)計算科学の応用分野
        計算科学は計算数理学と計算機実験学とに分かれるが、ここでは理論、実験に次
      ぐ第3の研究手法として近年実用化された計算機実験を勉強する。
        計算科学のうちの計算機実験は、コンピュータを用いて自然や社会の諸現象、特
      にその中の複雑な現象を解明するもので、前述したようにコンピュータの処理速度
      やグラフィック機能の向上などにより可能となったものである。その中味としては、
      @ 計算流体力学
      A 計算力学
      B 計算理論化学
      C 計算物理化学
      D 計算物性物理学
      E 計算固体物理学(ナノテクサイエンス)
      F バイオシミュレーション
      などがある。これらは理工学の分野であるが、社会科学の分野でも経済予測などの
      シミュレーションに威力を発揮している。これらの中には従来解析できなかった問
      題を解明したものも多い。

(2)計算機実験の実際
      これらの計算機実験を全部説明することはできないので、前項の@の計算流体力学
    について説明しよう。それには先ず流体力学の理解が必要である。流体力学は以前か
    ら水をポンプなどで送ることや、川の流れを制御するために堤防を造ることや、船の
    速度を上げるため船型を決めることや、航空機の飛翔の解析などのために幅広く研究
    されてきた。その基本の運動方程式はナビエ・ストークスの微分方程式である。この
    式は例えば水路に模型を置いて水の流れる様子を求めるような場合、次のような2次
    元の連立偏微分方程式となる。

    各記号の意味は以下の通りである。
      u :x方向の流速 (x,y,tの関数)
      w :y方向の流速 (x,y,tの関数)
      p :流体の圧力 
      ρ :流体の密度
      ν :動粘性係数  μ/ρ   μは流体の粘性係数
   

      この式の左辺は慣性項で、左側から2項目と3項目は非線形性の影響を表わす項で
    ある。右辺は左側から圧力項、粘性項、外力項である。
      この式は偏微分方程式であるので、境界条件を与えて解かなければならない。例え
    ば水路の岸の影響を避けるためには水路の幅を無限大に仮定し、模型の影響を入れる
    には模型の表面に接する流体は粘性のため流速0と置いて解いていく。しかし、ごく
    限られた場合以外はこの式を数学的に解くことは困難である。もし数学的に解けたと
    しても、流速はx,y,tの関数であるから、ある時刻の流速を計算してその方向と大き
    さを矢印と数字で表わし2次元配置で並べてみても、見ただけでは流速の分布を理解
    することは難しい。分かり易くするためには矢印とともに速さごとに等高線などを記
    入して色分けしなければならないであろう。非定常な流れになると、時々刻々変るこ
    の配置図を作って並べて比較しなければならない。
      そのため従来の流体力学の研究では、風洞や水槽や水路で模型による実験を行い、
    模型によって生ずる時々刻々の流体の流れを撮影して観察し、また模型に及ぼす抵抗
    等を測定して、流体の運動の状況を求めることが中心であった。
      計算流体力学はこれらの解を実験によらずコンピュータ上のシミュレーションで求
    めようとするものである。これについては、複雑な流体の動きや圧力をコンピュータ
    で数値計算して求めるアプリケーションソフトウエアが色々と開発されている。これ
    では計算結果をコンピュータで可視化処理して、流速の大小などを色の変化としてデ
    ィスプレイ上に流れを表示する。一例として、野球での魔球の周りの空気の流れや、
    室内空調や屋外環境での空気の流れ、堰における水の流れなどを解析した結果をAVS
    という可視化のソフトウエアで表示させた画像をハイパーリンクで示そう。
      後者で使われているSTREAMというソフトウエアは解析用で、ソルバーと言われてい
    るものである。
      計算流体力学では、対象とするモデルを要素に分割し、要素ごとの節点の変位や働
    く力などを定義して、次にナビエ・ストークスの偏微分方程式の微分係数を、隣接す
    る要素の節点における変数の勾配とすることで離散化して、偏微分方程式を連立一次
    方程式に変換し、それを解いて答えを求める。物理現象を表わす連立一次方程式の係
    数は一般に疎のところ(係数がゼロのところ)が多いので計算量が少なくてすみ、何
    百万元という大規模な連立一次方程式でもコンピュータを使って比較的容易に解くこ
    とができる。
      この計算流体力学は今までの物理学や工学の研究手段である理論と実験に加えて、
    第3の研究手段を提供したものとして意義のあるものである。
      以上説明したモデリングをして、コンピュータでシミュレーションして解を求める
    手法は、自然科学の分野だけでなく、社会科学の分野、例えば工場における生産シス
    テムの改善などにも使われ、極めて広い応用分野を持っている。

2.ネットワーク科学
(1)ネットワークの形態とその働き
      ネットワーク科学はグラフ理論(点と線からなる図形の性質を解析する数学理論)
    から発展してきたものであるが、今日では世界的なネットワークを構成している電気
    通信網が日常的に利用されていることもあって、身近なものになってきている。
    世界には60億人の人間を結ぶネットワークがある。このネットワークはまず国家間の
    大枠のネットワークで結びつけられ、国家の中は、中央の政府、地方の公共団体、企
    業、学校、更に家庭などがあって、それぞれがネットワークで結ばれている。そして
    それらの中に個人がおり、最終的には60億人の個人がそれぞれインターネットや電話
    や郵便などの通信ネットワークで結ばれている。モバイルコンピュータ時代になって
    今やどこにいてもいつであってもこの結びつきが機能するようになった。
      このネットワークは、ではどのような形で60億人の個人を結びつけているのであろ
    うか。見知らぬ人にインターネットを通じて連絡しようとするときでも、メールアド
    レスさえ分かれば、郵便の場合のように住所など特別の意味をもつ情報を与えなくて
    も通信することができる。インターネットでは、AからBへ通信する経路は無数と言っ
    てよいほど多数存在するが、システムは迷うことなく殆ど瞬時にそれらを繋げる。そ
    こにはインターネットというネットワークの機能が、極めて多くのノードをうまく秩
    序づけていることが覗われる。
      このようなことから、インターネットのようなネットワークは従来の古いネットワ
    ークとは異なる、複雑ネットワークの機能をもつものとして取り扱う必要があると考
    えられるようになった。更にこの複雑ネットワークは単に情報を伝達するだけではな
    く、例えば脳の神経のネットワークのように思考することや感情を引き起こすような
    働きも持っている。しかし、この働きの仕組みには未知のことも多いので、この編で
    は触れない。
      従来の古いのネットワークはいわゆるグラフ理論による古典的ネットワークとも呼
    ばれるもので、これには規則的ネットワークとランダムネットワーク中の一部が該当
    する。一方複雑ネットワークにはランダムネットワークの中で特別の性質をもつスモ
    ールワールドやスケールフリーなどのネットワークがある。では先ず古典的ネットワ
    ークについて調べてみよう。

(2)古典的ネットワーク
    1)規則的なグラフとそれに対応したネットワーク
        規則的なグラフには、完全グラフと格子とサイクルと木がある。
      完全グラフとは第1図のように各頂点が他のすべての頂点との間に1本づつの枝を
      もつグラフである。この場合枝の数mは、頂点の数をnとするとn(n-1)/2となりnが
      増えるとmはnの2乗のレベルで増えていく。これには通信システム中では中小規模
      のイーサネットが該当している。それではグラフの頂点に相当するすべてのノード
      が他のすべてのノードと直接通信することができる。ただし、1本のバスを共有し
      て使うため、同時には通信できない。しかし、現実の大規模なネットワークでは第
      1図のようなものを構築することは困難である。せいぜい部分的に完全グラフとな
      るところがある程度であろう。
        格子は2次元の場合は平面上に規則的に並んだ頂点からなる第2図のようなグラ
      フである。これには碁盤目状や三角格子などがある。3次元以上の場合は上下左右
      だけではなく奥行きを加えて碁盤目のように結ばれたグラフである。これを超立方
      格子といいi次元の場合はi次元超立方格子という。


        サイクルというグラフは頂点を円環状に並べて、第3図のように隣同士とだけ枝
      でつなぐグラフである。トークンリングはこの形式の通信ネットワークである。次
      の木は一般的に使われるグラフの一つである。規則的な木グラフは1つの根と言わ
      れる頂点から決められた数の枝を出して他の頂点と結び、その頂点からも決められ
      た数の枝を出して、まだ結ばれていない頂点と結んでいくという第4図のようなグ
      ラフである。但し、新しい枝が古い頂点につながることや、新しい頂点同士が合流
      して一致してしまうことはない。


    2)ランダムグラフとそれに対応したネットワーク
        一般的なランダムグラフでは各頂点から出す枝の数は変る。このランダムグラフ
      では例えば第5図のようなものが考えられる。このグラフはたまたま頂点が持つ枝
      の数が1本から4本までのすべてものを含むものとなっている。


        第6図の例は頂点の数が4のグラフで、頂点がもつ枝の数によってパターン毎に
      分類して例示したものである。このグラフには、ランダムグラフと(a)(c)ような規
      則的なグラフが混在している。


        第6図のパターンの類型は枝の数によって分類されており、6から0までの7通
      りがある。各類型に属するパターンの数は枝の数をmとすると最大の枝数6の中か
      らmを選ぶ組み合わせ数、即ち
              
      となる。パターン数の合計は64で、即ち異なるグラフは64通りとなる。これは2の
      6乗通りであり、グラフのパターンの数は頂点の数が増えると急速に増え、頂点の
      数が5個になると2の10乗通りの1024通りとなる。このことからもこのような枝の
      数に制約がないグラフに対応したネットワークでは、ノード(グラフ理論での頂点)
      が多くなると極めて複雑なものになることが分かる。実際のネットワークでは枝の
      1本もないノードは意味が無いので、現実に使用するのは各ノードが必ず1本以上
      の枝をもつ第6図の(a)(b)(c)と(d)の中で斜めの線の代わりに点線のような枝を持
      つネットワークのうち、効率の良いものはどれかということになる。
        一方生起確率を見ると、各頂点のペアが確率pで枝を設け、確率(1−p)で設けな
      いとすると、第6図の各パターンができる確率は第1表のようになる。


        第1表でpを1/2にとるとすべてのグラフの生起確率は同じになり、第6図のグラ
      フにおける各パターンの生起確率はそれぞれ1/64となる。このグラフの中には第6
      図の(a)のように完全グラフや(c)のような格子またはサイクルを示す場合も含まれ
      るが、これらの規則的なグラフの生起確率はnが大きくなると共に極めて小さくな
      り、大部分はランダムネットワークとなる。
        複雑ネットワークが研究されるまでは、世の中に存在する例えば郵便のネットワ
      ーク、友人関係のネットワーク、感染症の伝染経路のネットワークなど、大部分の
      ネットワークは第6図を大規模化して各パターンが入り混じっている一般的なラン
      ダムさをもつグラフに対応したネットワークであると思われていた。

(3)複雑ネットワーク
    1)ネットワークの特性を表わす指標
        複雑ネットワークの考察に入る前に、ネットワークの特性を表わす指標として、
      グラフ理論の平均頂点間距離(へだたり度)Lと、クラスター係数Cについて説明し
      よう。
        頂点間距離は2頂点viとvjで、viからvjへ行くため通らなければならない枝の最
      少の本数である。平均頂点間距離Lとは頂点間のすべての組み合わせにおける頂点
      間距離の平均値である。これの最小値は完全グラフの1である。実際のネットワー
      クではこのLはノードの数nが大きくなってもあまり大きくならない。
        クラスター係数Cは次のように定義される。グラフ理論では頂点から出ている枝
      の数を次数という。頂点viの次数をki とすると、ki個あるviの隣接点から2つの
      頂点を選び出すペアの総数は

      となる。しかしペア同士が実際に枝で結ばれているか否かはそれぞれのグラフによ
      って異なる。これは例えば、自分の二人の友人同士がまたそれぞれ友人であるか否
      か、即ち3人は友人グループか否かというようなものである。ペア同士が実際の枝
      で結ばれている数をペアの総数で割ったもの、即ちペア同士が枝で結ばれている割
      合をCi とする。すべての頂点のCiを平均したものがCである。完全グラフのように
      すべて枝で結ばれていればC= 1となり、第3図のサイクルのようにすべて結ばれて
      いなければC = 0である。格子の場合は第2図のような碁盤目の格子ではすべて結
      ばれていないが、三角格子では結ばれている頂点もあり、不定である。
        このLとCはネットワークの効率に関係しており、完全グラフのように小さいLで
      大きいCを実現できるネットワークが望ましいが、枝当たりの効率は悪く、実際の
      ネットワークでは経済性の問題がある。
    2)複雑ネットワークとは
        数十人程度の小さいかつ静的なネットワークを対象とした古典的ネットワークに
      対し、複雑ネットワークは、インターネットや脳の神経細胞のニューロンのネット
      ワーク(ニューラルネットワーク)のように何億、何十億というようなノードのあ
      る大規模なかつ動的な成長性をもつネットワークを対象としたものである。コンピ
      ュータで情報をやりとりするためのネットワークの作り方には以前からスター型と
      メッシュ型があるとされてきた。これらは第7図のようなネットワークで、メッシ
      ュ型も多中心型と分散型に分けることができる。


        スター型は1台の大型のホストコンピュータを多数の端末が使用するメインフレ
      ーム方式として使われている。また今では殆ど見受けられなくなったが、パソコン
      通信はこれのネットワークが大きくなったものである。
        一方、メッシュ型のうちの分散型はクライアント・サービス方式でネットワーク
      上のコンピュータを相互に利用する方式として、企業内のネットワークなどに使わ
      れている。また多中心型には複雑ネットワークのインターネットなどがある。
        インターネットが複雑ネットワークであると言うのは、インターネットでは数十
      億のノードがあるが、その中の1つである受信先までの経路を、pingコマンドを使
      って調べると数ヶ所または数十ヶ所のノード(ルータ)を経由して到達していると
      いう特性があるからである。ノードは特別な仕組みでインターネットに接続してい
      るわけではないが、短いLで離れたノードへも到達することができるようになって
      いる。
        一方、脳のニューラルネットワークでは、ニューロンの軸索の先にあるシナプス
      部で神経伝達物質を介して次のニューロンに信号を伝播するが、その際シナプス後
      ニューロンは複数のシナプス前ニューロンからの入力信号を同時に受け取ってそれ
      がある閾値を越えると発火(信号を顕在化)して、次のニューロンに信号を伝えて
      いく。この軸索には短いものや長いものが色々あり、周辺や遠く離れたニューロン
      に信号を伝えていく。このような極めて単純な仕組みであるにも拘わらず、脳はす
      ばやい判断や目と両手の連携動作などをすることができる。このニューラルネット
      ワークは分散型である。
        そこではネットワークは単なる複雑さ以外に何らかの規則性をもっていて、優れ
      た働きをしている。このように複雑ネットワークは個々にみれば単純な仕組みであ
      るが、ネットワークになると非常に効率よく複雑な働きをこなす。この複雑ネット
      ワークの代表的なものとして、スモールワールド・ネットワークとスケールフリー・
      ネットワークがある。
    3)スモールワールド・ネットワーク
        スモールワールド・ネットワークの一つであるWS(ダンカン・ワッツとステーヴ
      ン・ストロガッツ)モデルは第8図のようにして作る。


      1.まず(a)図のような次数4の円環の形をしたサイクル状のネットワークを作る。
          これは規則的なネットワークである。



      2.次に任意の隣り合ったノード間の枝、または1つとびのノード間の枝、例えば
          (b)図の@とAの間の枝、BとCの間の枝、DとEの間の枝(点線部分)を取
          り除く。これらのノードの次数は3となる。
      3.それらのノード同士、例えば@とC、AとD、BとEを連結する。これで各ノ
          ードの次数は4に戻る。これは規則的なネットワークの一部をランダムネット
          ワークに変えたものである。
      4.以上を繰り返えして、ランダムネットワークの部分を適度に増やしていく。

    第8図 スモールワールド・ネットワーク WSモデルの作り方の例

        第8図のようにすると、枝の総数を変えずに短絡する枝を設けることができるの
      で、@とAの間、BとCの間、DとEの間の頂点間距離は若干大きくなるが、全体
      の平均頂点間距離(へだたり度)Lは小さくなる。この傾向はノードの数が大きく
      なると顕著になり、またある程度のランダムネットワークができるまで続く。第8
      図のようなWSモデルを拡張して、色々な次数をもつノードを混在させ、新しいノー
      ドからの枝は第8図のWSモデルのように次数の少ないノードに限らず、ある確率ル
      ールに従って色々なノードに連結して、新しい拡張WSモデルを作ることもできる。
        これらのモデルのように、一般的に近傍のノードとのみ連結しているネットワー
      クに、ランダムネットワークを加えると、頂点の数が多くなった場合でも、ラスタ
      ー係数のCは殆ど変らないが平均頂点間距離のLは劇的に減少することが分かってき
      た。これがスモールワールド・ネットワークの特徴である。スモールワールド・ネ
      ットワークの作り方はWSモデル以外にも色々ある。前述したようにインターネット
      もLが小さいという点で、このスモールワールド・ネットワークの特徴を備えてい
      る。
    4)スケールフリー・ネットワーク
        スケールフリー・ネットワークの1つに、第9図のようにして作るBA(アルバー
      ト=ラズロ・バラバシとルオ・アルバート)モデルがある。BAモデルの作り方の一
      例を第9図に示す。


      1.ノードの数が4の完全グラフから出発し、ネットワークを次々と成長させる。
          図ではノードが8まで成長している。(成長の法則)
      2.BAモデルでは、新しい枝が結びつく確率は既に多くの枝を持っている(次数の
          大きい)ノードに対するものを高くする。(優先的選択の法則)
          ただし、この図では必ず次数の高いノードを選んで接続しているので、この法
          則の例外となっている。

    第9図 スケールフリー・ネットワーク BAモデルの作り方の例
 
        第9図で各パターンのノードの次数分布を調べると、第2表のような変遷を辿っ
      ている。


        第2表のように、第9図のBAモデルでは次数の高いノード(ハブ)はますます次
      数が高くなり、次数の低いノードは間を飛んで、低いままその数を増していく。第
      9図でこのような規則性が生じたのは、規則的なネットワークを出発点として、ノ
      ードを加える過程も、常に3本の枝のノードを加え、また既設のネットワーク中で
      次数の高いノードに必ず接続するという規則的な成長のルールを適用して、本来は
      取り入れるべき優先的選択の法則による確率的結びつきのルールを適用していない
      ことなどによるものである。現実のネットワークでは、このような均一な規則性に
      よって成長することはなくランダム性があり、次数の高いノードには後から加わる
      ノードが接続しやすいので次数は益々高くなるという傾向と、次数の低いノードは
      新規参入によってその数を増やすという傾向を保持しながら、滑らかにノードの次
      数が変っていくネットワークになるであろう。
        このスケールフリー・ネットワークの特徴は、次数kの分布がべき乗則即ち
 
      を示すことである。これは次数kの高い少数のノードと、次数の低い多数のノード
      が混在しているネットワークを意味している。ネットワークの世界ではこのべき乗
      則のことをスケールフリーという。なぜそのように言うかというと、べき乗則をと
      るネットワークは規模の大小に関係なく(スケールフリーで)基本的に皆同じ構造
      をしていることによる。
        このスケールフリー・ネットワークがスモールワールド・ネットワークと違う点
      は、スモールワールド・ネットワークのように単にランダム性を付加するだけでは
      なく、成長の法則と優先的選択の法則に従って作られる点である。そしていずれの
      ネットワークでも平均頂点間距離のLは小さくなる。
    5)ネットワーク上の同期性
        ネットワークで結ばれた要素はしばしば同期をとった行動をすることがある。こ
      の現象はコオロギが声をそろえて鳴くことや、蛍が一斉に明滅することとして知ら
      れている。前者はワッツがスモールワールド・ネットワークを考えるキッカケとな
      ったそうである。人間の世界にもこの同期性があり、例えば、同じ女性同士が常に
      接する女子寮などでは、月経の時期が揃うという現象があることが知られている。
      ではどのような仕組みでこのような同期が起こるのであろうか。これは「結合振動
      子」というアナロジーによって研究されている。自然界には周期的現象が色々ある
      が、これを振動子と見てこれらがネットワークを通じて情報を交換して影響し合っ
      ていると考えて研究するのが「結合振動子」というアナロジーを用いた研究である。
        「結合振動子」は更にまた第10図(a)のような連成振動子のアナロジーとして
      考えられる。連成振動子の一例は図のように単振動子の振り子をバネで連結したも
      のである。


        連成振動子で振動が相互に影響し合う連成振動現象については、物理学的に以前
      からよく研究されているが、先ずバネのない場合の単振動子の動きを見て、次に単
      振動子がバネで連結されたときの様子を見てみよう。
        第10図の(a)図でバネがない場合の単振動子の運動方程式はA式のようになる。
      今の場合、理想状態を考え、錘を支える糸や棒の質量は無限に小さいものとし、ま
      た支点の摩擦や空気抵抗などはないものとする。
 
           θ:錘の吊り棒(糸)と垂直線の角度(単位はラジアン、tの関数)
           m:錘の質量
           L:錘の吊り棒(糸)の長さ
           g:重力の加速度
           sinθ:接線方向の分力を求める係数
         左辺は(質量×円周方向の加速度)=力 で、右辺はその力が重力の接線方向
      の分力であり、振り子を垂直に戻す方向に働いていることを示している。
        単振動子のポテンシャルエネルギーは、錘が支点の真下にある時を基準の0とし
      て表示することにすると、理想状態のこの系ではエネルギーは保存され、錘が最大
      に振れた位置ではポテンシャルエネルギーは最大で、運動エネルギーは0である。
      また錘が支点の真下を通るときは、ポテンシャルエネルギーは0となり、すべて運
      動エネルギーになっている。
        バネで結合された連成振動子の場合は、それぞれの振動子間でバネによる力の伝
      達によってエネルギーの受け渡しが行われて、各振動子の運動が変ってくるであろ
      う。2つの振動子が連結された場合の運動方程式は重力の項にバネによる力の項が
      加わってBC式のようになる。

          θ1:第1振り子の錘の吊り棒(糸)と垂直線の角度(ラジアン、tの関数)
          θ2:第2振り子の錘の吊り棒(糸)と垂直線の角度(ラジアン、tの関数)
          k:バネ定数
          L(sinθ1−sinθ2 ):バネの長さの変化
        この運動方程式は数学的にも解くことができるが、それは専門書にまかせてここ
      では直観的に考えてみる。連成振動子でバネが非常に弱ければ、各振動子は全く無
      関係に振れるであろうし、逆にバネが非常に強ければ、剛体の棒でつながれたよう
      に同一の振動をするであろう。バネがある程度強ければ、始めバラバラに振動して 
      いた各振動子がそのうちそろって振動するようになると思われる。
        この現象は各振動子の固有振動数が異なっている場合は近い程起こりやすく、そ
      れぞれの振動子の周期や位相がそろって共振(共鳴)が起こる。この際にはそれぞ
      れの振動子の周期は固有振動の周期からいくらか変らねばならないが、しかし、現
      実の現象として何万、何十万の連成振動子が共振するにはエネルギーの交換に時間
      もかかるであろうし、果たして可能であろうかという疑問は残る。
        次に結合振動子について考えてみる。連成振動子ではバネを通じてエネルギーを
      受け渡ししているのに対し、結合振動子では各々がエネルギー源をもち、周期の信
      号や位相の信号を受け渡しして、周期と位相の変化させている。このように結合振
      動子ではエネルギーの交換について考慮する必要はないので、第10図の(a)図の位
      相や周期についての変数のみを取り出すことを考える。これは空気抵抗や支点の摩
      擦もない理想的な系で、質量が無限に小さく、糸にかかる遠心力も無限に小さくて、
      従ってエネルギーも無視できる (b)図のような最も簡単な振動子で、これは円周上
      を一定の周期で回る点である。変数として基準点からの角度θ(単位はラジアン)
      で表わした点の位相をとり、外力が働いていない状態の運動方程式を書くとDの左
      側のような式となる。これを解くと等速運動の真ん中のような式と右側のような式
      が得られる。
    
          θ:点の位相(ラジアン、tの関数)
          ω:角速度
          T:周期
          β:t = 0における点の位相(初期値)
        Dの真ん中の式は点の速度を示すもので、右側の式はある時間における点の位置
      を示すものである。このような解が得られるのは外力の影響がなく、同じ周期で定
      常状態の運動を続けているからである。
        結合振動子はこれらが連なったもので、相互作用の仕方には拡散結合とパルス結
      合の2つがある。同期をとる結合は拡散結合であるが、連成振動子では力を伝達し
      て周期や位相を変えているのに対し、結合振動子では力の伝達はなく、情報を伝達
      して周期や位相を変えるだけなので、運動方程式を一回積分した速度と位置の関係
      を示す式を運動の基本の方程式とする。この運動の基本方程式は連成振動子とのア
      ナロジーにより次のようにする。
 
          θ1:第1振動子の位相(tの関数)
          θ2:第2振動子の位相(tの関数)
          ω1:第1振動子の角速度(tの関数)
          ω2:第2振動子の角速度(tの関数)
          ε:結合の強度

        この式でε>0のときは位相の遅れている振動子の速度を速め、位相の進んでい
      る振動子の速度を遅らせてθ1(t)とθ2(t)の差を無くするように、即ち同期するよう
      に働く。同期するとその時点でθ1(t) とθ2(t)は同じになる。このようにE式F式
      は実際の現象とアナロジー的に一致していることが判る。
        EF式は2個の結合振動子の場合であったが、Iの振動子がn個の振動子と結合し
      ている場合は次のようになる。

          E:ネットワークの枝の集合
        連成振動子は実際に作ることができ、第11図のような定常状態になったときの最
      大の振幅を示す状態などを観察することができる。(各振動子の示す振幅をY方向
      の変位で示している)この図で両端の振幅が0に近くなっているのは、実際の連成
      振動子は無限に長くすることはできず、バネの両端を固定しているためである。第
      11図の(a)の場合両端へ行く程振動子の振幅は小さくなり、真ん中が最も大きくな
      っているが、周期や位相はいずれも揃っている。即ち同期していることが判る。し
      かし条件によっては、第11図の(b)のように逆位相で同期することもあり、現実の
      現象でもこのような例があることが知られている。


        蛍が一斉に明滅する時には、何十万匹もの蛍が集まっている。蛍は一匹でも一定
      の周期で発光を繰り返す。これに周期の似た人工光を当ててやると、やがて蛍は人
      工光の周期に合わせて光りだす。この現象では、蛍の発光の周期が変化しながら人
      工光との周期のズレを解消し、同じ周期で発光するようになるようである。即ち、
      共振現象を起こしている。
        結合振動子の場合はエネルギーの受け渡しはなく、信号の伝達のみであるから、
      共振現象の伝わり方は速いと思われる。現実にもこのような現象が伝わって行って
      何十万匹というの蛍が一斉に発光するのであろう。その同期の伝わり方の速さは、
      黄昏にはばらばらに発光していた蛍が、夜のとばりがおりる頃になると一斉に発光
      するようになるという程度だそうである。
        この現象で注目すべきところは、「自己組織化」や「カオスの縁から秩序ができ
      る」という複雑系で見られる現象が現れることである。(詳しくは後の別編で記述)
    6)まとめと現実のネットワークの考察
        以上複雑ネットワークの典型的な特性として、スモールワールド、スケールフリ
      ー、同期性という3つを見てきたが、先ず前二者を整理して現実のネットワークと
      比較してみよう。
        あるネットワークがあった場合、その次数を調べてみると第6図のように二項分
      布になる場合の他、ポアソン分布をする場合、指数分布をする場合、全く不規則な
      場合などがある。二項分布は第6図のようにランダムネットワークの特別な場合に
      現れているが、第9図のようなBAモデルを拡張したスケールフリー・ネットワーク
      では−3の指数分布になっている。今まで考察してきたグラフ(ネットワーク)の
      次数分布などを直観的に整理すると第3表のようになるであろう。
 

        第8図のWSモデルのように次数を変えずに作る単純なスモールワールド・ネット
      ワークではハブは現れない。但し、スモールワールド・ネットワークの作り方は
      WSモデルに限らず色々あり、その中にはスケールフリー・ネットワークが混在した
      ものもある。その場合でもあるノードから任意のノードへ行くのにハブを通って数
      段階ですむというスモールワールド・ネットワークの特徴が顕著に現れる。
        今までの説明ではLとCの関係を定性的に行ってきたが、ワッツとストロガッツは
      αパラメータを導入してこの関係を理論的定量的に研究した(参考文献 6)。
      ある種のネットワークについて、横軸に"2つの任意のノードviとvjが他のあるノ
      ードと枝で結ばれている数を正規化したもの(X)"をとり、縦軸に"その数の枝を
      持つ2つのノードviとvjが枝で結ばれている可能性(Y)"をとってプロットすると
      第12図のような曲線上に分布する。可能性といっているのは、同じ数の枝を持つvi
      とvjの組み合わせのうち、viとvjが枝で結ばれている割合という意味である。これ
      を例えて言えば、枝を友人関係として、Xはviとvj の2人が共有する友人の数に当
      たり、Yはviとvj の2人が友人となる可能性に当たる。αパラメータはこの第12図
      の曲線を指定するものである。共有する友人の数が多いほど友人となる可能性も高
      くなるので、この曲線は右肩上がりのものとなる。しかし、その上がり方はネット
      ワークによって変わり、すぐ上がるものや中々上がらないものがある。
        αパラメータはそのものの解釈が難しいパラメータであるが、第12図のように0
      から∞までの値をとり、その値によってネットワークのLやCが変ってくる。
      この場合注意しなければならないことは、αパラメータを取り入れたモデルでは全
      く切り離された複数個の断片的なネットワークも含めて取り扱っていることである。
      このようなことはネットワークとしては意味がないような感じを受けるが、第6図
      のようなグラフ理論の立場からは当然のことである。このαパラメータはグラフ
      (ネットワーク)の種類によって決まるが、例えば上の線(α=0)に近い小さいα
      パラメータをもつネットワークには、ワッツの言葉を借りれば、"ドームの中に住
      んでいる住人のように、ドームの中では強い繋がりをもって暮らしている(Cが大
      きく、Lが小さい)が、他のドームの住人とは殆ど口をきかない(Lが大きい)よう
      な断片的なネットワーク"があることである。この場合Lを計算するのに困るが、
      ノードが連結された断片的なネットワーク内でαパラメータを計算すると定義する。


        では、先ずαパラメータとLとの関係を見てみよう。
        αパラメータが小さい左上側の線に近いところには、友人同士の出会い(Y)は大
      きいが、ドームの住人のように殆ど口をきかない人がいる(Xの小さい)断片的な
      ネットワークがある。一方、αパラメータが大きいところには、例えば一直線上にn
      個のノードが並んだネットワーク(グラフ)のように、v0のノードの左右にviとvj が
      あるが、viとvj のノードはどれも直接結ばれることはないという、友人はあって
      もその人達の出会いは0という下の線上(αパラメータは∞)に位置するネットワ
      ークがある。Lが最も小さく1である完全グラフでは、すべてのノードが結ばれて
      いるので、第12図の右上の点に相当する。しかし、この点はα=0の線の到達点で
      もあり、またα=∞の線の到達点でもあるので特異点とみられる。
        これらの場合を含めてワッツとストロガッツは、このαパラメータに対応した
      色々なネットワークのモデルについてシミュレーションを行い、Cとの関係も求め、
      αパラメータとこれらのLとCとの関係について第13図のような結果を得た。


        αパラメータとLの関係を見ると、αパラメータが0から増えてくるに従ってLが
      増えてくる。これはαパラメータが大きくなるに従って断片的なネットワークが部
      分的に結合するが、その中では殆ど口をきかない人々がいるからである。そしてま
      た別の断片的なネットワークが結合する。αパラメータがある臨界値に到達すると、
      断片的なネットワークがすべて結合してネットワーク全体が結びつき、この臨界点
      の手前でLの値が突出して大きくなる。そして臨界点を過ぎると、その後Lは小さく
      なる。
        この図のLが突出している点より左側は断片的なネットワークが存在する部分で、
      全体が繋がったネットワークを考察する場合は、右側のみ考えればよい。図で見ら
      れるように突出部の右側の突出部から若干離れて、Lが急激に下がってきた位置か
      らαパラメータの或る範囲で、Lが小さくCが大きいというスモールワールドの特性
      をもつ部分が存在することが判る。
        現実のネットワークでは、ノードが減少したり枝がなくなったりすることも多く、
      絶えず変動している。インターネットでも廃業するプロバイダーや倒産して無くな
      る企業のサーバなどがある。また端末は絶えず変化している。現実のネットワーク
      は以上述べてきたような状況が入り混じっており、第3表のようになるであろう。
        以上の考察のように、最も効率がよく、且つ経済的なのはスモールワールド・ネ
      ットワークの特徴をもつスケールフリー・ネットワークであろう。このスモールワ
      ールド・ネットワークが実際に存在することを示す実験としては、1969年に行われ
      た有名なトラバースとミルグラムの手紙渡しの実験がある。これはアメリカ西海岸
      に住むある人がランダムに選ばれた東海岸に住む人に手紙を送る実験で、よく知っ
      ている人にしか手紙は送れないというルールのもとに、リレー式に送る方式で行わ
      れた。結果は6番目位で選ばれた人に届いたのである。これは1億人を越える人の
      集団であっても実社会の知り合いのネットワークでは、平均頂点間距離Lが6程度
      のスモールワールド・ネットワークで構成されていることを示している。
        しかし、これだけではスケールフリー・ネットワークが実際に存在しているか否
      かは判らない。現実のネットワークの代表的なものとしては、インターネットやそ
      の上で働くワールド・ワイド・ウェブや、研究者のネットワークのように、引用数
      の多い学術論文はそれに関する研究が多くなり益々引用数が増えるというものなど
      がある。その他にも社会の中には高速道路と幹線道路のネットワークや高圧送電線
      のネットワークや生命体のニューラルネットワークなどがある。これらはいずれも
      情報や自動車や電力を効率よく流通させ、かつLが小さいという特性を持っている。
      しかし、前者と後者の間には明らかな差がある。それは前者のインターネットなど
      が主として自然発生的に作られてきたのに対し、後者の道路網などのネットワーク
      は人間の設計や学習によって作られてきたことである。
        例えば、インターネットは相当無作為に作られてきた。これをインターネットの
      地図で見ると、複雑な階層をなしているが簡略化して述べると次のようである。と
      ころどころに相互にリンクをもつ大きなハブがあり、その下に多数の中央や地方の
      政府機関やプロバイダーや学校や企業などのサーバが繋がっており、更にそれらが
      ハブとなってそこへ傘下の個人のノードが繋がっている。その場合下部のノードが
      上部のプロバイダーのサーバ(ノード)を選ぶ基準は利便性であり信頼性であろう。
      即ち、選ばれるのは近くにある既に多くのノードが繋がっているサーバ(ノード)
      である。
        インターネットではトップの中心的サーバ同士はスモールワールド・ネットワー
      クを構成しており、その下のプロバイダーのサーバなどもお互いにリンクされてい
      る。従って、その段階まではテロなどの意図的な攻撃に対しても、災害などの偶発
      的攻撃に対して強い。しかし、プロバイダーのサーバの下にある個人のノードは、
      ノード間にはリンクがあるものの他プロバイダーのサーバとはリンクしておらず、
      スケールフリー・ネットワークとなっている。従ってプロバイダーのサーバがダウ
      ンすると多くのノードが使えなくなる。(ノードがダウンしたプロバイダーのサー
      バとのリンクを切断して、別のプロバイダーのサーバとリンクして使うことはでき
      る。)このようにスケールフリー・ネットワークではハブを狙った意図的な攻撃に
      対しては弱い。
        一方ワールド・ワイド・ウェブはブラウザというソフトによってインターネット
      上のWebサイトを見ることができるだけではなく、未知のWebサイトもキーワードを
      入力することで検索できるという大きな特徴がある。この検索は世界中にいくつか
      ある検索会社のサーチロボットを使って行われるが、その意味では全世界のWebサ
      イトを網羅する大きなハブがある。ある検索会社のシステムが故障すればその会社
      の検索機能は使用できなくなるが、全世界のWebサイトをカバーするハブがオーバ
      ラップして存在しており、他の検索会社のサーチロボットを利用すれば検索が可能
      になる。またURLを使ってWebサイトに直接アクセスすることができる点では、メー
      ルアドレスを使うインターネット通信と同じである。このようにWebのネットワー
      クはスケールフリー・ネットワークの特性を備えている。
        これらに対して、ニューロンのネットワークは脳の部位、例えば言葉を話すブロ
      ーカ中枢内では短い軸索を通じてニューロン同士が繋がって信号を伝えているが、
      ブローカ中枢のニューロンと他の例えば運動中枢のニューロンとは長い軸索を通し
      て繋がっている。しかし、そこにはハブのような中心的ニューロンは存在しない。
      このネットワークでは、脳梗塞や脳出血によって一部の機能に損傷を受けても、リ
      ハビリテーションによって機能を回復することができる。また口や喉などの筋肉を
      同時に使って、脳で考えていること話すことができ、話にあわせて身振り手振りな
      どの非言語的な意思表示を交えて他の人に情報伝達をすることができる。これらは
      スモールワールド・ネットワークネットワークの特徴である。実際ネコの脳では平
      均頂点間距離Lが2〜3であることが実験的に分かってきた。また高度にクラスタ
      ー化されていることも確かめられている。人間に対する研究も実験的神経科学とい
      う分野においてf−MRI(機能的核磁気共鳴画像法)などを使って行われているが、
      同様の状況が裏づけられているようである。
        同期性については色々な事例が知られているが、その一つにニューロンの発火の
      仕組みがある。ニューラルネットワークでは脳の機能を発揮させるのに、ニューロ
      ンの同時発火の仕組みを使っており、ニューロンが次のニューロンに信号を送るの
      は、そのニューロンにいくつかの信号が入ってきてある閾値を越えた時であるとさ
      れている。しかし、考えてみれば同時に信号が入るというのは不思議なことである。
        この同期性は蛍の同時発光のように、脳のネットワークがスモールワールド・ネ
      ットワークになっている上に、脳内に何らかの同期化の仕組みがあるからだと考え
      られている。この同期性はf−MRIによる脳内の発火状態の観測により確かめられて
      いるが、具体的な仕組みは判っていない。
        それに対して、前述した女性における月経周期の一致の仕組みはシカゴ大学での
      研究によって判ってきた。全く離れた、見知らぬ女性同士でそれぞれが出す「月経
      周期フェロモン」を相互に授受させた結果、月経周期が同期することが確かめられ
      た。そこにはフェロモンによる情報の交換があったわけである。これの原典は参考
      文献 8の、キャサリン・スターン、マーサ・マクリントック両博士が1998年にネ
      ーチャーに発表した論文である。マクリントックが1971年にこれについての最初の
      論文を発表して以来、このような実験に対しては色々な人がフォーローしてきた。
      その過程において逆位相で同期する場合や、中には同期しない場合もあることが判
      ってきている。
        先ほどの蛍の発光やこの月経の例に見られるような同期性がなぜ動物に備わって
      いるかについては、子孫を残すために遅れをとれないなど色々な説がある。

参考文献
1)白田耕作、CGへの招待、日本電気文化センター、1989
2)木田重雄、流体方程式の解き方入門、共立出版、2004
3)矢川元基、パソコンで見る流れの科学、講談社、2001
4)増田直紀他、複雑ネットワークの科学、産業図書、2005
5)バラバシ、ボナボー、スケールフリーネットワーク 日経サイエンス383号、
                      日本経済新聞社、2003.09
6)ダンカン・ワッツ、辻竜平他訳、スモールワールド・ネットワーク、
                      阪急コミュニケーションズ、2005
7)マーク・ブキャナン著、阪本芳久訳、複雑な世界・単純な法則、草思社、2005
8)アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳、新ネットワーク思考、NHK出版、2005
9)スティーヴン・ストロガッツ著、藤本由紀監修、長尾力訳、SYNC、早川書房、2005
10)鹿児島誠一、振動・波動入門、サイエンス社、2000
11)Stern,K. and McClintok,M.K. (1998) Nature 392,177-179

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